272.喧嘩するほど仲が良い?
「出来るわけがありません!」
長い旅の中でも聞いたことのないようなネクターさんの大声が町中に響く。
「なんでですか! ネクターさんが私を殴ってくださるまで、ここで土下座し続けますよ⁉」
ネクターさんの土下座なら嫌というほど見て来た。やり方は分かっている。
いつものネクターさんの動きを再現するように膝を折ろうとした瞬間、
「どんな脅しですか! お嬢さま! おやめください!」
ネクターさんが私の脇をひょいと持ち上げた。
「おわぁっ! 何するんですか!」
背の高いネクターさんに両脇を抱えられて持ち上げられた私は、完全に地面から浮いている。ジタジタと足を動かすと、ネクターさんが「こちらのセリフです」と私を見上げた。
「どうして急にそのようなことを。だいたい、どこの世界に主人へ手を挙げる従者がいるのです」
ネクターさんの声色は至極真面目だ。私をそっと地面へおろすと、彼はあからさまに困ったように眉を下げる。
「いくらお嬢さまの頼みでも、殴るなんて出来ません。理由をお教えくださいませんか」
「……私、優勝は無理だって思っちゃったんです。私のせいで、ネクターさんを優勝させることができないって」
それで、気合を入れなおしてほしくて。
うつむいた私の頬を、ネクターさんがそっと両手で持ちあげた。
「それは、僕がお嬢さまを殴って解決する問題なのですか」
「……ひまひぇん」
「そうでしょう。それに、僕は、お嬢さまのおかげで優勝できることはあっても、お嬢さまのせいで優勝を逃すなんて思ったことはありませんよ」
ネクターさんが私を捕まえているせいで、彼の視線から逃れることが出来ない。
「お嬢さま、僕を見てください」
「み、みてまひゅ……」
「お嬢さまは、僕のことを優勝させたい、とお思いになられたのですね?」
先ほど、自らが何気なく発した言葉を繰り返されて、頬がカッと熱くなる。
自惚れていたのだ。私がネクターさんを優勝させるだなんて。
それだけじゃない。ネクターさんを頼りにしていると言ったのに、彼がいれば大丈夫だと信頼できていなかった。
逸らしたいのに、逸らせない。私の顔は視線ごと彼に捕まったままだ。
ただ、言葉に詰まる。
「僕は、料理人として、自分の力で、お嬢さまと共に優勝したいんです。だから、この問題は二人で解決しましょう。一人で抱え込まないでください」
ネクターさんは珍しく怒っているようだった。
ここまで問題を山積みにしていても、いまだ優勝は諦めていないらしい。
それも、二人で優勝することを――
「お嬢さま。どんな困難でも、必ず突破口はあります。今までの旅でも、僕らはそれを乗り越えてきたではありませんか」
「……ひゃい……」
ネクターさんはそっと私の頬から手を離すと、小さくため息を吐いた。
「とはいえ、そもそもお嬢さまをこのように追い込んでしまったのは僕です。お料理が不慣れなお嬢さまを巻き込んでしまっただけでなく、お菓子のアイデアを考えてほしいと無茶なお願いをしてしまいました」
申し訳ありません、とネクターさんは頭を下げる。
「そんな! ネクターさんが謝ることは何も! 私がやるって言ったんですから!」
「ですが、結果的には、お嬢さまにご負担を強いてしまったのです。従者としてはもちろん、料理人としても失格です」
「違います! ネクターさんは本当に何も悪くないんです!」
私が言えば、ネクターさんが「いえ、僕が」と主張する。だが、本当にネクターさんは悪くない。「私のせいです」と再び訂正しても「違います」と返ってくる。
これでは堂々巡りだと気づいた時――
「……のろけはホテルでやってくれる?」
つい最近聞いた声が私たちの間に割って入った。
「「のろけてません!」」
「相変わらず仲が良いね」
シンクロした私たちの声に、声の主が肩をすくめる。
「って、ボランティアのお兄さん!」
「なぜこちらに⁉」
「なぜって、ここが地元だから。それから、僕はボランティアなんてやってないよ」
「兄さん! こんなところにいた……って、あれ?」
同じ顔が二つ。
不毛な争いをしていた私たちも、これにはお互いに顔を見合わせてしまう。
「ハッ! もしかして双子の⁉」
「どーも。久しぶり」
「やあ、光の祭典ぶりだね。二人とも元気だった?」
ベ・ゲタルで出会った占い屋さんのお兄さんと、光の祭典で出会ったボランティアのお兄さん。
並んだ二人はそっくりで、もしも服が同じだったら見分けがつかなかっただろう。
シンプルなお洋服を着こなすお兄さんと、デシのかわいらしいお洋服に身を包んだ弟さんは、驚くことに髪形も背丈も同じだ。
「二人はこんなところで何をしてるの?」
「喧嘩。自分が悪いだなんだって」
弟さんの質問には、私たちより先にお兄さんが答えた。バッサリと切り捨てるような口調に、私たちは苦笑せざるを得ない。
「喧嘩⁉ 二人が⁉」
そんなこともあるんだね、と弟さんが至極驚いた顔で私たちを見比べるものだから、なんだかいたたまれなくなってしまった。
お互い、ごめんなさい、と素直に謝ってしまう。
「まあ、ここで会ったのも何かの縁だし、時間が許すならお茶でもどうかな?」
弟さんの提案に、お兄さんも「そーだね」とうなずく。
私とネクターさんも、さすがにこの空気のまま二人でホテルまで向かうのは気まずい。
それに、ホテルについたらどうせ作戦会議でも……なんて考えていたのだ。
私がチラリとネクターさんを窺うと、ネクターさんは少し考えた後に口を開いた。
「……僕たちには、少し休息が必要かもしれません。今まで根を詰めすぎました。作戦会議はやめて、今日一日くらい休みましょう」
「良いんですか?」
「えぇ、大丈夫です。無理をして味覚を失っては元も子もないでしょう?」
ネクターさんが自虐するように笑う。
「そのギャグはあんまり笑えないです……」
私が眉をひそめると、ネクターさんはしゅんと落ち込んでしまった。
「えっと……もしかして、渾身の一発ギャグでした?」
恐る恐るネクターさんを覗き込めば、彼は
「もう二度とやりません」
と自らの顔を両手で覆った。




