27.幸せ運ぶ赤い鳥
夕暮れに染まる麦畑を背に、私たちは最寄り駅へと向かう。
たくさんのパンをカバンに、たくさんの知識を頭に、なによりたくさんの幸せを心に詰め込んで、私たちのパン工場見学は終わりを告げた。
パンがどんな風に出来てるかなんて知りもしなかった。
シュテープがパスタやパンをたくさん他国へ輸出しているってことくらいは知っていたけれど、今更それを実感するなんて。
「お母さまは本当にすごかったんですね!」
「そうですね。僕がテオブロマ家に拾っていただいたときには、すでにパニストは大きな工場でしたから、まさか奥さまとあんな関係があったとは知りませんでした」
「料理長も知らないことがあるんですね」
「たくさんありますよ。案外身近にあるものほど、知らないことは多いものですし」
「身近にあるもの?」
「当たり前に存在しているものほど大切なことはない。いつも新しいことを知るたびに気づかされます」
料理長はどこか切なげに遠くへ沈む夕日を見つめる。
彼の瞳と同じとろけるようなアンバーの輝きが広大な麦畑をどこまでも照らしていた。
「お母さまたちは、そういうことに気づいてほしかったのかな?」
かわいい子には旅をさせよ、なんて泣きながら私を追い出した両親でさえ、どれほど大切な存在なのか。二人のもとを離れてようやく私も気づいた。
「僕も追い出されて初めて、自らの立場に甘えていたと気づかされましたし」
「何回も言いますけど! 料理長のせいで追い出されたわけじゃないですからね!」
やばいやばい。この話題は禁句だったんだった!
ネガティブモードに移行しようとしている料理長をなんとか引き留めて、私はカードを取り出す。
「料理長! 記念写真撮りましょう! パニストがすごすぎて記念写真撮るの忘れてましたし!」
「ですが……」
「こんなにきれいな麦畑だってあんまり見れないですよ!」
ほらほら、と促すと料理長があきらめたように「そうですね」と苦笑した。
カードをかまえてパシャリ。麦畑と同じ色に輝く料理長と、今日も最強かわいい私の姿がスクリーンに映る。
「ほら、激エモです!」
なんとなく秋らしい一枚が撮れたような気がする。景色っていうか、色味的な意味で?
「えも……?」
「超いい感じってことです!」
「はぁ……。エモ、ですか」
イケメンならなんでも似合うと思っていたけれど、エモいって言葉を使う料理長はちょっと変な感じがした。
ケラケラと声を上げて笑うと、料理長もようやく少しの笑みを浮かべる。
「お嬢さまと一緒にいると、僕も色々と勉強になることが多いですね」
「おぁっ! なんですか急に! 褒めてもバターロールしか出ませんよ!」
「バターロールは出るんですか」
「出ます!」
カバンから大量のバターロールが入った袋を取り出すと、料理長がクツクツと肩を震わせる。
良かった。ちょっと元気になったみたい。
「そうだ! 郵便局があるか調べなきゃ!」
「そうですね。忘れないうちに奥さまへお送りいたしましょう」
「新鮮なうちに食べてもらわなきゃです!」
魚や肉じゃあるまいし。
料理長の表情がそんな風に訴えかけてきた気がするけれど、見なかったことにした。
パンだって焼きたてがおいしいことは料理長も知っているはずだ。
魔法のカードで郵便局を検索しようとしたところで、料理長が「あ」と空を指さした。
「ちょうど良いところに」
麦畑の上を悠々と渡る赤い鳥――郵便配達専門の魔物、フェニックスさんだ。
茜空にも負けない真っ赤な羽を広げて風を切っている。
ナイスタイミング! きっと配達から戻ってきたのだろう。
「フェニックスさーん!」
大声でその名を呼ぶと、フューイと透き通るような鳴き声がした。
フェニックスさんは一度大きく羽ばたいて、私たちから少し離れた麦畑の脇へと着地する。羽を閉じてすっと首をのばした姿はお見事。優雅の極みだ。
『ハコビモノか?』
凛とした声が直接頭に響く。
堂々たる風格はベテランのそれ。もしかしたら、この道何百年のプロかもしれない。
「国都のお屋敷街にあるテオブロマの家まで、バターロール一袋をお願いします!」
『テオブロマ……』
「知ってますか?」
『あぁ、昔から我々の得意客だ』
貿易業を営んでいるから郵便物も多いのかもしれない。
フェニックスさんは一度に運べる量こそ少ないけれど、どんなものでも絶対に届けてくれるから。
「フェニックスさん、パンは食べられますか?」
『然り。パニストへ行ってきたのだろう。匂いでわかる。あそこのパンはうまかろう』
「はい! それじゃあ、好きなパンを持って行ってください! 報酬が足りなければ、フリットーの蜜漬けもありますし!」
『かまわん。いつも世話になっているのでな。木の実パン三つで良い』
言われるがままカバンから木の実パンを差し出すと、フェニックスさんはあっという間についばんだ。
満足げに羽を大きく広げると、バターロールの入った袋を口に加える。
『今晩にでも届けよう。ではな、テオブロマの娘。また会おうぞ。そなたの旅に幸運を』
フェニックスさんは美しい赤い羽をバサバサと動かして、再び夕日に向かって飛び立っていく。
「フェニックスさんもお気をつけて!」
大きく手を振ると、フューイと鳴き声がした。
きっとあのフェニックスさんなら、お母さまとも知り合いだろう。
彼らは物を運ぶことがお仕事だから私の気持ちまでは詮索しないけれど、きっと思いも伝えてくれるはずだ。
長く生きるフェニックスさんたちは、私たち以上に人のことを知っている。
人と共存しながらシュテープの歴史を見てき彼らは、これまでもたくさんの幸せを運んできたのだ。
「良い配達鳥でしたね」
「はい! フェニックスさんって本当にすごい魔鳥ですよね! 人の言葉も分かるし、おいしいし……」
「お嬢さま。さすがに先ほど配達を頼んだばかりでその発言は……」
「昔、寿命を迎えたフェニックスさんが、お父さまに食べてもらいたいって言いに来たんですよ! さすがに密猟はしてないです!」
「密猟だったら犯罪ですよ……」
「その時に食べた味が忘れられなくて! チキンともコカトリスとも違う、淡泊だけど深い味わいだったっていうか……。最後の最後まで幸せを運んでくれたなって!」
いつか私も、忠誠を誓って命を捧げてくれるフェニックスさんとお近づきになりたい。
決して食べたいからってだけではなくて! 色々教えてくれそうだし! かっこいいし!
私がそんな夢を語ると、料理長は呆れたようにため息を吐いた。