269.フラン特製・シフォンケーキ
私とネクターさんは再びキッチンに立っていた。
今日は、エンテイおじいちゃんの祝勝会だ。私とネクターさん、それからおじいちゃんの三人だけのこじんまりとしたものだけれど。
お料理はネクターさんが作ってくれることになっているのだけど、問題は……。
「私が一人でお菓子を作るなんて……」
そう。今日のデザートは私が担当することになったのだ!
「大丈夫です。レシピ通りに作れば、まず失敗することはありませんし。今回は手助け出来ませんが、何かあれば僕も隣にいますから」
「が、頑張ります……」
ネクターさんから渡されたレシピは、おじいちゃんのシュガーローズを使ったシフォンケーキ。
制限時間はおじいちゃんが来る夜までの後半日。
とにかくやってみないことには始まらない。
ダッチベイビーを作った時だって、ネクターさんと一緒とはいえ、私だって頑張ったんだし。きっとやれば出来るはず!
「よし!」
覚悟を決めてレシピを見つめる。
「まずは、予熱! それから、卵を……卵白と、卵黄に分ける……」
この間はやらなかったけれど、知識だけはしっかりと記憶されている。
卵白は後でメレンゲにして使ったりするんでしょ!
教えてもらったことを意識しながら、レシピに沿って一つずつ準備する。
「卵黄と卵白を分けたら、卵白は冷蔵庫に……。卵黄にはシュガーローズを砕いて入れて……」
早速おじいちゃんからもらったシュガーローズを砕いてふるいにかける。粉は、塊が出来ないように少しずつ混ぜるんだったよね。
先日、ネクターさんと一緒にダッチベイビーを作ったばかりだ。まだ体が覚えている。
「うん! いい感じ!」
一生懸命、卵を白っぽくなるまで混ぜて、私はふぅと息を吐く。
意外にもお菓子作りは重労働だ。ネクターさんが体力作りと称して、最近私をやたらと運動させていた理由が分かった。
「結構手が疲れる……」
重たいボウルに、液体やら粉やらを入れて混ぜるのだ。私が軽く手を振ると、ネクターさんが「料理をするよりも、お菓子作りの方が大変だという人もいますよ」と苦笑した。
でも、ここで負けてはいられない。
「……ん? 重要ポイント?」
私はレシピにでかでかと書かれた文字に首をかしげた。
「油を入れた後は、しっかりと白っぽくなるまで混ぜること……乳化させないと失敗します?」
聞きなれない言葉に私は「はい!」と挙手してネクターさんを呼ぶ。今はネクターさんが先生だ。
「先生! 乳化って何ですか!」
「乳化というのは、油と水分のように本来は混ざらないもの同士が均一に混ざった状態のことを言うんです」
「油と水って混ざるんですか⁉」
「実は、つなぎの役割を果たすものを加えたり、混ぜる、振るなど物理的に力を加えて二つの境界を壊したりすると混ざり合うんですよ」
ネクターさんはレシピへと文字を書き足していく。料理でも良く使うのだ、と乳化のメリットなども解説してくだるあたり、ずいぶんと熱心な先生だ。
ネクターさんの教えを守って、しっかりと混ぜる。ネクターさんに確認してもらうとオーケーサインが返ってきた。
そこへミルクを加えてさらに混ぜる。だんだんとそれらしくなってきた。
「次は薄力粉だから……」
粉は振るう! 少しずつ入れる! 混ぜるときは中心から外側へ!
「えぇっと、ツヤが出るまで混ぜたら……いよいよメレンゲ作りだ!」
私は再び重要ポイントと書かれたレシピをしっかりと読み込む。シフォンケーキの肝は、メレンゲにあり! なのだそうだ。
「まずは卵白をなめらかになるまで混ぜる。電動ミキサーを使って……」
電動ミキサーも初挑戦だ。ネクターさんに使い方を尋ねれば、料理を中断して私の方へと来てくださった。
カチリ、とスイッチをいれた瞬間、ブィィン! とまるで工事でも始まったんじゃないかと思うほど大きな音が鳴る。
「ふぉぉ⁉」
「これで、ゆっくりと卵白を泡立てていきます。あまりボウルに当てないように気を付けてください」
ネクターさんがお手本を見せてくださった。ふわふわと卵白が泡立っていく。
私も途中交代して頑張ったけれど、ミキサーが重くて大変だった。
ひょうひょうとやってのけるネクターさんは、実はかなりのマッチョかもしれない。
砕いたシュガーローズを数回に分けて卵白に加え、泡立てていくと……
「出来たぁ!」
ボウルを裏返しても落ちてこないくらいしっかりとしたメレンゲが完成した。
メレンゲを少しずつ卵黄の生地に加えつつ、手早く混ぜ合わせていく。
ここはあまり混ぜすぎてはいけない、とレシピに書かれていた。
「切るように混ぜる、だ!」と勉強した知識を引っ張り出す。
完成した生地をゆっくりと型に流しいれてオーブンで温度と時間を設定すれば……。
「終わったぁ~!」
私は万歳! と両手を高く掲げる。
「さすがはお嬢さまですね。後は焼けるのを待ちましょう」
「はい! 今からすごく楽しみです!」
シフォンケーキが焼ける様子をオーブンの前に座ってじっと眺める。徐々に生地が膨らんでいくのが分かって面白い。
オーブンがピピッと軽快な音を立てたのは三十分後。
型からはみ出るほどこんがりふわふわに焼けた生地を取り出して、冷めるのを待つ。
ここで焦ると生地がしぼんで、今までの苦労が水の泡になってしまうらしい。
生地をひっくり返して、ゆっくりと室温で冷めるのを待つ。
まだかな、まだかな。
ソワソワしながら、私は生地が冷えるのを待っていた――はずなのだけれど、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
「そろそろ良いでしょう。型から外して、飾りつけをお願いします」
ネクターさんの声がかかって、私がハッと目を覚ましたのは数時間後だった。
「おわぁぁっ⁉ やばいです! シフォンケーキが! 大丈夫ですか⁉」
「はは、大丈夫ですよ。ご安心ください。ちょうどよく温度も下がって、ふわふわのシフォンケーキが完成しておりますから」
ネクターさんは「さ、最後まで頑張りましょう」と私を完成間近なシフォンケーキの前までエスコートした。
どうやら型から外す作業はネクターさんがやってくださったらしい。
窓の外はもう日が沈み始めている。
おじいちゃんが来るまで後一時間。
私は急ぎながらも丁寧にシフォンケーキを飾りつけた。