262.花を添えて、ダッチベイビー(1)
緊張と静寂に包まれるキッチン。
私はゴクリと唾を飲み込んだ。
「では、お嬢さま、準備はよろしいですか?」
「は、はいっ!」
「緊張しなくて大丈夫ですよ。僕が隣で指示を出しますし、リラックスして頑張りましょう」
ネクターさんにニコリと微笑まれ、私は意識的に肩の力を抜く。
ついに、ホテルの近くにあるキッチンを借りての実践だ。
おじいちゃんもキッチンの向こうでこちらの様子を窺っている。
おじいちゃんのシュガーローズを使うんだもん。おいしいお菓子にしてあげるからね!
ぐっとおじいちゃんにサムズアップして見せると、おじいちゃんはゆっくりとうなずいた。
「今回は初めての実践なので、簡単なものを作ります。お嬢さま、ダッチベイビーというお菓子はご存じですか?」
「ダッチベイビー?」
「パンケーキの一種ですね。スキレットと呼ばれる鉄製のフライパンを使って生地を焼くケーキです。エンテイさまのシュガーローズを使って、リンゴのソースも添えましょう」
ネクターさんは小さめのフライパンを私の方へ「こちらです」と手渡すと、まずはオーブンで予熱するように、と指示を出す。
「いきなりケーキとか、ソースとか……私、本当に作れるでしょうか……」
「大丈夫ですよ。ダッチベイビーは特に簡単なものですし、リンゴのソースも難しくはありません。お菓子作りの基本もこれでおさえることが出来ますので、まずはやってみましょう」
ネクターさんに指示された通り、スキレットをオーブンに入れる。オーブンの温度を設定して、ボタンを押すと、
「お嬢さま、なぜ予熱を行うか分かりますか?」
ネクターさんから質問が飛んできた。
これ、昨日ネクターさんと一緒に勉強したやつだ!
「えぇっと……短時間で熱を通して生地をしっかりふんわり仕上げるため! でしたよね!」
記憶をたどって答えを引っ張り出せば、ネクターさんが両手で丸のサインを作る。
「正解です。さすがはお嬢さま。物覚えが良くていらっしゃいますね」
「やった!」
「では、次の工程へ。ボウルに卵を割り入れてください。今回は、卵黄と卵白は分けなくて良いですよ」
「了解です!」
「出来たらミルクを注ぎ入れます。分量はこの線まで」
卵の殻を入れないように注意深く割り入れて、ミルクを計量カップへ注ぐ。指定された分量をきっちり入れたら、ネクターさんが私に待ったをかけた。
「粘度や性質の違うものを混ぜ合わせるときは?」
「ハッ! そうでした! 少しずつ、混ぜながら入れる!」
「正解です」
卵を軽く混ぜてから、ミルクを少しずつ注ぎ入れる。少し入れては混ぜ、また少し入れては混ぜを繰り返す。均等に混ぜ合わせないと味に偏りが出るらしい。
次は薄力粉。
「粉は?」
「必ずふるう! 少しずつ混ぜる!」
「素晴らしい」
こちらも計量した分だけをふるいにかけて少しずつ。
「粉が塊にならないように混ぜてください。とはいえ、あまり混ぜすぎると膨らまなくなりますから、出来るだけ優しく、丁寧に。切るように混ぜてみてください」
ネクターさんのアドバイスを受けて、ゆっくりと混ぜていく。粉の塊を卵とミルクの液体で溶かしていけば、次第になめらかな生地が完成した。
ちょうど良いタイミングでスキレットの予熱も終わったらしい。ピピッとオーブンが軽快な音を立てる。
熱いから、とネクターさんがオーブンから取り出してくださって、私はそこにバターを置く係だ。
「わぁっ!」
バターの欠片をスキレットの上へ落とせば、じゅわっと泡が弾けて、みるみるうちにバターが溶けていった。
まんべんなくそれらを広げて、先ほどの生地を流し込む。後はスキレットごとオーブンに入れて焼くだけだ。
「これでダッチベイビーの基本部分は完成です」
「え! 本当に簡単です!」
もっと難しいものかと思っていたのに。ケーキって意外と単純な材料の組み合わせなんだ。
「基本的なお菓子ですからね。さあ、焼けるのを待つ間に、リンゴのソースを作りましょう」
私が感心している横で、ネクターさんは休む暇を与えることなく、リンゴの皮をむいていく。
「お嬢さま、シュガーローズを三つほどそのお鍋に砕いて入れてください」
「分かりました!」
いよいよエンテイおじいちゃんのシュガーローズが登場だ。飾りつけ用にいくつか取っておいてくれ、と最初に言われているので、それを守って比較的綺麗なものを避ける。
形が崩れてしまっているものを三つ選んで、手で花びらをちぎっていく。パリッと砂糖菓子の砕ける音がして、手が甘い香りに包まれた。
綺麗な紫とオレンジのシュガーローズが入ったお鍋に、ネクターさんが切ったリンゴが入る。
すでに水気を帯びて柔らかくなった砂糖の塊がリンゴと絡むと、リンゴからも蜜が溢れた。
「これをじっくり煮込めば、リンゴのソースも完成です。お嬢さま、砂糖を熱するときは?」
「弱火でコトコト!」
「ばっちりですね。では、やってみましょう」
ロボットのような片言の答えでも、ネクターさんは満足げにうなずいてくださるから、私も気分が良い。
焦げ付かないようにお鍋の中をくるくるとかき混ぜる。
しばらくすると砂糖が完全に溶けて、リンゴから出た汁気と混ざり合った。
「煮詰めすぎるとジャムになってしまいますから、今回はここまでにしておきましょう」
ネクターさんがお鍋の中の様子を見て、火を止める。最後にシナモンを加えて味を整えれば、リンゴのソースも完成だ。
「さ、生地も焼けたようですよ」
オーブンから取り出されたスキレットの上に、これでもかとふわふわに膨らんだダッチベイビーが。
「良い匂い~!」
焼き菓子特有の香ばしい匂いに、自然と笑みがこぼれる。
「後は飾りつけですね」
バニラアイスと先ほど作ったリンゴのソース、それにシュガーローズを綺麗に盛り付ければ完成らしい。
「飾りつけが一番緊張します!」
ふぅ、と深呼吸を一つ。
まずはバニラアイスへと手を伸ばす。ダッチベイビーのちょうど真ん中、くぼんでいる所にスプーンでアイスを添えれば、生地の熱でアイスが溶けていく。
「次は、リンゴのソースをかけて……。最後に、シュガーローズを……」
まだ花の形を保っている美しいシュガーローズを添えれば――
「完成です!」
私の初めてのお菓子作りは無事に幕を閉じた。




