253.忘れられない思い出を
美しい光景とネクターさんからのお花の贈り物に、私の目からは涙がこぼれた。
「お、お嬢さま⁉ そ、そんなに嫌でしたか⁉」
「逆です! 最高です! 最高過ぎます~~~~! ネクターさんのばかぁ……」
私の両手は、お花のランタンとネクターさんからのお花で埋まっていて、涙をぬぐうにぬぐえない。
かわりにネクターさんがポケットからハンカチを取り出すと、そっと私の涙をぬぐってくださった。
「す、すみません……。その、まさかそんなに喜んでいただけるとは……」
ゆっくりと私の頬をなでるネクターさんの手があたたかくて心地よい。
「そりゃ! 喜びますよ! こんなの、反則です!」
まるで旅が終わってしまうみたいじゃないか。
まだデシにはついたばかりで、これからやりたいことだって残っているのに。
どうしたって旅の終わりを意識せざるを得なくて、嬉しさと同時に寂しさがつのる。
「だいたい、ネクターさんはもっと自分がイケメンだって認識してください。なんなんですか! プロポーズなんですか⁉」
逆ギレみたいにつっかかれば「なっ⁉」とネクターさんからは驚きの声が上がる。
この人、本当に無自覚天然人たらしイケメンだ!
「もう! 本当に出来過ぎですよぉ……。嬉しいです……。すごく、嬉しい……」
せっかく涙が止まりそうだったのに、ネクターさんの純粋な優しさを噛みしめれば噛みしめるほど、また涙があふれる。
旅が終わったら。お屋敷に戻ったら。
――私たちは、また、お嬢さまと料理長の関係に戻って、顔を合わせることすら難しくなってしまうのに。
こんなことをされたら、ずっとネクターさんのことを思い出してしまうじゃないか。
「私が婚約出来なかったら、ネクターさんのせいですからね」
じとりとネクターさんを睨むと、ネクターさんが「そ、それは……」としどろもどろ。
責任をとれ、なんてつもりはないけれど、罪な男が過ぎると思いませんか。態度を改めてください。
「……す、すみません。ただ、その、もう感謝を伝えられる回数も限られてくるんだなと思いまして……」
「だからって! よりにもよってクリスマスローズだなんて!」
「クリスマスローズ?」
やっぱり知らずに買ったのか。このイケメンめ。
「知らなくていいです!」
贈られた私の方が、忘れられない思い出になってしまった。
「……本当に、ありがとうございます。私も、ネクターさんにたくさんお礼したいです。明日からいっぱいお礼するので、覚悟してくださいね!」
「そういう訳には!」
「ダメです! これはご主人さま命令です! ちゃんと恩返しされてください!」
スン、と鼻をすすってネクターさんを睨みつけると、彼もさすがに気圧されたのか
「わ、わかりました」
とうなずいた。それから私の涙をもう一度優しくハンカチでぬぐって苦笑する。
「結局、お嬢さまにはかないませんね」
ネクターさんはハンカチをポケットにしまうと、再びオーロラの輝く空へと視線を移した。
まだまだ言いたいことはたくさんあるけれど、どれもうまく言葉にできないから。
私もネクターさんと一緒にオーロラを見上げる。
他愛もない会話をポツポツと繰り返しているうち、会場アナウンスがかかる。
「オーロラをお楽しみの皆さま、モミの木をライトアップいたします」
アナウンスが鳴りやむと同時、目の前にあったモミの木が、根本からゆっくりとライトアップされる。
「うわぁ……」
あたたかな豆電球の光に彩られたモミの木と、そのバックに見えるオーロラ。
映画のワンシーンでも、お目にかかれない光景だ。
「以上を持ちまして、光の祭典を終了いたします。お帰りの皆さまは、お手持ちのランタンを必ず点灯させ、お足もとにお気をつけてお帰りください。また、登山鉄道の運行は休止しております。ヒートチューブの運行は終日行っております。お帰りの際は、ヒートチューブをご利用ください」
祭典の終わりを告げるアナウンスに、自然と拍手が沸き起こった。
これで、デシにも春が訪れることだろう。
周りの人たちが帰っていく様子を見ながら、私たちも立ち上がる。まだまだこの美しい景色を楽しんでいたいけれど、あまり遅くなるとコロニーまでの帰り道で凍死してしまうかもしれないし……。
「すごく楽しかったし、綺麗でしたね!」
私がネクターさんを振り返ると、先ほどまでのご機嫌はどこへやら。ネクターさんは憂鬱そうに「えぇ」と小さく呟く。
「ネクターさん? どうかしたんですか?」
「……いえ。帰り道のことをすっかり忘れておりましたが、その、やはり、ヒートチューブに乗らなければならないんですよね……」
苦々しく吐き出すネクターさんに、なるほど、と私は思わず笑ってしまう。
「帰りは、やはり、下り坂……ですよね」
「当たり前です! 登ってきたんだから、帰りは絶対に下りますよぉ」
ネクターさんの足取りが一気に重くなって、まるで子供みたいだ。
「お嬢さま、今日はこの辺りで一泊していきませんか?」
「この辺りにホテルなんかないじゃないですか! ほら、ネクターさん、覚悟を決めてください」
行きますよ、とネクターさんの手を引くと、彼は今にも泣きだしそうな顔で「お許しください!」と声を上げる。
許すも何も、乗らなければホテルまで帰ることは出来ないのだ。だいたい、一泊したところで雪が減らなければ、登山鉄道の再開は見込めない。それこそ春になってしまう。
「怖いなら、ずっと手を握っててあげますから!」
「そういう問題じゃぁ……」
言いながら、帰りのヒートチューブの列に並ぶと、ネクターさんはいよいよ諦めたのかだんまりを決め込んでしまった。
それでも私の手を離さないあたりがかわいらしい。
「頑張りましょう! 何事も挑戦! です!」
「……お嬢さま、やはり先ほどの感謝はなかったことにしていただけませんか」
「それは無理なお願いです! 代わりにいっぱい恩返ししますから、安心してください!」
「ならば! ぜひ! 今すぐ恩返しと思ってヒートチューブの乗車をおやめください!」
無茶なお願いだ。悪いけれど、それで恩は返せない。
あっという間にヒートチューブの順番がやってきて――ネクターさんの絶叫がモントブランカ全体に響き渡ったことは言うまでもない。




