24.そのパン、ノスタルジック味(1)
ブッフェに置かれているパンの種類から製法、それ以外のお料理に通常メニューまで。
写真やイラストと共にぎっしりと情報のつまったパニストの食堂メニューは、もはや料理辞典だった。
加えて、ブッフェのテーブルから自分用の小皿へ取り分けている間、工場長がほとんどの解説をしてくれたおかげで、私の脳みそ容量はもういっぱいいっぱいだ。
料理オタクな料理長は工場長の話を一から百まで聞いていたみたい。いつもならさっさとメニューを決めてしまうのに、今回は私よりも席へと戻ってくるのが遅かった。
「お待たせしてしまって申し訳ありません」
しゅんと頭を下げる料理長の手にはしかし、様々な料理が美しく盛り付けられた皿がある。
量は私よりも少ないけれど、盛り付けにこだわりがあるのか見た目はかなり豪華だ。
「とんでもない。時間はたっぷりありますから。ゆっくり食べてください」
かくいう工場長は、私たちの中で一番お皿にたくさんの料理を盛り付けている。毎日食べて、そのおいしさを実感しているからこそ、お料理を選べないのかもしれない。
「我らの未来に幸あらんことを」
工場長の声に合わせて、私も両手を組んで食前のご挨拶。
風が吹くと、私たちはパンの香りに包まれた。早速、幸せいっぱいだ。
まずは工場長おすすめのオープンサンドから。
チリトにチーズ、それに豚ひき肉がカリカリのバゲットの上にのせられている。食欲をそそる香りがすごい!
ザクリ。一口目から豪快な音と共に、口いっぱいにチリトの辛味と酸味がツンと鼻を抜けた。
「ん!」
チーズの濃厚さが辛味をまろやかにしてくれて、そこに豚のガツンとした旨味が加わる。
何より、このバゲット!
外はカリカリ、中はもっちり。しかもバターがたっぷり塗られていて、パン自体もかなりジューシーだ。
トーストで香ばしく香り立つ小麦には自然な甘みがたくさん凝縮されていて、ほんのりと優しい後味が癖の強い素材をより引き立てている気がする。
バリバリの外側も食感が楽しいし、もちもちふわふわの内側もチリトやチーズのなめらかな食感とマッチしていて、とにかく最高!
「おいひぃ~‼ 最高です、工場長!」
「おぉ! そんなにおいしそうに食べていただけて、わたくし共も光栄です! チリトマトもあまり辛くないでしょう?」
「はい! チーズがあるから食べやすいです! 豚ひき肉もしっかり味がついてますし!」
「そうなんですよ! 豚もチリトマトも、実はうちで生産したものでして。小麦を作る過程で、色々と他にもやっておりましてね」
「そうなんですか⁉」
まさか、パン工場で豚の飼育や他の野菜まで育ててるなんて知らなかった。
驚く私の隣で、たまごのオープンサンドを食べていた料理長がおずおずと挙手をする。
「工場長、実はそのあたりも本日はお嬢さまに見ていただこうかと思いまして」
「もちろんですとも! ぜひ、ご覧になられてください。工場の方が面白いものも多いでしょうが」
面白いもの。料理長も言っていたけれど、まさかここでも登場するとは。これはよっぽど面白いに違いない。
どんなものかは行ってからのお楽しみ。そう言わんばかりに、工場長はそこで話を切った。
そのかわり、食堂に着いたことで切り上げられていた話題を再び持ち出した。
「お母さまとのお話が途中でしたね」
私も、そういえば、と気になっていた疑問が口をついてでる。
「私がお母さまに似てるって本当ですか?」
私の知ってるお母さまはバリバリのキャリアウーマンで、しっかりしていて優しくて、それに綺麗でかっこよくて、とにかく立派なレディって感じの人だ。
残念ながら私とは似ても似つかない。
だが、工場長はうんうんと大きくうなずいた。
「よく似ていらっしゃいますよ」
気を遣っている様子もなくて、どうやら心の底からそう思っているみたい。
「もう長く大貿易企業テオブロマの副社長さまでいらっしゃいますから、フランさまからすれば素晴らしいお人に見えるでしょうが……わたくし共が初めてお会いした時は、まだフランさまと同じくらいのお年頃のお嬢さまでした」
「年齢だけじゃないですか」
くそぅ。むくれると、工場長が困ったように笑う。
「はは、そう言わず。フランさまのお母さまも、好奇心が旺盛で、常に前向きにいろんなことに果敢に挑戦されるお方でした。正直に言えば、あまりにも破天荒でお転婆な娘さんだと思ったくらいです」
「お母さまが破天荒でお転婆⁉」
「おっと……これは内緒にしていただけますかな」
もちろんです、とうなずくと、工場長と(なぜか料理長も)ほっと胸をなでおろしていた。
工場長はそのまま当時を思い出したのか懐かしそうに目を細め、手元のパンに視線を落とす。
あのお母さまが破天荒だなんて。全然想像がつかない。
確かに時々思いつきで行動するようなところがあるけれど、基本的には落ち着いていて冷静沈着って感じだ。
「お嬢さまのように天真爛漫で、どんな人ともすぐに仲良くなるようなお方でした。それゆえに大きな人脈があり、貿易業も波に乗ったのでしょうが」
「今のお母さまからは全然想像が尽きません。でも、どうして工場長のところにお母さまが?」
「元々、わたくし共は小さな町のパン屋でした。昔はこの辺りももう少し人が住んでいましてね。ですが、小さな集落だったものですから、だんだんと人も少なくなってきまして。ここへ来るまでに麦畑はご覧になられましたか?」
「はい。すごく大きくて……確かに、おうちは少なかったですけど」
「実は、家が少なくなったところに麦畑を広げたんですよ。パニストが家のあった土地を買い取って麦畑にしたんです」
「へぇ~! すごい! それで、事業を成功させて、大きな工場になっていったんですね!」
開拓した麦畑でパン屋を大きく、なんてシュテープドリームだ!
私が感心していると、工場長は「いえいえ」と首を左右に振って見せた。
「その逆です。管理しきれないほどの土地を持っても、金がかかるばかりで。実は、廃業の危機に追い込まれたんですよ。小麦はあっても人がいない。パンの味に自信はありましたが、何せ売る相手がおりませんから」
料理長もランチを食べる手を止めて工場長の話に耳を傾けている。
工場長は「そんな時」ともったいぶるように手元でパスタを巻き付けた。
やがてそれを口へ運んで咀嚼すると、ゆっくりと顔を上げる。
「フランさまのお母さまにお会いしました。パニストのパンを多くの人に届けたいと、わざわざ国都からやってきてくださったんです」
工場長はにっこりと笑って、私に小さなバターロールを差し出した。




