238.これはきっと終わりじゃなくて、
「絶好の出航日和です!」
カラッと晴れたお日さまの下、遠くまで透き通る海を見つめて私は両手を空いっぱいに伸ばす。
ズパルメンティでの旅も全ての目的を達成したことで終わりを告げた。
何日か観光も出来たし、いよいよ出航だ。プレー島群最後の国、デシへと向かって出発する。
「昨日までの雨が嘘のようですね」
ネクターさんもお日さまを仰ぎ見て、眩しさに目を細めた。キラキラと輝く彼のブロンドの髪が海風に揺れる。
船を待っている私たちに、背後から声がかかった。
「フランさま、アンブロシアくん」
「ウェスタさん!」
「フォロ料理長⁉」
どうやら、わざわざ第三区画から駆け付けてくださったらしい。ウェスタさんは車を船着き場の脇へと止めると、こちらへと手を挙げる。
「ウェスタさん、この間はありがとうございました!」
「この間?」
「テオブロマ家の一人娘だってことを忘れてみろって」
「あぁ……そのことですか。うまく忘れられたようですね」
ウェスタさんは優しい笑みを浮かべると、そのままネクターさんの方へと視線を移して
「うん、アンブロシアくんも随分と良くなったみたいだ。また一段と明るくなったかな」
とネクターさんの肩を軽くたたいた。
「おかげさまで。僕も、少しずつ回復しているような気がしているんです。またご連絡を差し上げることがあるかもしれませんが……」
「かまわないよ。いつでも連絡してくれ。老いぼれは一人じゃ寂しいからね」
ウェスタさんはそんな冗談を言って、「そうだった」と何かを思い出したようにポケットから小さな箱を差し出す。
「これは?」
「お二人でお召し上がりください。海ガラスと言いましてね、伝統的なズパルメンティの飴細工です。初めて作ったのですが、なかなか良くできましたよ」
箱を開けてみると、中には綺麗なブルーのイルカが二匹並んでいる。
「うわぁっ! すっごくかわいいです! 飴には見えません!」
「さすがはフォロ料理長……相変わらず素晴らしい腕前ですね」
「はは、まだまだアンブロシアくんには負けてられないからね」
「これはさすがに僕も……いえ、僕も、負けないように頑張ります。フォロ先生」
「おや、もう料理長とは呼んでくれないのかい」
「料理長は僕ですから」
ネクターさんが、きっぱりと宣言すると、ウェスタさんは少しだけ驚いたように目をぱちぱちとまたたかせた。
けれど、次の瞬間には嬉しそうに笑ってネクターさんの方へと手を差し伸べる。
「元気でね。無理はしないように」
「はい、ありがとうございます」
ネクターさんもその手を取ると、しっかりと握りしめてうなずいた。
二人の別れを惜しむように船の汽笛が響く。出航の準備が出来たようだ。
私もウェスタさんと握手を交わし、お礼と共に別れを告げた。
デシへと向かう大型の船に乗り込んで甲板を見下ろせば、ウェスタさんが大きく手を振っている。
「ウェスタさん! お元気で!」
汽笛が三度鳴り響き、船がズパルメンティから出発する。
ウェスタさんの姿が見えなくなるまで私たちは手を振り続けた。
*
「フランちゃん!」
ネクターさんとウェスタさんからもらったイルカの飴を舐めながら甲板でのんびりと海を眺めていると、どこからともなく声が聞こえる。
キョロキョロとあたりを見回しても、声の主は見当たらない。
「上よ、上!」
言われた通りに空を仰げば――瞬間、私たちの上に大きな影が落ちた。
「スメラさん⁉ それに、フィーロさんも!」
いつか乗った水上機がゆっくりと船に並走するように降りてくる。
「久しぶりだな」
現れた濃紺の髪がキラリと揺れて、その奥にある綺麗な瞳と視線がかち合った。
「もう行っちゃうのね、寂しいじゃない」
「本当にお世話になりました! フィーロさん、フォンダーレ・マリーノのチケットをありがとうございました!」
「良いところだっただろう?」
「はい! すごく素敵で……絶対に忘れません!」
「お土産を持ってきたの。受け取ってちょうだい」
スメラさんが何かをピンと指ではじく。まるで魔法に導かれているかのように、海風にのってふわりとネクターさんの手に納まった。
覗き込めば、そこには綺麗な星の形をした小さなバッジが一つ。
「一度だけ好きな場所に連れて行ってくれるマジックスターよ」
「えっ⁉ そんなすごい道具なんですか⁉ 瞬間移動的な⁉」
私とネクターさんは思わず顔を見合わせる。もしかしなくても魔法道具だ。
「スメラ、盛りすぎだ。魔法で部屋全面に別の空間を投影するだけ。プロジェクションマッピングの上位互換だと思えばいい」
「あの感動体験は本物なんだから、盛りすぎくらいでちょうどいいの! まだ試作品だけど、ちゃんと動作確認はしたから安心してちょうだい」
フィーロさんに咎められながらも、スメラさんは誇らしげに笑う。
「使い方も簡単よ。行きたい場所をイメージして、バッジに触れながら魔法の呪文を呟くだけ」
「魔法の呪文?」
「そう、オープンセサミって唱えてちょうだい。そうすれば、魔法の扉が開くわ」
スメラさんは美しく微笑んで、ゆっくりと水上機を上昇させる。
「それじゃ、そろそろお別れね」
「あぁ、そうだな。あまり長居すると、またクラーケンが出そうだ」
フィーロさんのブラックジョークに私たちはみんなで苦笑した。
「それじゃあ、またいつか会いましょう」
「元気で」
「はい! お二人とも、本当にありがとうございました!」
私とネクターさんが手を挙げると、水上機がぐんと一気に上昇して、フッと魔法のように消えて見えなくなってしまう。
頬を撫でる風だけが、水上機の行く先を教えてくれる。
「……行ってしまわれましたね」
手を下ろしたネクターさんは、もらった星のバッジを大事そうに見つめた。
「一度だけ、好きな場所に連れて行ってくれる魔法道具、ですか」
「ネクターさんはどこか行ってみたいところはありますか?」
「……そうですね、お嬢さまのいらっしゃるところなら、どこへでも」
ネクターさんがチャラい!
私がじとりと視線を送れば、彼はふっと目を細める。
「デシの国でも、良い出会いがありそうですね」
話題と視線を同時に逸らして、遠く、海の向こうを見つめるネクターさんは嬉しそうだ。
最後の国、デシに着いたら私たちの旅も終わりを告げる。
でも、その時きっと、私たちにとって新しい何かが始まるのだろう。
漠然とだが、そんな予感がして、私もネクターさんと一緒に海の向こうを見つめた。