237.通じる本当の気持ち
「ネクターさん、私、分かりました!」
ガバリと顔を上げれば、ネクターさんは小さく口角を上げる。優し気な笑みは、やっぱりどこかウェスタさんのものに似ていた。
「えっと、正直なことを言ってもいいですか?」
「もちろんです、どうぞ」
「私、ネクターさんに、一緒に食事をしてほしいって言われて、素直に喜べなかったんです。あ! もちろん、嫌だからとかじゃないですよ! 自分でもどうしてか分からなくて!」
慌てて言葉を付け足せば、ネクターさんは「大丈夫ですよ」と苦笑する。
「お嬢さまは、嘘をおっしゃりませんから」
ネクターさんからおかれた絶大な信頼が嬉しい。
「その、本当に自分でもどうしてか分からなかったんです。だけど、今、テオブロマ家の一人娘であることを忘れて、ただの、フラン・テオブロマとして考えてみて……どうして素直に喜べなかったのか分かりました!」
「……理由をお聞きしても?」
「私、貿易業を継いでお家に戻ったら、ネクターさんとはもう、たまにご飯を一緒に食べることしか許されないんだなって思ったんです。それが、すごく寂しかった」
私はテオブロマ家の一人娘で、家業である貿易業を継ぐのは当たり前のこと。
対して、テオブロマ家では、料理長とその当主が一緒に食事をとるなんてありえないことだった。だから、そんなことを望むことすら難しいと、心のどこかで諦めていたのだ。
漠然と、ネクターさんと一緒にいたいと思っていたり、食事をしたいと思っていたりするはずなのに、それを真剣に望むことは出来なかった。
ネクターさんが料理長に戻ってくれればそれでいい、お屋敷に戻ってくれさえすれば、と思っていたのだ。
ネクターさんから「一緒に食事をしたい」と言われた時も、私は無意識にネクターさんと自分の立場を考えていた。
あぁ――旅が終わったら、私たちが当たり前に一緒にいることはありえなくて、食事くらいしか許されないのか、と。
「すごく、寂しかったんです。私は、ネクターさんともっと一緒に旅をしたり、いろんなものを食べたり……ずっと、この旅が続けばいいのにって思ってたのに、それは出来ないんです。それに、ネクターさんも……それを望んでいないのかって思うと」
旅が始まったころには考えもしなかった。
そもそも、私がテオブロマ家の一人娘じゃなくて、家業を継ぐ必要もなければ、そんな風には思わなかっただろう。
「こんなことを主人である私が言うのは、本来は許されることじゃないかもしれません。だからこそ、言えなかった。でも、私がただのフラン・テオブロマなら……ネクターさんと、もっと一緒に旅が出来たらいいのにって、思うんです」
素直な気持ちを吐き出すほどに、心にあったモヤモヤは消えていく。
テオブロマ家の一人娘では言えなかったことばかりだ。
私が大きく深呼吸してネクターさんを見ると、彼はなぜか口元を手で覆いながら私から目を背けていた。
そのせいで、彼の表情が良く見えない。
だから、私は我に返って慌てて付け加える。
ネクターさんを困らせたいわけじゃないから。
「あっ! でもでも! 私はやっぱりテオブロマ家の一人娘ですから! ネクターさんがお屋敷に戻ってからも、一緒に食事をしようって言ってくださるだけで十分嬉しいんです! だから、今言ったことは忘れてください! 言葉に出来ただけでもすっきりしたっていうか!」
ネクターさんにとっては、私のわがままは負担になるだけだ。
せっかくお屋敷の料理長に戻りたいと思っていてくださっていたのに、私がまだ一緒に旅をしたいだなんて言ってしまったら、断るに断れないはず。
失敗したかも、と私が「ごめんなさい」と謝れば、ネクターさんから「いえ!」と珍しく大きな声で否定が返ってきた。それもすごいスピードで。
「その、すみません。嬉しくて……なんと、申し上げたらよいか……」
ネクターさんは口元を未だ手で覆ったまま、ますます私から視線を外す。
やがて、ズビリと鼻をすするような音が聞こえ、「すみません」と謝罪の声が聞こえた。
「別にネクターさんが謝ることなんて何も!」
「いえ、その……って、お嬢さま! 僕を見ないでください!」
覗き込んだネクターさんの頬は涙で濡れていて、私には何がなんだかさっぱり訳が分からない。
「ど、どうしちゃったんですか⁉ ハッ⁉ もしかして私のせい⁉ 私がわがままなんて言ったから……」
「違います!」
ネクターさんの大きな声に遮られて、私のお口はすごい勢いでチャックされた。
ネクターさんがゴシゴシと目をこすって、ふぅ、と息を吐く。
「お嬢さまに、そんな風におっしゃっていただけるとは思わなくて……。つい、感極まってしまって……」
「え?」
「僕はただの料理人ですし、お嬢さまの付き人としてもまだまだ至らないことだらけで。それなのに、お嬢さまは食事どころか、一緒にいたいと言ってくださる。こんなに光栄なことはありません」
ネクターさんはふにゃりとへたくそな作り笑いを浮かべて、もう一度目にたまった涙をぬぐった。
「情けないところをお見せしてしまいました、申し訳ありません」
ペコリと頭を下げる姿は何度も見ているはずなのに、どこか清々しさを感じる。
「……こんなことを言われて、困ってないんですか?」
「困りませんよ。もちろん、僕の力だけでは叶えて差し上げることが難しいお願いですから、そこは心苦しく思いますが……。お嬢さまから、こうして本心をお聞きすることが出来て嬉しくないわけがありません」
ネクターさんの表情を窺ってみたけれど、嘘をついている風でも、社交辞令でもないようだ。
なんだかホッとして、私まで思わず涙腺が緩みそうになる。
「それに」
ネクターさんは口を開いてから、少しだけ迷ったように視線をさまよわせた。けれど、それもすぐに覚悟を決めたのか、視線を私に向けて言葉を続ける。
「僕も、本音を言えば、お嬢さまともっと一緒にいたいと思っておりますよ。食事だけでなく、様々な経験を共にしていきたいと」
言い終わったネクターさんの顔がまた耳まで真っ赤に染まっていく。
今度はそれを隠さなかった。ただ控えめにはにかんで、真剣な瞳でこちらを見つめている。
そのせいで、必死に止めていた私の涙腺はあっという間に崩壊して――
「お嬢さま⁉」
ネクターさんを慌てさせることになったのだった。




