234.ケルピーとロア、その味は(1)
「お嬢さま、お食事の準備が出来ましたよ」
扉の向こうからネクターさんの声が聞こえて、私は部屋を飛び出した。
心のモヤモヤはまだ残ったままだし、ウェスタさんから出されたなぞなぞも解けてはいない。
だけど、腹が減っては戦ができぬ! まずは腹ごしらえだ!
「えぇっと……僕の部屋で申し訳ありませんが、テラスに全てご用意しましたので。どうぞおあがりください」
少しだけ申し訳なさそうにしつつ、ネクターさんが隣の部屋の扉を開けて私を手招く。
「お体の具合はいかがですか?」
「体は大丈夫です! でも……」
「でも?」
「いえ! お食事の後にします!」
綺麗に片付けられたネクターさんのお部屋を通過して、奥のテラスに出る。
小さなテーブルと椅子が二つ。
テーブルの上には、綺麗に盛り付けられたお食事が並んでいる。
「うわぁ! すごいです! これ、全部ネクターさんが⁉」
「えぇ。テーブルにのりきらなくて、いくつかまだ部屋の冷蔵庫に。後でお出しします」
「ありがとうございます!」
やっぱり、ネクターさんのお料理ってすごい!
どれもすごくおいしそうで、自然と笑顔になっちゃうんだもん!
ケルピーのお刺身にカルパッチョ、お寿司みたいになっているのはロアだろうか。白い身がふわふわと浮いているお吸い物からも上品な香りがする。
「出来るだけ、素材の味を活かすようなレシピを考えたんです。一応、漁港の方々にも味見していただいたので、問題はないかと思うのですが……」
ネクターさんが照れくさそうにはにかんで、ワイングラスにナーヴィを注ぐ。
グラスを持ち上げれば、それは乾杯の合図だ。
街の向こうに広がる海へと夕日が沈んでいく様子が見える。
やわらかな街灯に包まれた第七区画の景色を見つめてから、私たちは
「乾杯」
とグラスを鳴らした。
「まずは、お吸い物を。ナーヴィとは合わないかもしれませんが、体が温まります」
「この白い身は?」
「ロアの湯引きです」
お箸でつまみ上げると、ふわふわとした身が揺れる。
早速口へ運んでみると、繊細ながらも品のある香りが口いっぱいに広がった。やわらかな食感は、ほどよい脂身があるのか噛むほどに出汁と旨味が染み出る。
溶けるようにほわっと解ける身の甘さが、お吸い物に入っていた柑橘の酸味と苦みにもよくマッチしていた。
「……おいしい……! こんなに上品な白身魚は初めてかもしれません!」
私がパッと顔を上げると、それはもう神のごとく慈愛に満ちた瞳でこちらを見つめるネクターさんと目が合った。
照れくさくなって、私は慌てて次のお料理へと視線を移す。
「ケルピーの刺身とカルパッチョもどうぞいただいてみてください」
「ありがとうございます。どっちもおいしそう……」
まずはケルピーのお刺身へと手を伸ばす。
塩抜きがされているのか、半透明の白い切り身になっている。プルプルと揺れるさまはゼリーのようで面白い。
パクリ、一口放り込めば……。
「んんっ⁉ 口の中で溶けてなくなっちゃいました……!」
噛む暇もないほどに、ツルンとした舌触りが、そのままなめらかな口当たりに変わって消えていく。
「すごい……! 一瞬で消えちゃったのに、味がしっかり口の中に残ってます! 濃厚な脂の甘みと塩気が合わさって……すっごくおいしい……!」
これ以上ない極上のくちどけと味わい。
薄い膜が口内を覆ってしまったんじゃないかと思うくらい、溶けた脂が口の中に残る。それがまた贅沢な味になっているものだから、これだけで一生が過ごせそう。
味付けもされていないまさに素材そのものの味なのに、こんなに旨味が詰まってるなんて!
「とろけるぅ……」
はふぅ、と息を吐いて、緩みまくった頬をなんとか手で押し上げる。
そんな私の様子がおかしかったのか、同じくケルピーのお刺身を食べていたネクターさんが笑った気配がした。
「カルパッチョもいきます!」
「どうぞ、お召し上がりください」
お刺身よりも薄く切られたケルピーのお肉が、再びツルリと口の中へ滑り込む。
だが、今度は先ほどとは違って、コリッとした感触があった。
「んっ⁉」
モキュモキュとした噛み応え。噛むたびに、お肉にかかっていたソースのオリーブオイルやレモンの酸味と、お肉の塩味がマッチしていく。
クイッとナーヴィをあおれば、爽やかなヴィニフェラの香りが口の中の脂をさっぱりと胃の中へ流し込んだ。
「これはこれでおいしいっ……! 同じような見た目なのに、こんなに違うなんて! ナーヴィとも合います! 最高です……!」
「お刺身とカルパッチョは別の部位を使ってみたんです。気に入っていただけて良かった」
「本当においしいです! お刺身だけだったら、重くなりすぎそうだし、カルパッチョだけだと物足りない感じがするから、この二つで一つのお料理って感じがします!」
私の感想に、ネクターさんがハッと目を見開く。
「……そう、言っていただけて嬉しいです。こんなにも光栄なことはありません」
ネクターさんの意図した通りだったらしい。
彼は饒舌にケルピーのお肉についてや、その料理法について語り始める。
旅の最初のころは、このお料理談義だって真面目には聞いていなかったような気がするのに、すっかりこれがお食事中の楽しみの一つになってしまった。
しばらく解説を聞きながら、ロアのお吸い物とケルピーのお刺身、カルパッチョを楽しむ。
まだ冷蔵庫の中にもお料理が入っていると言っていたから、まずはこれらのお皿を片付けることが先決だ。
二人で食べ進めているとあっという間。
お皿がいくつか空いたところで、
「さて、そろそろ僕は次のお料理をお出しする準備をしてまいります。少々お待ちくださいね」
ネクターさんが立ちあがった。
残された私の目の前にあるのは、ロアのお寿司。こちらも、かわいらしくもおいしそうな見た目で、早く食べたい衝動がかき立てられる。
ネクターさんが戻ってくるまでは我慢よ、フラン!
自らにしっかりと言い聞かせて、少しの口さみしさをナーヴィでごまかす。
部屋の方から良い匂いが漂ってきて、私のおなかがキュウと小さく音を立てた。
 




