233.モヤモヤ? 答えを探して
どうして素直に「もちろんです」と言えなかったのだろう。
下船準備をしながら、私は自らの心に問いかける。
ネクターさんのわがままに、私はただうなずくしかできなかった。
曖昧に笑って、「嬉しいです」と取ってつけたような言葉を並べて。
ネクターさんは嬉しそうに笑みを浮かべてくださったけれど、それが胸に刺さって抜けない。
「……なんで?」
自分でも分からない。
だって、貿易業を継いでも、ネクターさんと一緒に食事が出来るなんて嬉しいことだし。
今まで、テオブロマ家では料理長が一緒に食事をとることはなかったけれど、別に悪いことじゃない。お父さまもお母さまも、言えば分かってくれるはずだ。
毎日は無理でも、時々ならなおさら。
それなのに、このモヤモヤは?
私が小さく息を吐くと、ケルピーとロアが入ったクーラーボックスを抱えたネクターさんが
「大丈夫ですか?」
と私の顔を覗き込んだ。
「だっ! 大丈夫です! ちょっと、疲れちゃったのかもしれません! ほら、色々ありましたし!」
「そうですね。ケルピーの捕獲は本当に大変でしたし、ロアも緊張感がありましたから。知らないうちに気が張りつめていたのでしょう」
そうでなくても、海上にいてずっと風に当たり続けていれば疲労もたまる。天気にも恵まれて、日にも当たり続けていたし。
ネクターさんは優しく気遣うようにいくつか思い当たる節を並べて、私の隣に腰かける。
「港についたら、一度ホテルへ戻りましょう。夕食が出来たらお呼びしますから、お嬢さまはお休みなさっていてください」
「だけど……」
「きっと、第一区画で料理を作った時のように、このあたりにもキッチンがあるはずですから探してみます。大丈夫ですよ。僕にお任せください」
ちょうど僕もレシピを色々と考えたいと思っていたところでしたし、とネクターさんは笑う。
彼の気遣いが嬉しい反面、申し訳なくて辛い。
これ以上一緒にいても、ネクターさんに迷惑をかけてしまうだけ。
自分自身が抱えているこの感情をうまく整理できていない今の状態では、ネクターさんに何かを伝えることも出来ないし。
「……それじゃあ、お言葉に甘えて」
「はい。ご無理はなさらずに。もし何かあれば、すぐおっしゃってください。今なら、フォロ先生もついておりますし」
確かに、ウェスタさんに相談してみるのは良いかもしれない。
心療内科の先生だって言っていたし、もしかしたら、私のこの渦巻くモヤモヤをうまく対処してくれるかも。
「ありがとうございます、ネクターさん」
私が頭を下げると、ちょうど船が港についたらしく、「おりるわよん!」と看板娘さんの声が聞こえた。
*
ホテルでネクターさんと別れて、私はウェスタさんへと電話をかける。
数回とコールしないうちに「はい」と落ち着いた声が聞こえた。投影された仮想スクリーンには、ウェスタさんの顔が映る。
「もしもし? ウェスタさんですか? フランです」
「おや、お嬢さま。どうかされましたか?」
「えっと、その……」
いてもたってもいられなくて電話をかけてしまったけれど、うまくこの想いを言葉にする準備は整っていなかった。
なんとなくネクターさんに言われて名案だと思ったけれど、これではウェスタさんにも迷惑をかけてしまう。
「……焦らなくとも、時間はたくさんありますから。大丈夫ですよ」
画面越しに私の表情を読み取ったのか、ネクターさんと同じような優しい口調が聞こえた。
声だけ聞いていたら、ネクターさんとウェスタさんはまるで本物の親子みたいだ。
「ごめんなさい。その、うまく、言葉に出来なくて……。なんて言ったらいいのか……」
「今日は何をなされていたのですか?」
「え? えっと、今日は、ネクターさんと一緒にケルピーとロアを捕まえに行ってきました」
「捕まえに? まさか、ご自身で?」
ウェスタさんが珍しく驚いたように目を丸くする。
まさか仕えていたお屋敷のお嬢さまが、漁船に乗って自らケルピーやロアを捕まえるとは思ってもみなかったのだろう。
「たまたま漁に出る船があるってお聞きして。乗せていただいたんです」
「そうでしたか。大変だったでしょう」
「あはは、そうですね。それで少し疲れちゃったのかもしれません……」
「なるほど。一心同体、どちらかが疲れれば、もう片方にも影響が出ます」
ウェスタさんの優しい笑みが「それで」と続きを促した。
今日の話題を振ってくださったおかげで、先ほどよりも少し気持ちも落ち着いている。
うまく話せる自信はないけれど、今ならまだ、伝えたいことを伝えられそうだ。
「その……漁が終わった帰り道に、ネクターさんから言われたんです。お屋敷に戻って、私が家業を継いでも、一緒に食事をしないかって」
ウェスタさんは何も言わずに、ただ静かにうなずいてくださる。
私は、ゆっくりと深呼吸を一つ。取りつくろわずに、素直な気持ちを言葉にした。
「それで、私……、嬉しかったのに、素直にそれを喜べなくて」
ウェスタさんは「ふむ」と口元に手を当てる。考える時の仕草まで、ネクターさんと一緒だ。目を伏せ、慎重に言葉を選ぶような仕草も。
しばらくして、メガネを持ち上げたウェスタさんが、画面の方へ向き直った。
「お嬢さまは、モヤモヤとした気持ちを抱えていらっしゃるのですね。嬉しいはずなのに、素直に喜べない。その矛盾を抱えていらっしゃる」
ピタリ。言い当てられた思いに、私は思わず「そうです!」と大きな声で返事してしまう。
ウェスタさんはそれでも驚くことはなく、優しいまなざしをこちらに向けた。
「それは、おそらくですが……お嬢さまがアンブロシアくんのことを、大切に思っている証拠なのではないでしょうか」
「え?」
予想もしていなかった言葉に、前のめりになった私の体が後ろへと引き戻される。
「……大切に思っている証拠?」
この心のモヤモヤが?
自らの心に問いかけても、はてなマークが浮かぶばかりだ。
けれど、そんな私を見透かすように、ウェスタさんがふっとやわらかく笑う。
「テオブロマ家の一人娘であることを、一度忘れてみてください」
「え?」
「そうすればおのずと答えが導きだせるかもしれません」
まるでなぞなぞみたいなウェスタさんの言葉に、私はさらに首をかしげた。