232.料理がつないでいくもの
「大きいですね……!」
一体人間何人分なんだろう。想像することが難しいくらいの長さと太さを持った巨体が、パチパチと小さく光を放つ。
「はぁ~ん! 今日は大漁ねん! 最高だわん! きっと素晴らしいお客さまのおかげねん」
ロアを捕獲した看板娘さんは息を吐く間もなくクレーンから飛び降りて来て、再び手を広げる。私とネクターさんを同時に捕まえたかと思うと、そのままの勢いでガシリと抱きしめられた。
「んっふふん! あなたたちって最高! こんなに大きいロアちゃんが捕れるなんて久しぶりなのよん! 勝利の女神だわん! いや、勝利のカップルねん! これこそ愛の力! ラブイズパワー! パワーイズラブ‼」
なんだかよく分からないことを叫びながら、看板娘さんは私たちから離れて船員さんたちにも同じようにとびかかる。
船員さんたちはすでに慣れているのか、みんな人間とは思えない速度でそれを回避していた。
「なんていうか……とりあえず、良かった、ですね」
ポカンと口を開けているネクターさんに笑いかければ、彼も現実に引き戻されたのか
「え、えぇ。あまりにも展開が早くて、というか、ロアが想像していた以上のもので、正直なんと言ってよいか……。お嬢さま、お怪我はありませんか」
と苦笑した。
「私は大丈夫です! ケルピーの時も、ロアの時も、ネクターさんが守ってくださったから!」
「そ、それは! その! あの時は申し訳ありませんでした!」
「大丈夫ですよ! 気にしないでくださいっ!」
思い出したら顔が熱い。パタパタと手であおいで、熱を冷ます。
あれは事故、あれは事故!
なんとか話題を変えようと、船員さんたちが始めたロアの解体を指さした。
「ほら! 解体が始まってますね! ロアは、人によって感想が分かれるって言ってたし、私もどんな味がするのか想像がつかなくて楽しみです!」
ロアはさすがにケルピーのようにはいかないみたい。
結構な血だまりが船の甲板に出来ていて、さすがにずっとは直視していられなかった。
時折、バチッと静電気がはじけたような音がするのもちょっと怖いし。
ネクターさんはじっと目に焼き付けるように解体を見つめている。
さすがは料理人だ。魚をさばくことや、血を見ることには慣れているみたい。
しかも、ロアの解体を見ながらも、無意識なのか彼は手が動かしていた。まるで船員さんたちの動きをトレースしているみたいに。
「ロアはどうやって食べるのがおいしいんですか?」
「そうですね……。ロアの蒲焼きが鉄板の食べ方で……後は、煮込み、鍋、焼き物も。部位によっておそらく、かなり食べ分けられているかと」
ネクターさんは、私の質問に答えて手を止めた。
ロアの解体も終わりが近づいてきているようだ。ネクターさんは「ふむ」とうなずいて、視線を私の方へ向ける。
「どうして人によって意見が分かれる食べ物なのか、少し分かった気がします」
「え⁉ 解体を見てただけなのに⁉」
「魚の脂肪や身のつき方、骨格……。それらを見れば、なんとなく想像が出来るんです。味は分からずとも、今までの経験を体が覚えているのかもしれません」
興味深い体験です、とネクターさんはまるで他人事のように呟いて、胸ポケットからいつものメモ帳を取り出す。
そういえば、ネクターさんのメモ帳をきちんと見るのは初めてだ。
「ロアの構造は少し独特で、電気を生み出す器官がここに。それから、電気を通す管が体中に走っているようです。その周りに、自身が感電しないような分厚い脂肪の層が……」
私に説明するように、ネクターさんは綺麗に線を引いていく。絵が上手だ。よくわかる。
「この脂肪の層は、おそらくあまりおいしくない部位ですね。どちらかというと、この、電気を生み出す器官の周りについた身の方が……」
サラサラと書き留めていくネクターさんは、絵の隣に、調味料の名前や調理法も一緒に記していく。
何が合うのか、どうやって調理するとおいしく食べられるのか。
試したいことや、今までの経験から得た知識がそこに詰まっているのだろう。
「すごいです、ネクターさん! こんな風に想像できるなんて……!」
「大したことではありませんよ。料理は試行錯誤の繰り返し。ですが、僕の場合は他人から正解が与えられてしまいます。それでは、自分の料理が作れませんから。こうやってわざと考えるように習慣づけを。いつの間にか癖になってしまって」
他人が作った料理の味。それが完璧に分かってしまうからこそ、自らの味を追求する。
ネクターさんの料理人としての根本的な姿勢はそこにあるのだろう。
ネクターさんにとってお料理は、もしかしたら私が想像している以上にもっと、ネクターさん自身を作りだしているのかもしれない。
「ネクターさんのお料理が、すごく楽しみです」
「喜んでいただけるようなお料理を作ることが出来るよう、お嬢さまのために全力を尽くします」
「そんな大げさな! ネクターさんが食べたいって思えるものを作ってください!」
自らにプレッシャーをかけてしまうのも癖みたいだ。
「ネクターさんって完璧主義ですよね」
「そんなことは……。いえ、そうなのかもしれませんね。絶対味覚がなくなって、完璧だなんてもう無理だというのに変なものです」
自虐ではなく、本心からふっと穏やかな笑みを浮かべたネクターさんはメモをしまいこんで、ぐっと背伸びをひとつ。
「……ですが、完璧を求めているのではなく、少しでもお嬢さまを喜ばせたいと思っているのが今の正直な気持ちです。お嬢さまの喜ぶお顔を見ると、僕も嬉しくなるんです。だから、そのために頑張りたい、と」
ネクターさんは清々しい表情で海を見つめた。
聞いている私としては、かなり恥ずかしいセリフに聞こえるけれど、ネクターさんがこちらを見ていないおかげでほんの少しだけ平常心が保てる。
「……ありがとう、ございます」
小声のお礼は、波の音に混ざっていく。
「お嬢さま。一つ、わがままを申し上げてもよろしいですか?」
「わがまま?」
「えぇ、それも、とびきりの。今言わなければ、決心が揺らいで、二度と言えなくなるような気がして。また、後悔してしまいそうです」
分かりました、とうなずけば、ネクターさんは海を見つめたまま口を開いた。
「お嬢さまが貿易業を継がれて、テオブロマ家でご立派に働かれることになっても……僕と一緒に食事をしていただけませんか」
まるでプロポーズみたいな口調で。
ネクターさんの優しい琥珀色をした瞳がゆっくりと私をとらえた。