231.全力! ロアを引きあげろ!
私とネクターさんがケルピーを少しだけいただいている間にも、船は沖の方へ進んでいく。
さばきたてのケルピーはゼリーみたいになめらかで、しょっぱいくらいの塩気がアクセントになっていた。生ハムみたいで、お酒が欲しくなる。
ネクターさんと二人で大切に命を噛みしめた。
借りたカッティングボードとナイフを片付けていると、
「そろそろつくわよん!」
拡声器から看板娘さんの声が聞こえる。
次なる獲物、ロアが棲息している海域に到着したらしい。
「船長、深海探知レーダーに反応あり! かなりデカいですね!」
甲板から船員さんの声が飛ぶ。操縦室から出てきた看板娘さんが静かにうなずいた。
また、あの捕食者の目だ。
「クレーンを下げるわん! 絶縁瓶を二つ……いや、三つ取り付けて下げてちょうだい!」
「了解しました!」
「絶縁瓶?」
「おそらくですが……またあの、魔法のガラス瓶の一種でしょう」
ネクターさんがクレーンの方を苦笑しながら見つめる。効果絶大な魔法瓶とはずいぶんと縁があるみたいだ。
しばらくすると、黒っぽい液体が中に入ったガラス瓶を船員さんたちがクレーンの先端にくくりつけた。
どうやらあれが絶縁瓶らしい。
「ロアは体内で電気を生み出しますから、下手に触ると感電してしまう恐れがあります。大きなものは特に電圧が高く……捕まえるためにも、電気を通さないように保護する必要があるのでしょう」
「絶縁瓶って……そっか、電気を通さない絶縁体が入った瓶だから、絶縁瓶ですね⁉」
「僕も詳しくは分かりませんが、お嬢さまのおっしゃる通りかと。魔法って、なんでもありなんですね」
感心したようにネクターさんがクレーンを見つめる。
大きなおもりとガラス瓶が取り付けられたクレーンは、船員さんたちの手によってゆっくりと海の底へ沈められていった。
「レーダーに再び反応あり! クレーン、さらに深度を下げます!」
「了解よん! そのまま降ろし続けてちょうだい!」
「船長‼ 想定よりも大きい反応です!」
「あらぁ、それは最高ねん! 大きいロアちゃんってアタシ大好物なのん!」
看板娘さんが舌なめずりを一つ。
優雅な足取りで操縦室に戻ったかと思うと、画面やスイッチをいくつか切り替えていく。
「クレーン操縦員以外は全員、碇を下ろしてちょうだい! 船全体の異常電圧感知システム作動! 絶縁シールド展開!」
「はっ!」
船員さんたちがバタバタと船の四方へ散っていき、大きな碇を数人がかりで海へと放り投げる。かと思えば、何やら薄暗い透明な膜が船の周りを覆っていく。
「ね、ネクターさん⁉ 一体何が⁉」
「わかりません! お嬢さまはこちらへ!」
ネクターさんが私をかばうように、体を引き寄せる。
「あらぁ、二人ともん! 怖がらなくて大丈夫よん! これはロア専用の防御壁。船がロアの電圧でやられないようにするためのものだから、人体には影響はないわん」
いつの間に操縦室から出てきたのか、看板娘さんがにっこりとこちらに笑みを浮かべる。
看板娘さんはそのままクレーンの方へと近づいていくと、海を見つめてピンクの長い髪をかきあげる。
堂々とした風格は、まさに船長のそれだ。
瞬間、クレーンのロープがガクンと大きく引っ張られた。
「来たわよん!」
看板娘さんの声で、碇を下ろし終えた船員さんたちがクレーンの周りに再び集まってくる。
「さぁ……ロアちゃん! アタシたちと力比べでもしましょうかっ! 組み伏せて、蹂躙してあ・げ・る」
看板娘さんがねっとりとささやくように呟く。この声量とは裏腹に、クレーンのロープを掴む腕には血管が浮いて出ていた。
「全員でいくわよん!」
その合図と同時、「せーのっ!」と船員さんたちが声を上げる。
ロープの先につなげられたモーターが一気に回転し、ロープがすごい勢いで引き上げられる。
だが、ロープの先にいるロアが簡単に釣られてはくれないのだろう。必死の抵抗をしているのか、機械にも負けないパワーでロープを引く。
ギチギチと音を立てるロープは均衡を保っていて、まるで静止しているかのようだ。
「んふふ、いいわねん! 抵抗する子って調教のしがいがあって大好きだわん!」
看板娘さんがうっとりした笑みを見せて、さらにロープを引く。腕力でクレーンの根本から引き上げられるロープは、ロアを引きずり出さんとする勢いだ。
いつロープが切れてしまってもおかしくはない状態。
看板娘さんの額にも汗が浮かんでいる。
後ろから看板娘さんを支えるように、船員さんたちもロープを引く。引く。引く。
全員が「おーえっ!」と大きな掛け声でズリズリとロープを巻いていく。
一瞬でも、誰か一人でも、力を緩めたらそこで負け。
ロアの力によって、海の中へ引きずりこまれてしまうかもしれない。
私とネクターさんは祈るような気持ちで海面を覗き込む。
色や正確な大きさまでは見えないが、黒い魚影が海面にゆらゆらと見えてきた。
バチバチと放電するように水面が光っているのは、ロアの電気を生み出す特性ゆえか。絶縁瓶を使って捕獲しているというのに、それを突き破りそうな勢いで稲光が水中に光っている気がする。
「さぁ、そろそろ決めましょう! アタシたちの勝ちよん!」
看板娘さんの声が高らかに響く。
瞬間、パリンッ! とガラス瓶のはじける音がして、海が一瞬黒く濁った。
バチィ!
光がパッと一瞬明るく私たちを照らしたかと思うと……やがて、視界が薄暗くなる。
「……お、わった?」
キュルキュルと音を立てるクレーンの滑車。ゆっくりと回るモーター。絶縁シールドによって薄暗くなった船内に、間接照明のようなぼんやりとした明かりが落ちる。
黒い球体に包まれた大きな魚。
「……あれが、ロア……」
まるで世界の終わりを体現するかのような登場に、思わず私とネクターさんはゴクリと唾を飲んだ。
船内にゆっくりとおろされるロア。
床と黒塊が接地した瞬間、ロアを包んでいた絶縁体がふわっと溶けるように空へ昇っていき……中から、淡く輝く長い胴体をもったヘビのような体が現れる。
その神聖さは、先ほどの様子とは真逆で。
「すごい、ですね……」
私はただただ、その迫力に圧倒されるばかりだった。