230.命、ケルピーの解体
「疲れたでしょう? ふたりは休憩してていいわよん! お手柄だわん!」
看板娘さんが、私たちに飴玉を二つほうり投げた。
船員さんたちは捕まえたケルピーをせっせと船へ水揚げしている。
馬より少し小さくて細身なケルピーだけど、当然、人間よりは大きいわけで。そんなケルピーが入った網を数人がかりで持ち上げているのだからすごい。看板娘さんに至っては、一人で持ち上げていた。
休んでいていいと言われても、ケルピーの様子が気になって、私たちは水揚げの様子を眺める。
「すごい……。これがケルピーなんですね……」
水から揚げられたばかりのケルピーの体はキラキラと透明に輝いていたのに、船内へとおろされるころには凍り付いたような白だ。
「不思議な光景ですねぇ」
「ケルピーは体を海水に馴染ませる特性を持っているんですよ。水揚げされた後も体内に塩が残るんですが、水揚げされた後に体が白く変化するのは、凝縮された塩が外へ出ていくからだそうですよ」
ネクターさんの教えを聞きながら、私はまじまじとケルピーを観察する。
体の表面に宝石みたいな結晶の粒がいくつもついているけれど、これが塩なのだろうか。
「馬肉のようなコクと、深い味わい、生ハムのような塩気。それに、特徴的ななめらかな舌触りと……最高級の肉の一つであることは間違いありません。山のドラゴン、海のケルピーなんて呼ばれるくらいです」
ネクターさんの解説を聞いていると、近くにいた船員さんたちも「詳しいな」と感心している。
「おいしそうです……! 生でも食べられるんですか?」
「えぇ。少し下処理が必要ですが、食べられますよ」
それはぜひいただいてみたい! ネクターさんと二人で勝ち取った一頭だ。
もちろん、一頭丸々なんて食べられないし、もとはと言えば、看板娘さんや船員さんたちのおかげなんだけど。
どうせロアの海域につくまで、私たちが出来ることもないし……。
「そうだ! この船ってお料理は出来ますか?」
近くの船員さんに尋ねれば、彼は「もちろん」とうなずいた。
「簡単なナイフとカッティングボードくらいならあるよ。なんなら、お嬢さんたちの分を先にさばこうか?」
「いいんですか⁉」
船員さんの提案に声を上げたのはネクターさんだ。
「かまわないさ。実は俺も一頭捕まえたんだ。だから、後でさばくつもりだったし、一頭が二頭に増えたところで、たいして時間もかからないよ」
船員さんは「ちょっと待ってて」と近くにいた人へ声をかけた。さばくための道具を持ってきてくれるようだ。
そうこうしている間も、船は休むことなくロアのいる海域へと向かって動いている。
だが、ケルピーの水揚げが終わったら、後はロアを捕まえる準備をするくらいで、ケルピーをさばいていても問題はないらしい。
「ここで解体するんですか?」
「あぁ。お嬢ちゃんも見る? ケルピーは魔物だから、血の代わりに魔素と海水が出てくるんだ。どっちも水みたいなものだし、お嬢ちゃんでも見てられると思うよ」
「一緒に見てみましょうか。もしも、ご気分が悪くなられるようでしたらお声かけください」
ネクターさんの優しい気遣いも相まって、「それなら」と私も見学することにした。
横に倒されたケルピーの体に、船員さんが大きなナイフを差し込んでいく。
開かれたおなかから、海水なのか魔素なのかは分からないけれど透明な液体があふれ出た。
クレアさんの養鶏場でもコカトリスをしめているところを見せてもらったけれど、改めて、その時感じた命の重さを噛みしめる。
船員さんは手際よく、ケルピーを部位ごとにブロック状へ切り分けていった。
切られた断面は魔素が残っているのか、それとも外気に触れていなかったからか、まだ透明なままで、なんだかゼリーみたいだ。それも、時間が経っていくうちにだんだんと白っぽくなっていったけれど。
「……おいしく、いただきましょうね」
私がそっとネクターさんの服の裾を握れば、あたたかな温度で手が握られた。
「責任をもって、命をいただきましょう」
ネクターさんが私の手を握り返したのだと分かった。彼は、泣きそうな顔で肉塊になっていくケルピーを見つめる。
解体は驚くほどあっという間に終わって、解体されたケルピーのお肉はクーラーボックスへとしまわれた。
船員さんに「はい」と笑顔で渡されて、私たちもそのクーラーボックスを受け取る。
「氷水に少しつけておくと、塩が抜けていくから。十分もおけばそのまま食べられるくらいにはなる」
「わかりました、ありがとうございます!」
ネクターさんはカッティングボードとナイフも受け取って、クーラーボックスの中で氷と一緒に揺れるお肉へと視線を移した。
その視線にはいまだなんともいえない複雑な感情が宿っている。
対して船員さんは、続けざまに自分のケルピーを再び解体していた。
慣れているのか、感慨に浸ることはないみたいだけど、丁寧な手つきからはケルピーの命を軽んじているわけじゃないんだってことが分かる。
「……コカトリスの時もそうでしたが、僕は、料理人としてまだまだだと改めて思います」
ケルピーの塩抜きが終わるのを待つネクターさんは、海を見つめてポツリと呟いた。
「以前も、食材へのこだわりは持っていたつもりです。ですが、あくまでもそれらは食材で、命だとは思っていなかった。もっと、命とも向き合わなくてはいけませんね」
きっと、向き合った答えが料理になるのでしょう。
ネクターさんは、自らに言い聞かせるような口調で私に笑いかける。
「お嬢さま。せっかく解体していただきましたが、今は少しいただくだけにしておきませんか?」
「もちろん良いですけど、どうかしたんですか?」
何やらネクターさんの中で決意が生まれたらしい。
いつもよりも力強く、まっすぐな瞳がお日さまみたいに眩しく光っている。
「戻ってから、きちんとレシピを考えたいのです。お嬢さまにおいしく召し上がっていただくためにも、この命と向き合うためにも」
一度は、料理人を辞めたネクターさんが、料理人に戻ることを諦めていたネクターさんが。
前向きになって、料理人へと戻る決意をしたと思っていたら、ここにきて、料理人としてさらに高みへと成長しようとしている。
「……もちろんです!」
私はなんだか、そのことで胸がいっぱいになった。