224.海の底、特別なとき(2)
運ばれてきたお魚のメイン料理は、これまた驚くほど美しい盛り付けだった。
焼き目のついた白身魚に、角切りにされたリンゴや細く切られたセロリが飾り付けられている。緑の泡だったソースと黄色のクリームが合わさって、まるで春の野原をお皿に閉じ込めたみたいだ。
見た目からも味の想像がまったくつかない。
私もネクターさんも食べたい気持ちが抑えられなくて、互いに黙ってナイフとフォークを手にする。
口に運ぶまでは一瞬だ。
「「ん!」」
お互いの声が気持ちよく重なって、私とネクターさんは顔を見合わせた。
どちらともなく笑いがこみあげる。
「んふふ、これも最高です……! お魚の食感がしっとりとろけるみたいで……」
「リンゴもドライフルーツのような食感でおもしろいですね。シュワッと口の中ではじけてやわらかくなるような感覚が新鮮です」
「ソースも爽やかなのに旨味たっぷりって感じじゃないですか⁉ 初めて食べる組み合わせなのに、おいしくて上品で、全然違和感がありません!」
白身魚のなめらかな舌触り、さっぱりとした淡泊な味も、爽やかな柑橘系の香りが漂うソースによって深みが増す。
リンゴの甘みと魚の塩気が互いに引き立てあい、余計なえぐみは一切ない。
「魚の下処理が本当に丁寧だと分かります。おそらく、かなりの低温でじっくりと中まで火を通してから、外側の皮だけを一気にあぶって……」
「そんなことが分かるんですか?」
「おそらくですが。白身魚は扱いが難しく、皮に焼き目がつくほど高温で調理すると身がパサつくんです」
ネクターさんの解説に、このお料理に込められた料理人の思いを感じられる気がして、私も二口目をさらにゆっくりと味わう。
ネクターさんはいつも、私のおかげ、というけれど、私がおいしく料理を食べられるのも、ネクターさんがこうして料理人の技術や思いを教えてくださるからかもしれない。
「ソースもおもしろいですよね、香りとか風味に奥行きが出るっていうか……味が単調にならないから、全然飽きがこなくて! 青臭くもないし、まろやかさもあるし」
少しずつ切り分けながら、丁寧に、丁寧に。
ネクターさんと会話を交わしつつ食べ進めていく。
まだお肉料理だって残っているし、デザートもあるのに。
「戦死した軍人さんの家族を元気づけるために始まったレストランだって言ってたけど、本当に元気が出るっていうか……何もかも、忘れられるような気がします」
私が思ったことを素直に口に出せば、ネクターさんもうなずいてくださった。
「とてもよく分かります。この空間と食事、同じテーブルにいる人にだけ意識を集中できる良いレストランです」
夢のような場所に、夢のような食事。
目の前にいる人と幸せだけを分かち合うことができる特別な時間。
ここを一歩出てしまえば、本当に全部が夢だったんじゃないだろうかと思ってしまいそうなほど。
お魚を食べ終えると、次はお肉料理が。
ズパルメンティでは比較的珍しいお肉料理も、それを微塵にも感じさせない堂々たる風格だった。
「おいしそう~っ!」
ここまで散々お料理を食べてきて、もうお腹いっぱいになっていてもおかしくはないはずなのに。お皿から漂うお肉とソースの香りに、おなかがなってしまいそうな気分。
「ズパルメンティの伝統料理ですね」
「知ってるんですか?」
「以前、フォロ料理長から教えていただいたことがあります。ズパルメンティは魚介のイメージだったので、伝統的な肉料理があると聞いて驚いたんです」
たしかに、ズパルメンティでお肉の伝統料理なんて意外だ。
あめ色に炒められた玉ねぎとお肉に、黄色いマッシュポテトのようなものが添えられている。その見た目だけで言えば、どちらかというとシュテープの食べ物みたい。
ネクターさんは丁寧にお肉を切り分けて口へと運ぶ。私もそれを真似るようにそっと一口、フォークを運ぶと……。
「わっ! バターの香りとお肉の濃厚な旨味がよくマッチしてる! あんまり食べたことのない味です、何のお肉だろう……」
「おそらく、仔牛のレバーかと」
「仔牛のレバー⁉ このマッシュポテトみたいなものは?」
「ポレンタというトウモロコシを練ったものです。おいしいですよ」
玉ねぎの甘みとトマトのソースも、レバー特有の臭みを消しているのか、すごくやわらかな味わいがある。
そこに、このポレンタ! トウモロコシの甘みとコクを感じられるほくほくとした食感がたまらない!
「お魚だけじゃなくて、お肉もおいしいなんて!」
「レバーもすごく丁寧に処理されていますし、歯ごたえもあって。フォロ料理長に教えていただいたものと味がよく似ていて懐かしいです」
「まだデザートもありますよ」
どうしましょう、と困ったように笑うと、ネクターさんも肩をすくめる。
「ペロリと食べてしまえそうなところが恐ろしいですね」
現に、私たちのお皿はあっという間にきれいになっていて、たっぷりとかかっていたはずのトマトソースまでほとんど消えている。
お皿が下げられて、テーブルが空いてしまうことが寂しいくらい。
「なんだか、ここでの食事が終わっちゃうのがすごく寂しいです」
「お嬢さまのおっしゃる通りですね。料理人としても、もっとこの料理を味わっていたいくらいで……やはり、シェフを呼んできてもらいましょうか」
ネクターさんからまさかそんな冗談が飛び出すとは思ってもみなかった。
よほどここのお料理が気に入ったみたいだ。
「お客さま、この後、デザートをお持ちいたします。お飲み物をメニューからお選びください」
お皿を下げた店員さんにメニューを差し出される。
それぞれに飲み物を頼めば、数分と経たないうちに、ドリンクとデザートのセットがテーブルまで運ばれてきた。
デザートまでも綺麗で、もう言葉が出ない。
「これでお料理が終わっちゃうなんて嫌です~!」
一生ここにいたい。私、フォンダーレ・マリーノに住む!
ジタバタと子供みたいにわがままを言えば、ネクターさんはクツクツと肩を揺らして笑った。
「お屋敷に戻ったら、ここの料理も再現してみましょう」
ネクターさんから自然と発された前向きな言葉。初めて聞いた、お屋敷に戻る決意。
「絶対ですよ! 約束です!」
小指を差し出せば、彼はそっとその小指に自らの小指を絡めて優しく微笑んだ。




