222.フォンダーレ・マリーノ、その場所は
国の中枢機関が集まるズパルメンティの第四区画を超え、私たちは軍や警察の管轄が多くひしめく第五区画へとやってきた。
第四区画と第五区画は国にとって重要な拠点が集まっているからか、ズパルメンティにしては珍しく海に面している場所や川が少ない。
「なんだか重厚な雰囲気ですねぇ……」
立ち並ぶ建物も第一区画や第二区画よりもさらに歴史があるようで、柱や壁は分厚く、荘厳な雰囲気が漂っている。
「息が詰まると言ってはなんですが……建物も、モノトーンな配色が多くて、静かな感じがしますね」
「確かに! 港のあたりはカラフルなお家が多かったのに、このあたりは全部石壁だし、水辺も少ないから、余計に色が少なく感じます」
川を伝って水上バスで移動してきたものの、その間だってほとんど似たような建物しか見なかった。強いて違いを探すとすれば、壁の模様や窓の配置くらいだ。
「そういえば、制服の人も多いですよね! ほら、軍人さんみたいな人とか、警察官みたいな人。それから、スーツの人も」
「ズパルメンティの服を着ているのに、なんだか僕らが浮いているような感覚です」
ネクターさんが苦笑する理由もわかる。
あまり派手な色の服を着ている人はおらず、ズパルメンティの控えめな色合いでさえ少々目立つ。
「第五区画を抜ければ、第六区画と第七区画はまた明るい雰囲気だってウェスタさんもおっしゃってましたし! 少しの我慢です!」
なんとかポジティブに考えようと拳を握れば、ネクターさんも「そうですね」とため息交じりに同意した。
フォンダーレ・マリーノがあるという軍の所有地まで、歩いて三十分ほど。
少し離れているけれど、電車やバスはズパルメンティにはほとんど走っていない。
雨の中、私たちは、どんな場所で、どんなお料理が出てくるのかと話をしながら目的地まで向かった。
*
「……これに、乗るんですか?」
軍の所有地につき、言われた通りフォンダーレ・マリーノのチケットを見せた私たちは、軍人さんに案内された。
丁寧に説明までしてもらったのに、目の前の光景は信じられないけど。
いっさいの無駄がない、シンプルでスタイリッシュな船がとまっている。
しかも、ただの船じゃない。
「……まさか、潜水艇とは思いませんでしたね」
「潜水艇って、あの潜水艇ですよね⁉ 海に潜って、色々探索したりするような……」
「まさしく。フォンダーレ・マリーノは、旧式の潜水艇を利用したレストランにございます」
軍人さんはビシリと敬礼をして、潜水艇の扉を開ける。
「足元にお気をつけて乗船ください。お客さまが揃い次第、出航します」
「出航⁉」
「近隣の海域で潜水し、海を眺めながらお食事いただけます」
軍人さんは再び敬礼。笑顔から漏れる白い歯がまぶしい。
「ひとまず、中へ入ってみましょうか」
「ネクターさん、楽しそうです」
「えぇ! 大変興味深いです! お食事というのは、お料理の味はもちろん、どこで食べるかも大変重要ですから!」
機械マニアなネクターさんはすっかり潜水艇の内部に興味を引かれたようで、子供のようにはしゃいでいる。
私をエスコートしつつも、下へと続く梯子の先がどうなっているのか気になってしょうがないみたい。
「では、良い旅を!」
軍人さんが私たちに手を振って、扉を閉める。瞬間、外からの光が遮断され、一瞬中は真っ暗になった。
すぐさま照明が切り替わって、潜水艇の内部がより明るく照らされる。
「うわぁ……!」
船内に張り巡らされている何十もの配管。何を表しているのか分からないたくさんのメーター。配電盤に、ボンベまで。
「これは、素晴らしいですね……。想像以上です……」
「梯子の下りたところがレストランですかね?」
「この様子だとそのようですね。行ってみましょう。お嬢さま、お足元にお気をつけて」
ネクターさんに促されるまま、先に梯子を下りる。
カツン、カツン、と一段下りるごとに金属音が鳴り響いて、なんだか夢でも見ているような気分だ。
最後の一段、足を床へとおろすと、先ほどまでの固い金属の感触が一変。やわらかな絨毯に、ふかりと体が沈む。
到着だ。
振り返って店内を見れば……。
「わぁ……」
そこは、すっかり海の底だった。
真っ青な視界に、ひらりと何匹かの魚が通り過ぎていく。
キラキラと昇っていく銀白色の泡は、まるでこの空間を飾り立てる宝石のようだ。
「すごいですね……。まさかこれほどとは……。一面ガラス張りですか」
「本当に綺麗……!」
これでまだ軍の所有地に停泊している状態なのだから、出航して潜っていったらもっとすごいだろう。
ズパルメンティのあたりは水深の浅いところにもたくさんの魚がいると聞いているから、楽しみだ。
「まさか海の中で食事が出来るなんて思いませんでした!」
「えぇ、本当に。これは確かに、味よりも場所の方が記憶に残ってしまいそうです」
フィーロさんが言っていたことを思い出したのか、ネクターさんは苦笑する。
料理人としては複雑な気持ちかもしれない。
「ウェスタさんはお料理もおいしいって言ってましたし、すごく楽しみですね!」
「えぇ。僕らの席は……あの、奥のようですね」
ネクターさんと二人で予約席へと向かう。
テーブルは四つしかなかった。間隔が広く取られているから周りをあまり気にしなくて良いのも、このレストランの良さだろう。
すでに私たち以外には二組が乗船していて、あと一組が到着したら出航になるようだ。
出航を待っている間にも、レストランの店員さんがウェルカムドリンクを持ってきてくださったり、コースの説明をしてくださったりと退屈することはなく。
あっという間に出航の時間を迎えた。
『本日は、レストラン、フォンダーレ・マリーノへお越しいただきまして、誠にありがとうございます。船員一同、心より皆さまを歓迎いたします。どうぞ心ゆくまで海の旅をお楽しみください』
船内アナウンスと共に、大きな音が聞こえる。
ガラスの先に広がる一面の青が、ゆらゆらと大きく揺れる。まるで星屑のようにいっぱいの気泡が空へ向かって昇っていった。