221.前へ、悲しみ乗り越えて
「良いチケットを手に入れましたね」
「このお店を知ってるんですか⁉」
「えぇ。わたくしも何度か訪れたことがあります」
食後に、ズパルメンティではおなじみなライム味の炭酸飲料を飲みながら、話をしていた私たち。
「ウェスタさんなら知っているかも」とあの青いチケットを見せたら、予想以上に嬉しそうな反応が返ってきて、私とネクターさんは顔を見合わせた。
「そのお店は完全予約制なうえ、紹介制を取っているんです。一度来た客にそのチケットを渡し、チケットを持っている客だけが入店できる仕組みでして……知る人ぞ知る名店、といったところでしょうか」
フィーロさんは「子供のころに行った」と言っていた。
もしかしたら、家族がフィーロさんに将来、デートか何かで使えばいいと渡したのかも。
「すごくきれいなお店だって聞きました!」
「えぇ。なんといっても……っと、これは行ってからのお楽しみにとっておきますか?」
「そんなにきれいなんですか⁉」
まさかウェスタさんからもったいぶられるとは思わず、私は目を見開く。
フィーロさんも、お店のことばかり覚えていると言っていたくらいだ。よほど美しいに違いない。
「味も良いですよ。予約はインターネットでできますが、実際に行くとなると少し面倒でしてね。それでもかまわなければ、場所をお教えしましょう」
「お願いします!」
ネクターさんも気になっていたところだ。絶対に行きたい。時間もたっぷりとあることだし。
「店の名前は、フォンダーレ・マリーノ。予約をしたら、指定の日時にズパルメンティの第五区画にある軍の所有地へと向かってください。軍の所有地へと入るために、そのチケットが必要になりますので、お忘れなく」
「軍の所有地?」
ネクターさんが眉をひそめる。私にとっても、軍といえばなんとなく戦いのイメージがあるし、ちょっと物騒な場所に聞こえる。
だけど、ウェスタさんは「大丈夫」と笑った。
「元々、フォンダーレ・マリーノは、軍人とその家族のための特別なレストランだったからね。それがそのまま使われているだけなんだ。チケットの文字は、そのころの暗号文の名残りだよ。もちろん、軍と言っても、ズパルメンティじゃ魔物討伐が主な仕事で、対人戦や国同士での争いはないからね」
「それにしても不思議ですねぇ。軍の施設が一般の人でも使えるなんて」
「まだ科学技術や魔法が今ほど発展していなかったころ、ズパルメンティは特に魔物の被害がひどかったのです。フランさまは、先日のクラーケンフェスティバルには参加を?」
私がうなずくと、ウェスタさんは話しを続ける。
「クラーケンフェスティバルと同じ考え方なのですよ。ズパルメンティの風習とでもいいましょうか……最前線で魔物と戦う軍人は戦死することが多く、軍は戦死者の家族に少しでも励ましになるものを、と考えました」
クラーケン災害にあった人に、無償でクラーケン料理を配る。それがクラーケンフェスティバルだった、と私も思い出す。
失われたものは取り戻せない。だけど、悲しんでばかりではいられないから。前向きになれる、良いきっかけだと私も感じたお祭りだ。
「そのレストランも、同じなんですね。戦死者の家族に、前を向いてもらうために考えられた場所……」
「おっしゃる通りです。だから、特別な場所で、特別な料理を提供することにしたんです。それが、フォンダーレ・マリーノの原型ですね。やがて、科学技術や魔法の発達によって、そういった被害が少なくなり、一般の人たちにも開放されるようになったのです」
悲しみをみんなで乗り越えようとするズパルメンティの姿勢は、魔物の多い土地柄と密接に関係しているのだろう。
海にはたくさんの魔物がいる。その海が川となって流れこんでいるズパルメンティの地形。シュテープでは考えられないような苦難の歴史があったのかもしれない。
「今では、結婚式なんかでも使われるそうですから、想像されているよりも明るい雰囲気ですがね」
私たちを気遣うようにウェスタさんが付け加える。こうしたさりげない配慮も、ズパルメンティの人たちの特徴なのかも。フィーロさんたちもすごく優しかったし。
「ぜひ行ってみたいと思います! 色々と教えていただいて、ありがとうございました」
「とんでもございません。他に聞きたいことなどございませんか?」
ウェスタさんの言葉に反応したのはネクターさんだ。
「もう一つ、お教えいただきたいことが」
「おや、レシピ以外にも質問が?」
先ほどレシピをもらってこれ以上ないほどホクホクしていたネクターさんに、まだ質問がある。そのことが意外だったのだろう。
だが、
「ケルピーとロアが食べられる場所を、ご存じではありませんか?」
ネクターさんの質問を聞いて、ウェスタさんは納得がいったと笑う。
「なるほど。やけにアンブロシアくんが積極的だと思ったら。良いことだね。うん、どちらも第七区画で食べられるよ。ケルピーはともかく、ロアは貴重だ。第七区画の港で先約を取り付けておくといい」
「そうですか、ありがとうございます」
「やりたいことや、食べたいものが見つかったんだね。そして、それをフランさまと共有できている。この調子なら、心配せずとも時間が解決してくれそうだ」
医者としての発言だろう。ウェスタさんは満足げにうなずいて、ネクターさんをじっと見つめる。
「……君は、ずいぶんと丸くなったね。挫折を味わっても、アンブロシアくんはそれに負けることなく成長したようだ。僕はそのことを誇りに思うよ」
――君はもっと良い料理人になる。
ウェスタさんのその言葉に、ネクターさんは泣きそうな顔でくしゃりと笑う。
「ありがとうございます」
ネクターさんの表情は晴れやかで、清々しい。
「それじゃあ、心惜しいが……そろそろお別れの時間だ」
ウェスタさんがゆっくりと立ち上がって、私とネクターさんにそれぞれ軽いハグをする。
「フランさま、旦那さまと奥さまによろしくお伝えください」
「はい!」
「アンブロシアくん。何かあったらすぐに連絡するように」
「分かりました。フォロ料理長」
「もう料理長じゃないと何度言ったらわかるんだい。料理長は君だ。今は、フランさまの従者かもしれないが、テオブロマ家の料理長として、君以上に良い料理人はそういないよ」
ウェスタさんが肩をすくめると、ネクターさんはまた泣きそうな顔で笑う。
「良い旅を」
ウェスタさんに見送られ、私たちはズパルメンティの第三区画を後にした。




