219.思い出を作る三人(2)
ネクターさんもウェスタさんと一緒に最後の仕上げを終え、三品目へと取り掛かる。
私の隣に並んで、冷蔵庫から食材を取り出していくネクターさんは鼻歌が聞こえそうなくらい上機嫌だ。
「ネクターさん、すごく楽しそう」
「お嬢さまのおかげです。まさか、フォロ料理長とこうしてまた厨房に立てるとは」
「ウェスタさんも喜んでいましたから! 私も楽しいし、連絡してみて良かったです」
最後に作るズパルメンティ伝統料理は、やっぱりクラーケンを使ったものらしい。
しかも、クラーケンの墨を使うらしく、冷蔵庫には真っ黒な瓶が一本入っている。
これにはネクターさんも興味津々で、瓶の中をしげしげと見つめていた。
「以前のクラーケン討伐の時に、クラーケンの身と一緒に墨を買ってペーストにしておいたんだ。意外となんにでも使えるんだよ、見た目はともかくね」
ウェスタさんがネクターさんに説明すると、ネクターさんはすぐさまメモを取る。ウェスタさんはそんな彼の行動が懐かしいのか、ふっと目を細めた。
「クラーケンの墨って、おいしいんですか?」
「残念ながら、そのままではなかなかおいしくは召し上がれませんね。生臭さや磯の香りが強いので、味付けや香りづけをして使うんですよ。今回はそのペーストを先に作っておりますから、フランさまにもおいしく召し上がっていただけるかと」
「フォロ料理長、そのペーストのレシピをいただいても?」
「はは、料理長と呼ぶのをやめてくれるのなら、いくらでもかまわないさ」
ネクターさんのキラキラと輝く瞳に、ウェスタさんが笑う。お屋敷にいたころの二人がどんな関係だったのか、簡単に想像できた。
「それじゃあ、フランさまは先ほど教えた要領で炒め物をやってみましょうか」
「はい!」
ウェスタさんはフライパンにオリーブオイル、輪切りにされたトウガラシ、ニンニクやアンチョビを加えると、火をつける。
キツネ色になるまで炒めてほしい、と言われ、私は再び焦がさないようじっくりとそれらを炒めることに集中した。
私が炒め物をしている間、ネクターさんとウェスタさんでクラーケンを調理したり、パスタケの準備をしたりと動き続ける。
さすがは料理長コンビ。その手際の良さは段違いで、二人なら、百人分の食事もあっという間に作り切ってしまいそうな勢いだ。ここにエンさんがいたら、レストランが一軒建っちゃいそう。
「お嬢さま、フライパンに材料を追加しますから、少し離れてくださいね」
「え?」
「火柱が上がるかも知れませんので……」
え、何それ⁉ そんな過激なことを⁉
私は慌てて飛びのいて、ネクターさんの後ろに隠れる。
カッティングボードにのったクラーケン。ネクターさんはそれを丁寧にフライパンへとうつし、墨のペーストとナーヴィも加える。
ナーヴィを加えた瞬間、ブワッとフライパンから炎が立ち上がった。
「ひょわっ⁉」
「はは、フランさま。大丈夫ですよ、ご心配なさらず。アルコールが飛んだら、トマトソースを加えて煮詰めます」
ネクターさんの手さばきを見つめながら、ウェスタさんが次の食材を準備する。
ひょこりとネクターさんの後ろからフライパンの様子を眺めると、フライパンは宇宙みたいに真っ黒だ。
ウェスタさんがトマトソースを加えても、ブラックホールが全てを飲み込んでしまうみたいに黒いまま。
「パスタケが茹で上がりますね。フランさま、パスタケを湯ぎりして、先ほどのフライパンに加えましょうか」
ウェスタさんに促されて、私はレッツ初めてのパスタケ湯ぎり体験!
ザルに移されたパスタケをこぼしてしまわないように、しっかりとザルを上下に振ってお湯を飛ばす。
三人分のパスタケがはいった大きなザルはやっぱり重たくて、料理人の苦労が分かる。
ネクターさんのところへパスタケを持っていけば、後はそれをフライパンに加えてソースと絡めるだけ。
ウェスタさんが洗い物をしてくださっているし、完成までは私もすっかり手持ち無沙汰だ。
「フランさま、飲み物の準備をしましょうか」
私が暇になったことを目ざとく見つけたのか、ウェスタさんからまた声がかかる。
キッチンは戦場、その意味まで分かったような気がする。
とにかく休む暇がない。
料理一つとっても、実際にお料理をする工程だけが料理じゃないんだ。
食材の準備やお料理の盛り付けはもちろん、後片付けに、テーブルセッティングまで。
本来はここにレシピを考えたり、食材の買い出しをしたり、別のことまでやらなくちゃいけないんだから、本当に大変だ。
だけど――
「すごぉぃっ! 本当においしそうです! これを私も作ったなんて信じられない! お店みたいですよ!」
完成したお料理の数々を見たら、そんなことも気にならなかった。
ネクターさんが作ってくださったお野菜のスープ風な煮込み料理に、私とウェスタさんで作ったズパルメンティの家庭料理、それから、三人で作った伝統料理、クラーケンの墨パスタ。
それ以外にも、いつ用意してくださったのか、サラダとパンが並んでいる。
「すっごく豪華です! 色鮮やかできれいだし!」
「クラーケンの墨パスタは、見た目もインパクトがありますね。黒いソースを使った料理はシュテープでも珍しいですから」
「僕もアンブロシアくんの料理は久しぶりだし楽しみだな」
私たちがそれぞれの席につくと
「シュテープ式の挨拶にしましょう。再会を祝って」
ウェスタさんがそう提案してくださった。もちろん、私とネクターさんも賛成だ。
三人で両手を組んで、お祈りを捧げるように目を閉じる。
「「我らの未来に、幸あらんことを」」
私たちは同時にグラスを持ち上げると、軽くそれをみんなで合わせて乾杯した。
グラスに口をつければ、ナーヴィの爽やかな味が鼻に抜ける。
「どれから食べるか迷っちゃう……」
「お嬢さま、せっかくですから、今日はご自身でお作りになられたものから食べてみては?」
いつもなら、味の薄いものから、とサラダやネクターさんが作ってくださったお野菜のスープ風煮込みからいくだろうけど……。
ネクターさんの言う通りかもしれない。せっかくなら、自分で作ったものが食べてみたい。
私はおそるおそるお魚のお料理に手を伸ばし、玉ねぎや揚げたお魚をたっぷりとフォークに絡めて口へ運んだ。




