217.この旅は二人のもので、
ウェスタさんのアドバイスも受けて、私たちは診療所を後にする。
今後は定期的にウェスタさんのカウンセリングをリモートで受けながら、ネクターさんの治療をすることになった。
「これからの旅は、私のやりたいことだけじゃなくて、ネクターさんのやりたいこともたくさんしていきましょう!」
今までは散々私に付き合ってきてもらった。
食事だって、行きたい場所だって、ネクターさんは提案こそするものの、自分の意見を押し通すようなことはしなかったし。
従者って立場がそうさせてしまうことも理解は出来るけれど。
「本当によろしいのですか?」
「もちろんです! 確かに、この旅の目的は私の武者修行かもしれません。だけど、旅をするのは私と、ネクターさんですよ」
プレー島群を周る旅も、もう折り返しをすぎて今更かもしれないけれど。今からでも、ネクターさんがしたいことが出来て、彼にとっても有意義なものになるならその方が私だって嬉しい。
「早速! したいこととか、何か食べたいものとかありませんか?」
ホテルまでの道のりは大した距離じゃないけれど、たくさんのおしゃれなレストランやシーフードを扱うお店だってある。
今日は雨だからスポーツは難しいけれど、船にはいつだって乗れる。美術館や博物館に行くことだって。
ネクターさんは少し考えてから、困ったように微笑んだ。
「今まで、そんな風に考えたことがありませんでしたから、難しいですね」
遠慮ではなく本心のようだ。「うぅん」と悩まし気な声が聞こえる。
「……そうだ。お嬢さま、以前フィーロさんからいただいたチケットを覚えておりますか?」
「あぁ!」
失くさないように、とカバンにしまいこんだままだったことを思い出して、私は慌ててカバンからチケットを探す。
「これだ!」
青いセロファンみたいな材質の、小さな半透明のチケット。
浮かび上がる金色の文字は、やっぱり見たことがないもので、お店の名前も特定できない。
「そこへ行ってみませんか? 僕も気になっていたんです」
「確かに! 他には?」
「他には……今は、すぐには思い浮かびません。そのお店へと向かう道中に、色々と考えてみようと思います」
ネクターさんは自らのカバンから観光ガイドを取り出す。
ズパルメンティは川や池、湖なんかが多くて、歴史ある建物も多い。見どころもおいしいものも選びたい放題だ。
「そうだ! 食べてみたいものは? ネクターさんが今までに食べたことがないものとか」
「食べたことのないもの、ですか……。そうですね、ズパルメンティの食材だと……」
シーフードか、それとも魔物か。
ズパルメンティは、シュテープにはいない魔物もたくさんいるみたいだから、食材に詳しいネクターさんから何が出てくるのか私も楽しみだ。
「ケルピーと、ロアでしょうか」
「ロア?」
ケルピーは分かる。水の中に住んでいる馬のこと。
クラーケンやセイレーンと一緒に、貿易関係の話で教えてもらったことがある。
基本的には温厚な性格だから、あまり貨物船が襲われるようなことはない。けれど、怒らせると人間を水中に引きずり込んで襲うから気をつけろ、と。
だけど、もう一つのロアという食材は聞いたことがない。
私が首をかしげると、ネクターさんが丁寧に説明をしてくださった。
「ロアは深海魚の一種です。ズパルメンティの海域にしか生息していない生物なんですが、暗闇で体が光るんですよ」
「魚なのに光るんですか⁉」
「体内で電気を作り出すことが出来るんだそうです」
さすがはネクターさん。彼の博識ぶりに驚きつつも、きっとネクターさんが食べてみたいというくらいの食材なのだから、おいしいのだろう、と想像する。
ケルピーだって、水の中にいるとはいえ、基本は馬だし。ロアは……ちょっと想像がつかないけれど。
「ちなみに、ケルピーもロアもおいしいんですか?」
「ケルピーは絶品だそうですよ。お嬢さまは、馬刺しやユッケはお好きですか?」
「はい! もちろんです!」
「では、喜んでいただけるかと。ロアは……うぅん……」
「おいしくないんですか?」
「僕も食べたことがないので、実際のところはわからないのですが……食べた人によって、評価がはっきりと分かれるんです。とても美味だという人もいれば、それほどうまくはないという人も。それで、気になって、一度食べてみたいな、と」
なるほど。それは確かに「すごくおいしい!」と言われるよりも気になっちゃうかも。
ちょっとくじ引きみたいなドキドキ感がある。
「本来ならば、従者として、お嬢さまにまずいものをお召し上がりいただくわけにはいきません。ロアのようなリスクのある食べ物は避けるべきなのですが……」
「ウェスタさんも言ってたじゃないですか! ネクターさんのしたいことをすれば、心が元気になって、体も元気になるって! 私も、ネクターさんが元気だと嬉しいです!」
「ありがとうございます。そう言っていただけると、僕も気が楽です。……あぁ、そうだ」
「どうかしましたか?」
「フォロ料理長とも、もう一度料理がしたいですね。どこかのタイミングで」
「それじゃあ、善は急げ! すぐにでもセッティングしましょう! あ、ウェスタさんなら、このチケットのお店がどこかも知っているかもしれませんし!」
ネクターさんの口から少しずつ、自分のやりたいことや食べたいものが溢れて来て、私まで楽しくなる。
もう十分ネクターさんのことは知ったつもりになっていたけれど、どうやらまだまだだったみたい。
「なんだかお嬢さまが楽しそうです。僕の話を聞いてもらっているのに」
「ネクターさんのお話が聞けるから楽しいんです! 今まで、私に付き合ってもらってばっかりだったから、やっぱり申し訳なくって」
もちろん、それもすごく楽しいし充実していたけれど、この旅は私たち二人の旅だ。
ネクターさんにも楽しんでもらいたい。
「だから、ネクターさんと一緒に旅が出来てるんだって気分を、ようやく味わえているような気がして嬉しいです。今までも楽しかったけど、もっと!」
ネクターさんは少し意外だったのか、驚いたように私を見つめる。
やがて、その言葉の意味を正しく受け取ってくださったのか、心の底から優しい笑みを浮かべた。




