21.旅券と次なる目的地
ズラリと並んだ真っ白なカウンター。白と黒で統一されたどこか大人な雰囲気に、私は息を飲む。
黒い皮張りのソファに一人座っているのもちょっと落ち着かないくらいだ。
高い天井から下がるシンプルなランプ。その下を縦横無尽に行きかう人々は大人ばかりで、どこか慌ただしさを感じる。
だけど、そんなちょっとピリッとした雰囲気でさえかっこいい。
料理長との旅もあっという間に一週間が過ぎ、私たちはついに次の国へ!
……とはいかず、そのための準備を本格的に始めることにした。
そんなわけで。まずは、旅に関することならなんでもござれ、シュテープの都に位置する国交庁へこうしてやってきたのだ。
「お嬢さま」
「あぅっ! すいませんすいません! 私は何もしてません!」
「僕ですよ、お嬢さま」
「料理長! てっきりここの偉い人かと思っちゃいましたよぉ!」
「すみません、驚かせてしまったようで」
「いえ! 私もごめんなさい! もう手続きは終わったんですか?」
「おかげさまで。それにしても、まさか国交庁が初めてとは。ご家族で何度もご旅行されていましたし、慣れているものかと思っておりました」
「準備は全部メイド長たちがやってくださってましたから。こんな風に申請しなきゃいけないなんて知らなかったです」
「本当にすみません。僕が旅券を持っていれば……」
「謝らないでください。こんなことでもなきゃ来なかったですし。貴重な体験です!」
「お嬢さまは本当にお優しいですね」
今までどんな壮絶な人生を送ってきたんだ。そう聞きたくなるようなセリフである。
そもそも、私が旅とか言い出したんだし。良い機会をくれた料理長には感謝しかないのに。
「それに、料理長が言わなきゃ旅券のことなんて絶対忘れてましたもん」
旅をするには旅券が必要。これ、常識。
……なのだが、旅券なんて地味なものを思い出せという方が難しい。
多分だけど、あのままだったら私が出国ゲートで止められてたと思う。
「お嬢さまのものは、すでにリッドへ登録されておりましたので大丈夫ですよ」
「だとしてもですよ⁉ その画面の出し方がわからなかったらゲームオーバーです」
「それもそうですね。僕のものもお嬢さまのリッドに登録させていただきますので、実際に出国する際は問題ありませんから」
「ふぉぉ! それは心強い!」
料理長の旅券が実際に発券……というか、登録されるまではひと月程度かかるらしい。
いろんな審査があるみたいだけど、お屋敷から追い出されていても審査は通るのかな。
あんまり料理長が心配していないところを見ると大丈夫なんだろうけど。
かっこいい空間に入れるのは大人の仲間入りって感じがするけど、用事が済めば長居は不要。
帰ろうかと立ち上がると、料理長が「お嬢さま」と私の後ろを指さした。
「あ、観光ガイドだ!」
「せっかくですから、もらって帰りますか?」
「はい! この国のことはなんとなく分かってきたけど、やっぱり他の国のことはまだまだだし!」
そう。ここ数日で、私は本当にいろんなことを知った気がする。
市場での物の買い方や相場、おいしいものに行ったことのない場所。
今までどうやってこの国で暮らしてたんだろうって思っちゃうくらい。
しかも、シュテープは小さい国だけど、それでもまだまだ知らないところはたくさんあるんだってことも。
料理長は博識だし、とにかく毎日驚きの連続だ。
「お嬢さまは以前、プレー島群の国へ行ってみたいとおっしゃっておられましたが、どこか行きたい国があるんですか?」
「うーん。実はまだ考えてる最中なんですよね。島の中で行ったことがあるのは、紅楼国とデシだけですし。ベ・ゲタルとかは気になってます!」
「あそこは珍しい植物がたくさんありますし、野生の動物も多いですから、面白いかもしれませんね」
「お野菜がおいしいって聞きました!」
「あぁ、そうですね。ちょうど旅に出る時期であれば、色々と食べられると思います」
「料理長は行ってみたい国ってあるんですか?」
「僕ですか? うーん……僕は、ズパルメンティですかね。あそこのお魚はどれも本当に素晴らしいですし。町並みも大変美しいので」
「ズパルメンティも超映え系の国ですよね~! 船で移動するんですよね?」
「えぇ。水路が中心なので、プレー島群の中でも特に珍しい光景かもしれません」
「あ! でも、珍しい光景っていえば、私、紅楼の景色も好きなんですよね! 岩山いっぱい、砂漠いっぱいで!」
「おや。てっきりお嬢さまはデシのような可愛らしい雰囲気がお好きかと思いましたが」
「デシも好きです! スイーツ王国、最高です! でも、紅楼で食べたドラゴンがおいしくてぇ……」
「なるほど。お嬢さまはお肉がお好きでいらっしゃいますものね」
「あ! っていうか、よく考えたら、全部まわればよくないですか⁉」
「え?」
「プレー島群の国、四つ全部、周遊して食べ歩き! 最高です!」
綺麗に陳列されていた観光案内の冊子を四冊引き抜いて、じゃーんと料理長へ見せる。
彼は目を丸くして、しばらくフリーズしていた。
「……お嬢さまは本当に大胆というかなんというか」
「あの親にしてこの子あり? 的な?」
「そう、ですね。はい」
「え! なんで遠い目!」
「僕には眩しいな、と思いまして」
「料理長、ブーメランって知ってます?」
「当たり前です」とキョトン顔を向けられ、私は肩をすくめる。
やれやれだぜ……。ほんと、罪な男ね……。
「なんにしても、まだ旅券の登録まで時間もありますから。ゆっくりと考えましょう」
「そうですね! まだまだこの国も行きたいところいっぱいですし!」
「シュテープでは、どこか行きたいところが?」
「とりあえずは、シュテープの一番を色々めぐってみようかと!」
「一番?」
「そう! 国一番の市場はこの間行ったので、今度は一番大きい……おっきい……」
チラ、と料理長をうかがうと「考えてなかったんですね」と彼は肩を震わせて笑う。
「では、そうですね。次は……一番大きいパン工場に行ってみましょうか」
「パン工場⁉」
「はい。それに、面白いものも見れるでしょうから」
「面白いもの?」
「行ってみてからのお楽しみ、ということにしましょう。さ、帰りましょうか」
料理長は、イケメンにしか許されない含みのあるちょっと意地悪な笑みを浮かべた。