208.二人のクラーケンクッキング
ネクターさんの指示に従って、サンサントマトを粗くつぶしていく。
ネクターさんはクラーケンと冷蔵庫から取り出したお魚やお野菜を切っていた。
さすがは元料理長。その手際の良さは、つい見とれてしまうほど。
サンサントマトをある程度つぶしたら、続いて、ネクターさんが炒め物を開始。
「お嬢さま、切れているクラーケンをいくつかボウルにいれてください」
彼はフライパンにクラーケンを投入しながら、並行して私にも指示を出す。
使いきれないくらいの量のクラーケンがまな板の上に。私は、言われた通り、そこから適当な量を取ってボウルに放り込んだ。
本当にこんな適当でいいんだろうか?
「それではお嬢さま、ボウルに今から言う調味料を入れてください。量は、まずは僕の言う通りに。入れ終わったら、一度僕のところへボウルを持ってきてくださいますか?」
「了解です! 料理長!」
ネクターさんは炒め物をしながらも、私に調味料と分量を指示していく。まるでこちらの様子が見えているかのように絶妙なタイミング。
言われた通りの調味料を測り入れて、ネクターさんのもとへと持っていく。彼はつぶしたサンサントマトを加えて、私の方へと振り向いた。
「目を離しても大丈夫なんですか?」
「えぇ。ここからは少し煮込みますから。お嬢さまの方はいかがですか?」
「無事に終わりました!」
ネクターさんはボウルを覗き込んで、クン、と匂いを確かめる。
「良いですね。お嬢さま、クラーケンと調味料を良く混ぜてください。終わったら、冷蔵庫へボウルごと入れていただいて結構です」
クラーケンがいっぱい入ったボウルに手を突っ込む。にゅるんとした感覚がちょっとだけ楽しくて、私は一生懸命混ぜる。
「これは何を作ってるんですか?」
「お昼に食べたクラーケンの唐揚げですよ。下味をつけてから揚げるんです」
「わぁっ! 楽しみです!」
俄然やる気が出てきた!
たくさん混ぜていると、次の料理の準備を始めていたネクターさんが「もう大丈夫ですよ」と笑った。
「お嬢さまは、こちらのブロッコリーを小さく分けてもらえますか? 終わったら、そこの鍋の中に。お水とお塩を一緒に入れてください」
私がプチプチとブロッコリーをちぎり終え、お鍋にお水とお塩、ちぎったブロッコリーを入れたころ。ネクターさんは刻み終えたニンニクをフライパンで熱している。
このたった数瞬の間に、いったいいくつの工程をこなしているのだろう。
ネクターさん、分裂かテレポートを使ってませんか?
「お嬢さま、すみませんが洗い物をお願いしても良いですか?」
目もたくさんついているの⁉
ちょうど作業を終えると次なる作業の指示が飛んできて、まるで操り人形になった気分。
料理長としてのネクターさんがどれほど優秀だったのか、想像に容易い。
洗い物をしながらネクターさんを盗み見ると、彼は鍋一つ、フライパン二つを操っていた。
サンサントマトを入れて煮込んでいたフライパンにお魚と貝、それにお水や調味料を加えたかと思うと、ニンニクを炒めていたフライパンにクラーケンを投入する。
じゅわぁっと煙が上がった先で、今度は茹でていたブロッコリーを鍋から取り出す。
「……すごい」
本当に分身しているんじゃないだろうか。ネクターさんが何人にも見える。
無駄な動きは一切なく、全てを完璧に、丁寧にこなしていく。
じっとネクターさんを見つめていると、私の視線を感じたのか、ネクターさんがこちらに顔を上げた。
「お嬢さま、お味見を」
差し出された菜箸。その先には炒めたばかりのクラーケンが。
「良いんですか⁉」
「えぇ、もちろんです。料理人の特権ですから」
いたずらに微笑むネクターさんはすごく楽しそう。
私は早速、ネクターさんから差し出された菜箸にそのまま飛びつく。直接菜箸からクラーケンにかじりつくと、香ばしい匂いが鼻を抜けた。
「んんっ!」
クラーケンのむっちりとした歯ごたえ。バターとニンニク、お醤油が染みたクラーケンから、噛むたびに旨味と甘みがじゅわっと弾ける。
「おいしい! ガッツリ感があっていいですね! ブロッコリーと合わせて、ヘルシーな感じになってるのに、味が濃くてしっかりしてるからすごく満足感があります!」
バゲットに挟んでサンドにしてもおいしそうだし、ご飯で食べてもお米が進みそう!
ネクターさんは味見せずに調味料を加えていたように思うけれど、それでもこれだけ完璧な味付けに出来るのだから、長年続けてきた料理人の勘はいまだ健在ということか。
「良かったです。さて、そろそろ煮込みの方も良さそうですね。お嬢さま、お米を持ってきてもらってもよろしいですか? 計量カップに一杯分でかまいません」
ネクターさんは満足そうにうなずくと、私に次なる指示を与える。
「お米?」
何に使うのだろう。確かに、お米が進むとは思ったけれど。
不思議に思いながらも計量カップで一杯分。お米をネクターさんのもとへと持っていく。
ネクターさんはお魚やらを煮込んでいたフライパンから一緒に入れていた魚介類を取り出していた。
私からお米を受け取ると、ネクターさんはそれをフライパンの中へと投入する。
「これってもしかして……!」
「クラーケンのパエリアです」
「パエリア‼」
胸のときめきに、自然と声が弾んだ。
ご飯と魚介類の素晴らしきアンサンブル。海と大地の恵みが出会うフライパン。すべては、ここから始まったのですね……!
「お米が炊けるまでの間に、スープとイカの唐揚げを作ってしまいましょう」
興奮冷めやらぬ私に追い打ちをかけるように、ネクターさんが次の準備を始める。
ブロッコリーをゆで上げた鍋が空いたから、そこで唐揚げを。
クラーケンとブロッコリーの炒めものを作ったフライパンが空いたから、そこでスープを。
そんな風に、彼の頭の中で、レシピと道具、タイミングがきっちりと組み込まれているらしい。
「お嬢さま、冷蔵庫に入れたクラーケンに片栗粉をまぶしていってください」
「任せてください!」
「片栗粉をまぶし終えたら、お嬢さまはサラダのドレッシング作りをお願いします。調味料はまた言いますので」
一切手を休めることなく、あらゆる作業をこなしていく。
そんなネクターさんに必死でついていきながらも、少しずつ料理が出来上がっていく様子に、私の心は満たされていくのだった。