207.料理の準備は整って
第二区画で道具も食材も大量に買い込んだ私たちは、第一区画へと戻ってキッチン探しを始めた。
魔法のメガネを使って検索すると、いくつか候補があがる。
近くにある場所や、気になった場所を魔法のメガネさまに紹介してもらって、私もそれぞれの説明文を読んでいく。
いつもこういう調べものをしてくれるのはネクターさんだけど、いつまでも頼ってばかりじゃダメだから。
ひとつひとつ調べていって、私は気になる場所で目を止めた。
「ネクターさん! 漁港の厨房っていうのがありますよ!」
「漁港ですか?」
魔法のメガネさまが示してくれた情報を伝えれば、ネクターさんがきょとんと首をかしげる。
漁港と厨房。普通なら繋がりの見えない組み合わせだ。
「えぇっと……ふむふむ。メガネさまによると、昼過ぎまでは漁師さんが魚をさばいたりするのに使ってるらしいです。だけど、夜は漁港自体を閉めちゃうから使えるって!」
「なるほど。それであれば、気兼ねなく使えるかもしれませんね。行ってみましょうか」
私の説明で納得したのか、ネクターさんが漁港の方へと歩いていく。
漁港には散々行ったし、道案内がなくても迷うこともない。
まだ晩ご飯というには早い時間だが、今からお料理をすればきっと出来上がるころにはおなかもすいているだろう。
どんなお料理を作ろうか。想像するだけで漁港にある厨房へと向かう一歩が大きくなる。
「食材はたくさん買いましたけど、何を作るか決めてるんですか?」
「えぇ、いくつかは。それに、試したいこともあって」
「試したいこと?」
「ランチでいただいた料理の再現です」
ネクターさんはサラリと答えたけれど、それってつまり……。
「絶対味覚が戻ったんですか⁉」
私の声の大きさに驚いたのか、ネクターさんはビクリと肩を揺らした。
「いえ! そういう訳では! ただ、以前に比べて今はどの程度再現できるのか、一度試しておきたくて。お嬢さまの味覚であれば、正しい判断もいただけるでしょうし」
ネクターさんの瞳には強い意志が宿っている。料理人として、今の自分と向き合う覚悟が決まったのかもしれない。
「もちろん、ランチとは違う料理もご用意いたします。お嬢さまにも料理を楽しんでいただきたいですから」
ネクターさんはにっこりと笑みを浮かべる。
「すっごく楽しみです!」
「僕も料理が楽しみだと思えるのは、久しぶりです」
ネクターさんの返事は、私に伝えているというよりも、自分自身で噛みしめているような言い方だった。
「あぁ、でも、お嬢さまは火の側に寄らないように。それから、ナイフも扱わないでくださいね」
思い出したように付け加えられた注意事項。むっと私が口を尖らせれば、ネクターさんは困ったように眉を下げた。
「お嬢さまがお怪我をされては大変です。これだけはどうかお許しを」
私を本気で心配するような、子犬のようにすがりつく目で見られては、私もそれ以上抵抗できない。
「……ほんと、ネクターさんってイケメンでずるいですよねぇ」
大げさにため息をついて降参の意を示す。
――いつか、ネクターさんに内緒で料理を覚えて、驚かせてやろう。
私の心にそんな火がついたことを、ネクターさんはまだ知らない。
*
「すみませ~ん!」
薄暗い漁港で人を探す。漁港自体はもう閉まっているとはいえ、さすがに勝手に厨房を借りるわけにはいかない。
ポツポツとつけられた明かりにそって漁港を歩いていけば、事務所の入り口と思われる扉が目についた。
中から光が漏れている。
ノックを二回。トントンと控えめに鳴らせば、ゆっくりと扉が開く。内側から日に焼けたガタイの良いおじさまが現れた。
「こんばんは! 厨房をお借りしたいんですが」
手短に用件を伝えれば、おじさまは特に気にした様子もなく笑顔で応えてくれる。
料金を払うのは当然だけど、最後に片付けさえきちんとすれば、後は自由に使っていいらしい。
「あぁ、そうだ。漁港で余った魚やらも勝手に使っていいぞ。冷蔵庫に入ってるから」
おじさまが気前よく教えてくださったことで、私たちはまさかの追加食材までゲットした。
お礼を言って、厨房へと向かう。
事務所からさらに漁港の奥へと進んだ先に、もう一つ扉が見つかった。
中を開ければ、想像していたよりも綺麗で広い厨房が目に飛び込んでくる。
部屋全体が厨房になっていて、食器や道具も一式揃っていた。
「これなら食材だけで良かったですね⁉」
二人で顔を見合わせて苦笑する。
でも、ネクターさんと一緒に買い物が出来て楽しかったから良しとしよう!
手を洗って、エプロンをつける。
準備も終わって手持ち無沙汰だ、とネクターさんを見れば、彼はどこか懐かしそうに厨房全体を見つめていた。
「ネクターさん、準備できました!」
「あ、あぁ。わかりました」
「……何かあったんですか?」
ネクターさんの顔を覗き込めば、彼は「いえ」と曖昧に微笑む。
「……なんだか、屋敷にいたころのことを思い出すな、と思いまして」
哀愁と穏やかさの混ざる瞳から、彼の複雑な胸中を、言葉にできない想いを感じて、私はただ静かにうなずいた。
「さ、お嬢さま。料理を始めましょう。良いですか、くれぐれも怪我だけはなさらないように。火傷も気を付けてくださいね。包丁は持たないでくださいよ。コンロにも近づかないように」
「もう! 分かりましたから!」
両親以上に過保護なんじゃないだろうか。
私がじとりとネクターさんに視線を向ければ、彼は素知らぬフリをして買ってきた食材をテーブルの上へと広げていく。
その間、私は冷蔵庫の中身をチェックする。
魔法のメガネを駆使すれば、魚の種類まで分かって便利だ。
ネクターさんにそれらを伝えれば、いくつか目ぼしいものもあったようだ。きっと、ネクターさんの頭の中で食材がパズルのようにくみ上げられていっているのだろう。
ネクターさんと一緒に買ったばかりの料理道具や使う食材を軽く洗えば、すべての準備が完了だ。
「お嬢さま、一緒に頑張りましょう!」
「はい! よろしくお願いします!」