200.再会は海の音にのって
海の事故で船から投げ出されたフォルトゥーナさんは、運よくズパルメンティに流されたらしい。
命が助かった代わりに、彼は記憶を失くしてしまったのだそうだ。
「……フォルトゥーナって名は、拾ってくれた漁師のおやっさんがつけてくれたんス。俺も自分が何者かは分からなかったんスけど、不思議と体がいくつか覚えていることもあって。漁と料理が出来たんで、おやっさんの紹介で働かせてもらったんスよ」
フォルトゥーナさんは、今までのことを話して喉が渇いたのか、自らのスープカップに口をつけた。
今朝、漁港で捕れたばかりのエビを使ったスープは、香りも味も濃厚ですごく満足感があった。私のカップに入っているスープは二杯目のものである。
「それにしても、家族、ッスか……」
空になったカップを脇によけて、フォルトゥーナさんが息を吐く。
「写真か何か、見せていただいても?」
「もちろんです!」
私はシュテープで撮ったエイルさんたちのお写真を魔法のカードに映し出す。
「エイ、ル……?」
フォルトゥーナさんの口から、自然とその名前がこぼれる。けれど、彼はそれに気づいていないのか、写真をまじまじと見つめて「本当にそっくりだ」と笑った。
「フォルトゥーナさんのことを、奥さまも、息子さまも、信じて待っていらっしゃいました。フォルトゥーナさんがお元気でいらっしゃるって知ったら、きっと喜ばれるかと」
エイルさんの連絡先は知っている。先日も連絡したばかりだ。
私が「声を聞いてみませんか」と提案すれば、フォルトゥーナさんは少しためらった後、小さくうなずいた。
早速魔法のカードを音声通話モードに切り替えて、カメラを空中に投影すれば、数コールとたたないうちにエイルさんの顔が映り込んだ。
「フフフ、フラン、さん⁉ こ、こんな時間にいきなり! ど、どうしたんッスか⁉」
よほど驚いたのか、カメラの向こうにいるエイルさんはキョドキョドと視線をさまよわせていた。
「エイルさん、こんばんは。ごめんなさい、夜遅くに」
ズパルメンティとシュテープではいくらか時差があるとはいえ、向こうも良い時間だろう。
私が頭を下げると「いえいえ! 大丈夫ッス! 嬉しいッス!」とエイルさんの元気な声が聞こえる。
そういえば、改めてこうして声を聞くと、エイルさんとフォルトゥーナさんの声もそっくりだ。
さすがは親子。
フォルトゥーナさんの方を見れば。彼は感慨深げに仮想スクリーンを見つめていた。
唇が震え、今にも泣きだしそうな顔だ。
「えっと、それで、本当にどうしたんスか?」
「実は……」
私がそっとカードを反転させると、スクリーンにはフォルトゥーナさんの顔が映る。
画面の向こう側で、エイルさんがはっと息を飲んだのが分かった。
「……父さん、なん、スか?」
「……エイル、なの、か?」
二人の声が重なる。
瞬間、エイルさんがいてもたってもいられなくなったのか「ちょっと待ってくださいッス!」と大声で叫んだ。画面が彼の手で遮られ暗くなる。
「母さん!」
スクリーンが遮られていても聞こえるエイルさんの声。続いて、「どうしたの?」と穏やかなエイルさんのお母さまの声が聞こえる。私とネクターさんにとっても懐かしい声だ。
「父さんが!」
「えっ⁉ どういうことなの?」
画面がパッと明るくなったかと思うと、スクリーンをまじまじと覗き込むエイルさんのお母さまの姿がそこに。
彼女の姿を見た途端、今度はフォルトゥーナさんが息を飲んだのが分かった。
画面越しにフォルトゥーナさんの顔を見たエイルさんのお母さまは、カッと目を見開いて、フォルトゥーナさんの顔をつぶさに観察する。
「……夢でも、見ているみたいだわ。本当に、あなたなの……?」
こぼれた声は明らかな動揺を含んでいた。電波にのって海を渡っても、その感動が伝わってくる。
「……あぁ、俺だ。……俺だよ! ……思い出した……全部。思い出した‼」
フォルトゥーナさんがガタンと椅子から立ち上がる。瞳からはボロボロと涙がこぼれ落ちているけれど、それをぬぐうこともせず、フォルトゥーナさんは画面の方へと身を乗り出した。
「どうして、俺は、こんなに大切なことを忘れていたんだ……」
フォルトゥーナさんが記憶喪失になっていたとは知らないはずのエイルさんのお母さまも、エイルさんも、何かを察したように優しく微笑んだ。
「やっぱり、生きていたのね。あなたは簡単に死ぬような人間じゃないって信じてたのよ。ずっと。だから、それで十分だわ」
「そうッスよ! 父さん! 俺、漁ギルドに入ったんス! 父さんが忘れても、みんなが、父さんのことを覚えてるッスよ!」
「……すまない、二人とも。俺は……俺は……」
フォルトゥーナさんが言葉を詰まらせると、画面の向こうで二人も静かに涙を流した。
「……何も、謝ることなんてないわ。あなたがいなくなっても、お店は大繁盛なのよ」
「漁港も相変わらずッス!」
家族三人、今まで離れていた分を取り戻すようにみんなが今この瞬間を噛みしめる。
良かったな、なんて私が三人を見ていると、隣でもズビリと鼻をすする音が聞こえた。
「本当に、良かったですねぇ……!」
なぜかネクターさんも泣いている。そういえば、ネクターさんはエイルさんのお母さまからこのお話を聞いた時も泣いていたっけ。
「フランちゃん、そこにいるのよね? 旦那を見つけてくれてありがとう」
「父さんを探してくれて、本当にありがとうッス!」
小さく手を振るエイルさんのお母さまと、頭を深く下げるエイルさんが映って、私とネクターさんも手を振り返した。
「本当に、見つかって良かったですね」
「なんとお礼を言ったらいいのかしら。また、シュテープに戻ってきたら遊びに来てちょうだいね」
エイルさんのお母さまが穏やかな表情で頭を下げると、再びエイルさんと、私たちの隣にいたフォルトゥーナさんが頭を下げた。
「それじゃあ、私たちはこれで失礼します。夜も遅いですし、きっと、家族でお話したいこともあるでしょうから」
連絡先をフォルトゥーナさんの持っている通信機器に転送して、私も頭を下げる。
フォルトゥーナさんのお家を出れば、港町の明かりが優しく私たちを包む。
ホテルへと向かう帰り道は、シュテープで聞いた波の音と同じ、穏やかな潮騒が絶えず耳に優しく響いた。