20.国を代表する料理(4)
「料理長! 鋼鉄貝のボンゴレもください!」
私のも食べていいですから、と差し出すと、料理長は快くお皿を交換してくれる。
お屋敷にいたころだったら、メイド長にお行儀が悪いと叱られていたことだろう。
料理長はあんまりそういうことを気にしていないのか、マナーに関してはお咎めがなくて楽ちんだ。もちろん、料理長だって良い大人だし、お料理を作る人だから、そういうのは知っているんだろうけど。
「鋼鉄貝の殻は固いですから、お手を怪我しないように気を付けてくださいね」
「そんなに⁉」
「昔は鋼鉄貝を削ってナイフにしたりもしていたんだそうですよ」
「ほぇぇ! よくそんなの食べようと思いましたよね!」
「熱をかけると驚くほど簡単に殻を開きますからね。偶然気づいた方が食べてみたんじゃないでしょうか。見た目はおいしそうですし」
鋼鉄貝にも色々と歴史があるのか……。こやつめ、やりおる……。
私はフォークと手をつかってゆっくりとパスタの上にのっかった鋼鉄貝の口を開く。
中の身が取り出せるくらいまで押し開けると、白い身からほわっと湯気が立ち上がった。
「わぁ! 熱々だぁ!」
「殻の中に熱がこもりますからね、火傷しないように気を付けてください」
うん。料理長、マナーはうるさくないけど過保護だ。
「はーい」と返事をすれば「返事は伸ばさない」なんてお母さま的セリフも聞こえてきた。
前言撤回。うるさくはないけど、やっぱり、マナーはマナーみたい。
いつまでも子供じゃいけないって言われてるみたい。これも学んでいかなきゃいけないところなのだろう。
私もう十八だし! 大人だし! っていうか、立派なレディにはなりたいし!
ふぅふぅと鋼鉄貝をさましてから、ゆっくりと口へ運ぶ。
つややかな白がほんの些細な振動でもプルプルと揺れる。
あぁ……もう、見た目から最高……。
鋼鉄貝の身から漂うにんにくとオリーブオイルの香り。それに、ほんのりとお酒が混ざり合って、食欲を刺激する。
いざ、実食!
「は、わ……わぁ……」
むっちりとした身から、じゅわぁっと口に旨味が広がる。潮の香りが溶け込んだ濃厚でクリーミーな貝本来の味も華やかだ。
はふはふと口の中を冷ましながら、ゆっくりと貝そのものの感触を楽しむ。
ぷりっとした歯ごたえとねっとりとした舌触り。ソースのシンプルな味つけが余計にそれを際立たせている。
「ソースと絡めて、パスタもぜひ」
料理長に促され、私はパスタをフォークに巻き取る。ファルファッレと違って、ボンゴレはパスタケをそのままゆがいて使っているらしい。
ソースはほんの少しとろみがついていてパスタによく絡む。
ちゅるんっ!
口へ飛び込んできたパスタからも、先ほどの鋼鉄貝の味がする。
「ん! すごいでふ! これ! 貝の味が!」
麺にもソースにも貝の旨味があって、ただのシンプルなソースじゃない!
少し硬めに茹でられたパスタも、シンプルな味わいにはぴったり。むっちりとしていてやわらかな貝の食感と対照的だ。
料理長が食感で味も変わると言っていた意味がよくわかる。
「おそらくですが、鋼鉄貝をワインやオリーブオイルと一緒に煮詰めているのでしょう。貝の塩気や出汁は十分にソースとして使えますから。さらに、そのソースでパスタを茹でることで、ソースにも麺にも貝の味がしっかりとなじむんです」
料理長の解説にコクコクと何度もうなずいて、二口目を運ばないようぐっとこらえる。
このままだと、一皿ペロッと食べちゃうもん!
「ありがとうございました! 超おいしかったです!」
慌てて料理長へボンゴレをお返しして、はふぅ、と幸せの息をつく。
塩気のあるボンゴレを食べたから、さっきの優しいクリームソースが恋しくなってきた。
あれ……これ、もしかして一口ずつ食べてたら、無限に食べられるんじゃない? 天才じゃない?
「りょうりちょ……」
「お嬢さま」
「……胃袋、無限に欲しいですよねぇ~」
料理長の言わんとすることが分かってしまって、えへへ、とごまかし笑いを浮かべた。
多分、料理長も私が言おうとしていたことが手に取るように分かったのだろう。
まだ出会って二日なのに、私たち以心伝心コンビだね! えへっ!
「お嬢さまは小さいころから、食べ過ぎでよく怒られておりましたね」
「え⁉ なんで知ってるんですか⁉」
「厨房はその話題で持ち切りでしたから。どのようにお食事をお出しすれば、お嬢さまが食べ過ぎないですむか、なんて毎日のようにみんなで考えて」
何それ、めちゃめちゃ恥ずかしいんですけど⁉
っていうか、年頃の乙女をそんな暴食怪獣みたいに扱って! ほんとのことだけど……。
「料理人にとって、あれほど贅沢な悩みはありませんよ。前料理長をはじめ、全員がテオブロマ家の料理人で良かったと思っておりました」
びっくりするほど綺麗で、爽やかな笑み。けれどちょっぴり哀愁が漂っていた。
やっぱり料理長はお屋敷に戻りたいんじゃないだろうか。
ネガティブだから「そんなことを言うのもおこがましい」とかなんとか思ってるかも。
料理長、今ならまだ――
「でも」
料理長は皿の脇へフォークを置いて目を伏せた。
ほんの少し口角を持ち上げて、どこか照れ臭そうにはにかむ。
「お屋敷に勤めていたころは、お嬢さまが実際にお食事をされているところを見る機会がありませんでしたから。こうして、目の前でおいしそうに料理を食べているお嬢さまを見られて、少し嬉しいですね」
はい、ビッグバン。
世界大革命。
今ここに、世界がさらなる平和となったことを、わたくし、フランが宣言させていただきます!
性別の壁を越えてあらゆる人を虜にしてしまうんじゃないかってくらいの料理長に「はぁ」と大げさなため息をこぼすと、料理長は一転、オドオドし始める。
「ぼ、僕! 何かお気に触るようなことを言ってしまいましたか⁉」
どうか見捨てないでくださいと潤む瞳がまたあざとい。
「料理長、一緒に世界を救いましょうね」
「は?」
「マイエンジェルメンバー、略してマイメンでいきましょう」
「まいめん?」
「私たち、多分世界で一番のお料理コンビになれますよ」
「はぁ……」
「これからも、おいしいご飯を食べて、世界を救っていきましょうね!」
ひとまず、頭の中の『旅の目的リスト』に私は一つ項目を書き加える。
『料理長が悪いお姉さまやお兄さまがたに食べられちゃわないように見張る』
これだ。
なにがなんだかよくわかっていないらしい、無自覚天然真面目イケメン属性多すぎ料理長は不思議そうな顔をしながらも、再びパスタを口に運んだ。