2.旅は道連れ、世は情け?
「あのぅ……料理長?」
自分よりも落ち込んでいる人を見ると冷静になれるらしい。
お屋敷を追放されてすぐ。早速そんな事実を学んでしまった。
閉じられた屋敷の門の前でぐったりとうなだれている青年、もとい料理長は、完全にお葬式モードだ。
私も被害者だが、料理長はもっと被害者。つまり、超被害者的な?
「と、とりあえず! 今ならまだ間に合うかも? ですよ! お母さまたちだって、料理長がいなきゃおいしいご飯は食べられませんし! 私も説得します‼」
だから、ねぇ! お願いだから、元気出して!
さすがに、自分よりも年上のお兄さん――料理長はイケメンすぎて年齢不詳だけど、年下ってことはなさそうだ――にメソメソされては、こちらも困る。
「せ、せめて立ち上がっていただけませんか? お辛い気持ちはよく分かりますが……こう、ぐっ! と! 覚悟を決めて! ね⁉」
「……を……める」
「え?」
「そうですね……。覚悟を、決めなければ、なりませんね……。お嬢さま」
ゆらりと料理長が顔を上げた。初めて視線が交わる。
サラサラのブロンドの髪。その奥に、とろけるようなアンバーの瞳がつやめいている。
正直、あまりの眩しさに目が死んじゃうかと思った。
うっと両手で目を覆うと、「お嬢さま?」とこれまた爽やかな声で問いかけられる。
こりゃぁ奥様方もいちころですぜ、旦那ぁ。
あ、やばい。変な扉が開いちゃうところだった。閉じなきゃ……。
いそいそと心の扉をしめて、私は大げさに目をこする。
とりあえず、イケメン用シールドを心と両目にがっちり装備して、準備は万端だ。
「それじゃぁ! 早速おうちに……」
お屋敷の門に手をかけようとしたところで、クイとその手が引かれる。
もちろん、引いたのは料理長だ。
くっ! イケメンシールド発動!
イケメンは気安く女の子に触ってはいけません!
「どっ、どうかしましたか?」
動揺を払いのけるように振り返ると、料理長がしゅんとしていた。
もしかして不安なのかな。料理長にとって、両親はたとえどんなに良い人であろうと主人。その主人の命令を断るなんて、従者には考えられないのかも。
だが、料理長の口をついて出たのは、私の予想をはるかに裏切るもので――
「お嬢さま。僕は、お嬢さまと共にお屋敷へ戻ることは出来ません」
覚悟とは程遠そうな顔。そのちぐはぐさに、思わず「は?」とレディにあるまじき声もどきを発してしまう。
「そんなことないですよ! お父さまもお母さまも、話せばわかってくださいます!」
「いいえ。お嬢さまはともかく、僕はきっとお二人に見限られたのです」
「どうしてそうなるんですか⁉」
話がロケット並みに飛んでませんか、料理長!
「ここ最近……いえ、一年ほど前からでしょうか。僕は、料理長という立場でありながら、僕自身が満足のいく料理をお出しできておりませんでした。お二人はそのことに気づいておられたのでしょう。どうにかして僕を追い出すために、心お優しいお二人は、お嬢さまの一人暮らしという建前で僕を……」
巻き込んでしまったのはこちらなのです。そう言わんばかりに涙をたっぷりためた綺麗な顔で見られては、私も言葉に詰まる。
え、何なのこの人。ネガティブすぎない⁉
料理長が言っていることの半分も理解が出来ていないのは、私の頭が足りないからではないと思う。
「ありえません! 料理長が作ってくださるお料理は、いつだってすっごくおいしいですし! さっきのグリフォンのステーキだって!」
「お嬢さまも、お二人に似てお優しい。ですが、お気遣いは無用です。満足のいく料理をお出し出来ていないのは、本当のことですから……」
自虐もここまで来るともはや自惚れに近い。だが、端正なお顔のせいで、どうにもセンチメンタルな雰囲気がぴったりと型にはまっていて説得力がある。
私の精一杯の励ましは空振りに終わったわけだけど、それも仕方ないかなって思えるくらい。
「お嬢さまがどうか無事に、一刻も早くお屋敷へとお戻りになれるよう、僕は誠心誠意お嬢さまに尽くす所存です。ですからどうか、憐れんでくださるのでしたら、ご慈悲をおかけください」
地面に頭がついているんじゃないかと思うくらい平伏し、自らよりも明らかに年下な乙女にすがる青年。
さすがに絵面がヤバすぎる。
こんなの、お向かいのおばさまに見られてしまったら大変なことになっちゃう。
「顔を上げてください、料理長! お気持ちは痛いほどよくわかりましたから‼」
慌てて料理長を促すと、巨匠の絵画よろしく美しい瞳に再び射抜かれた。
「僕を同行させてくださるのですか?」
「まずは、土下座を辞めていただけると……」
「お嬢さまからご許可をいただくまで、僕はやめません!」
「わかりました! 分かりましたから! 私もさすがに一人では心細いですし」
「本当ですか⁉」
「本当です! 本当だから、すぐにでも立ち上がってください!」
ネガティブなくせに変に頑固だ。っていうか、超変人!
私が懇願したことで、ようやく彼は立ち上がった。真っ白なコックコートについた土を軽く払って、美しい一礼をしてみせる。
「ありがとうございます、お嬢さま。専属の付き人として、このネクター・アンブロシア、地の果てまでもお嬢さまについてまいります」
――先ほどまでのことがなければ、白馬の王子様が現れたように見えたことだろう。
違う意味で呆けていると、彼は私の手をとって、その甲にキスを一つ落とした。
「ひぁっ⁉」
驚きと恥ずかしさで手を引っ込めると、料理長は真剣な顔をこちらに向ける。
「旅は道連れ、世は情け。どうぞ、よろしくお願いいたします。お嬢さま」
って、あれ……?
ちょっと待って。帰らない前提になってるよね? ついさっきまで、私はどうにかこうにか料理長と共におうちへと戻る策を考えていたはずだ。
なのに。
どういうことでしょう。このお屋敷を出ていくことは、決定事項のようです。