198.探し人を思い出して
部屋を抜けてホテルを飛び出し、私は大きな魚のネオンサインを頼りに走る。
「お嬢さま! お待ちください!」
後ろから追いかけてくるネクターさんに、ぐいと手を掴まれて、私の足は強制的に止められた。
「どうなさったのですか⁉」
「あそこのお店の人を見たことがある気がするんです! 追いかけなきゃって思って!」
「店の?」
クラーケン災害の後始末で、港はとにかく人、人、人。私が見つけたおじさまも、そんな人混みに紛れてしまう。目をこらせば、人と人のわずかな隙間から、一服を終えたのか店内に入っていく様子が見えた。
「ネクターさん! あのお店に行きましょう!」
「ちょっと待ってください! まずは落ち着いて。お店の方ならすぐにはいなくなりません。お嬢さま、まずはその方がどなたなのか、思い出した方が良いかと」
ネクターさんにしっかりと回り込まれて、前方をふさがれる。背の高いネクターさんに前へ立たれると、私はなすすべがない。
「大丈夫です。少し落ち着いて、一緒に考えましょう」
おずおずと伸ばされた手が、優しく私の頭に触れる。ネクターさんは慣れない動きで私の頭を撫でた。
「……す、すみません。確かに、急すぎますよね!」
エンさんの時は平気だったのに、なんだか照れくさくて私はパッと顔をそむける。
思考が分散されたおかげで、少し気持ちも落ち着いた。
私たちは邪魔にならないよう道の端によって、さきほどのおじさまについて考える。
「僕はあまりよくお顔を拝見できていなかったのですが、一体どんな方なんですか?」
ネクターさんに聞かれ、私は出来る限りの情報を整理する。
「えぇっと……なんていうか、顔は人懐こい感じのおじさまで……。雰囲気はダンディだけど、ちょっとサーファーっぽいような。体とか、腕のあたりががっしりしてて、漁師さんっぽく見えたんですけど、お店の服はコックさんみたいでした」
言いながら、一体どこで見たんだっけ、と私は必死に記憶を辿る。
つい最近ではない。だが、頭の片隅に残っている記憶が、何か大切なことを忘れていると告げている気がする。
「その方と、ご面識はないんですよね?」
「ない、はずです……。でも、どこかで見たことがあって。知ってる人だと思うんです! それに……」
見つけた、と思ったのだ。
おじさまを見た瞬間に、何かに弾かれるように体が動いていた。あの人を、絶対に見失っちゃいけないって。
「……まさかとは思いますが、お嬢さま……。その、前世の記憶があるとか……」
「そんなわけないです!」
「で、ですよね⁉ では、ままま、まさか、ここ、こ、恋……」
「それもないです」
ネクターさんが落ち着いてください。
私は本気なんです、と肩を落とせば、ネクターさんもしゅんとうなだれた。
だが、ネクターさんもそこで諦めるわけにはいかないのだろう。気を取り直すように「そうだ」と手をたたく。
「何かお写真で見かけたようなことはありませんか? テレビや、ネットで有名な方とか。ズパルメンティの観光ガイドのお店に載っていた方とか……」
ズパルメンティの観光ガイドはつい最近みたばかりだからともかく、過去に写真なんかで見ている可能性は十分に考えられる。
お母さまか、お父さまの知り合い?
何かの写真に写ってて、たまたまそれを覚えてたなら……。
「ん……? 写真……?」
私は見失ってしまったおじさまの雰囲気をぼやぼやと写真の中におさめて、そのシルエットにすぐさま魔法のカードを取り出した。
「もしかして!」
魔法のカードを起動させ、アルバムを開く。大量の思い出をスイスイとさかのぼっていけば――
「この人!」
私の手が一枚の写真で止まった。
「エイルさんのお父さまだ!」
魔法のカードをずいとネクターさんの方に差し出して見せる。
確か、シュテープの漁ギルドで漁師として働いていたところ、船が遭難して帰ってこなくなったんだとエイルさんのお母さまが言っていた。
シュテープ中を探したけれど見つからず、どこか他の国にいるのかも、なんて話までして。
私は私で、「旅に出るから探してみる」と各国でチャンスがあれば話を聞くようにしていたから――
「見たことがある気がしたんです!」
合点がいった、と声を上げれば、ネクターさんも目を見張った。
毎日見ていたわけではない。けれど、常に頭の片隅にいた人。
まじまじとその写真を見るのは初めてだけれど、脱色した海の男らしい髪色や体格の良さ、エイルさんによく似た人懐こい顔。
そのどれもが、先ほどのおじさまによく似ている。
「……そんなことが、あるんですか」
ネクターさんは驚きのあまり、良い言葉が見つからないみたい。ハクハクと口を動かして、ゆっくりと視線をネオンサインに光る大きなお魚の看板へ向ける。
「そういえば、この看板も、シュテープの漁港で見たあのお魚の看板によく似てる気がします!」
漁ギルドにかかった青いお魚の形をした看板と、ズパルメンティの港を照らすネオンサインのお魚。大きさもそっくりだ。
シュテープでは、漁師をやっていたというエイルさんのお父さま。奥さまは料理人だ。もしかしたら、運よく船がズパルメンティにたどり着いて、奥さまと同じように料理人を続けることになったのかも。
俺はここにいるぞって、そういう証明をしているのかもしれない。
「ネクターさん!」
私がお店の方へ視線を向けると、ネクターさんも状況を理解したのか
「行きましょう」
と歩き出す。
チカチカと光るネオンサインの下をくぐれば、あたたかな風合いの照明が私たちを出迎えてくれた。
少し古めの選曲がジュークボックスの形をした大型のスピーカーから聞こえてくる。
お店はたくさんの人で賑わっていた。
私たちの姿を見つけたウェイターさんが申し訳なさそうに頭を下げてやってくる。
「すみません、ただいま満席でして……。外のテラス席であれば、ご用意できますが」
「大丈夫です! あ! あの、一つお願いが! この人を探していまして……。良かったら、少しお時間をいただきたいんです」
私が魔法のカードを差し出して、エイルさんのお父さまの写真を見せるとウェイターさんは少し不思議そうにしながらも、「わかりました」と私たちをテラス席に案内して、店内へと戻っていく。
――もうすぐ、エイルさんのお父さまに会える。
私はなぜだか無性に胸がいっぱいになって、ソワソワと落ち着かなかった。