197.海辺の宿、感じる予感
「……で、結局こうなるわけですか……」
ネクターさんが部屋の前であからさまなため息をついた。私との同室にはもう慣れたものだと思っていたけれど、やっぱり嫌なものは嫌らしい。
正直、そこまで落ち込まれると私もショックなんですけど⁉
「しょうがないですよ! 軍人さんたちや、出航予定だった人たちがこの辺りの宿に集中してるって言ってましたし……」
「それはそうなんですが……」
クラーケン災害で港は大混乱。
被災した人はもちろん、災害対処にあたる人が至るところから集中した結果、宿がなくなってしまうのも無理はない。
何軒かまわってはみたものの、そもそも空室が見つからないなんてこともあったし、宿泊できるだけでもありがたい。
「それにほら! ベッドだって大きくてふかふかですよぉ!」
私が部屋に備え付けられたキングサイズのベッドにダイブすると、ネクターさんは
「小さくてもいいから、分けてほしかったんです」
と再びため息をついた。
「とにかく! 僕はソファで寝ますから、お嬢さまがベッドをお使いください」
「えっ⁉ そんな! ネクターさんだって疲れてるじゃないですか! 別に大人二人が寝たって平気です!」
「ダメです! 絶対に! それだけは、お嬢さまの命であっても絶対にいけません!」
ネクターさんが頑なにブンブンと首を横に振る。
ソファも大きいし、ネクターさんが寝るには申し分ない広さだとは思うけど……。
「もうネクターさんは家族みたいなものじゃないですか。何をそんなに遠慮することがあるんですか」
そりゃ、別に一緒のベッドで寝なくちゃいけない、なんて決まりはないけれど。
絶対ベッドで寝た方が楽なのに、と私が首をかしげるも、ネクターさんは「ダメです」の一点張りだった。
折れそうにないから、私もそれ以上は追及しないことにする。
あまり言い争っても仕方のないところだし。
「……お嬢さま、今後、もしも、男性の方をお部屋にあげるようなことがあっても、ベッドをすすめることだけはおやめください」
ネクターさんの懇願に「はぁ……」と曖昧な返事をすれば、ネクターさんは「絶対ですからね!」と私に念を押した。
「それにしても、すごいですねぇ! もう日も落ちてきてるのに、まだこんなに明るい」
荷物を片付け終えた私は、ネクターさんのお小言から逃げるようにバルコニーへと出る。
すぐ外は港町。ズパルメンティの海が一望できるお部屋だ。
災害の後始末で多くの人が寝ずに働いているからか、港に立ち並ぶ多くの店がまだ明かりをつけたままだ。
それだけでなく、船の照明や、灯台のランプ、軍人さんたちの拠点から漏れる光が町中を照らしている。
「港町の方はしばらく大変だと受付の方も言っておりましたからね」
ネクターさんもバルコニーの方へとやってきて、私の隣に並ぶ。
「本当に……。なんていうか、慌ただしいけど……ちょっとお祭りの前みたいです」
あちらこちらでクラーケン災害の状況を確認する声や、クラーケンを引き上げるための指示が飛んでいる。
幸いにも死人はおらず、ケガ人も多くはなかったようで、どちらかといえば水浸しになった建物や道の整備に追われているようだ。
それでも、ズパルメンティの人たちはどこか楽しそうだ。こうした水害にも慣れているのか、ずいぶんと手際も良いし、なによりみんなで声をかけあって和気あいあいと作業している。
あの大物クラーケンが倒せたのだから、ある意味祭りと言えば祭りなのかもしれない。
「明日のお昼が楽しみですねぇ~!」
「本当にクラーケンが食べられると良いのですが」
もともと、フィーロさんからの取引はクラーケンを無償で食べられるから、討伐を手伝ってくれ、というもの。
ばっちり討伐は完了したし、スメラさんとフィーロさんと明日のランチの約束もある。
「絶対食べられますよ! フィーロさんたちが嘘をつくとは思えません!」
「お嬢さまは、本当によく人を信頼される」
「そういう商売をしてる家に生まれましたからね!」
私がえへんと胸を張ると、ネクターさんは曖昧に微笑んだ。
「……まったく、その通りです。僕は、まだどうしても過去のことを思い出して、疑り深くなってしまう。いけませんね」
彼のアンバーの瞳が穏やかに細められる。
「お嬢さまのように、僕ももっと周りを信頼し、頼って、みんなと共に力を合わせれば良かったのに」
「……これから、そうしていけばいいんです。きっと、今のネクターさんなら出来ますよ」
料理人の世界のことは私には分からないけれど、どんなお仕事だって、人と人のつながりで成り立っているのだ。
相手を尊重して、認め合うことが出来れば、きっと大丈夫。
「本当に、お嬢さまにはかないませんね」
ネクターさんはふっとやわらかく笑うと、港の向こうを大移動するクラーケンを指さす。
「もしも、クラーケンが手に入ったら……また、一緒に料理をしましょうか」
「いいんですか⁉」
「はい。僕も良い食材を目にして、久しぶりに料理がしたくなりました」
包丁とお鍋には触らないと約束してくださいね、と付け加えられたけれど、ネクターさんと一緒にお料理が出来るならそれだけで十分だ。
私がうなずくと、ネクターさんも嬉しそうにはにかんで見せた。
「今日の晩ご飯は何にしましょうか」
「この様子だと、お店もたくさん混んでそうですねぇ」
「そうですね。ですが、おいしそうなお店もたくさん並んでいますし、店の外でなら、いくつか空いてる席もありそうですよ」
ネクターさんが階下に広がる港町のお店を順々に指さしていく。
テラス席ならまだ何席か余裕のある店もあるし、最悪の場合は持ち帰って海を見ながらバルコニーで食べるのも悪くない、なんて話も自然と弾む。
「あ! あそこも、おいしそ、う……?」
大きなお魚がピカピカと光るネオンサインの看板を指さした私は、そこで「あれ」と違和感に声をあげる。
「お嬢さま?」
「……あの人、どこかで」
私は目を凝らして、店先でタバコを吸う店員さんを見つめる。
どこで会ったか思い出せない。いやむしろ、自分の父親と同じような年代のおじさまなんて、両親の知り合いでなければ個人的には知らないはず。
……だけど。
「お嬢さま⁉」
「ネクターさん、行きましょう!」
どうしてかその人を見失ってはいけないような気がして、私は慌てて部屋へ引き返した。




