195.水の国、ズパルメンティへ
「さ、到着したわよ」
スメラさんは港から少し離れた砂浜へと水上機を着陸させた。人の姿も見えず、プライベートビーチみたい。
スメラさんとフィーロさんの手を借りながら水上機を下りれば、そこはもうズパルメンティの地。
白い砂浜に足をつけると、やわらかに体は沈む。心地の良い感覚だ。
「このままじゃ不法入国だな」
フィーロさんが冗談めかして肩をすくめる。
「それはいけません! 早くなんとかしなければ!」
ネクターさんが大慌てでキョロキョロとあたりを見回し、「ど、どうか命だけは! お嬢さまだけはお守りください!」とフィーロさんに向かって頭を下げた。
「……別に問題ない。港に手続きする役所があるから」
「ふふ、ネクターさんって面白いのね。もっとクールな感じかと思っていたけれど」
まさか本気と捉えられると思っていなかったのだろう。冗談を口にしたフィーロさんはヤレヤレ、と首を横に振り、スメラさんはその隣でクスクスと笑う。
「スメラはどうする?」
「私は一度研究所に戻るわ。どうせ港の方も、今はクラーケン災害で大混乱中でしょう」
「それもそうだな」
そっか。スメラさんは元々ズパルメンティの人だから、入国手続きとかいらないんだ。
私がここでお別れになっちゃうのか、と少し寂しいような気持ちでスメラさんを見送ると、彼女は水上機に乗り込んだところで「あ」と声を上げた。
「そうだ。二人は明日からの予定は決まってるの?」
「いえ、僕らはまだ……」
「それなら、明日のお昼は一緒に港のあたりでランチでもどうかしら」
スメラさんは「せっかく出来た縁だもの。ここでさよならなんて寂しいでしょう?」と優しく微笑んで見せる。
どうやら同じことを考えてくださっていたみたい。
「はい! もちろん!」
「もちろん、フィーロも来るわよね」
「あぁ。明日の昼なら、恒例のアレも開催されてるころだろうしな」
「ふふ。楽しみにしてるわ。じゃあ、またね!」
スメラさんは開いた屋根から手を振ると、水上機を離陸させる。
バラバラと強風を巻き上げ、水面を揺らしながら、スメラさんを乗せた水上機は空へと舞い上がっていった。
水上機が見えなくなるまで振っていた手をおろすと、フィーロさんが
「それじゃ、役所へ行こう」
と先ほどは通り過ぎてしまった港の方へと歩き出す。
砂浜をそれるとすぐに石畳の綺麗な歩道が出てきて、歩きにくさを覚えることはなかった。
「フィーロさん、さっき言ってた恒例のアレってなんですか?」
「明日になればわかる」
「えぇっ! 気になります!」
私の疑問をはぐらかして、フィーロさんは先を行く。フィーロさんの隣に追いついてその横顔を窺えば、久しぶりの故郷の景色を懐かしむように彼女は目を細めた。
恒例のアレについては追及してもきっと教えてくれないだろう、と話題を変える。
「やっぱり、帰ってきたって感じがしますか?」
「そうだね」
フィーロさんは満足げに答えた。
「懐かしいし、落ち着くよ。紅楼もずいぶんと慣れたけど」
「でも、全然景色が違いますもんね!」
紅楼はとにかく赤土の岩山に囲まれているけれど、ズパルメンティはもっと開放的だ。
石畳を挟んで、砂浜の反対側には水路が流れていて、海や川の青が目立つ。まさに、水の国って感じ!
家の外壁はカラフルで、そこはちょっとベ・ゲタルみたい。
でも、原色が多かったベ・ゲタルに比べて、もう少しくすんだような落ち着いた色合いが多くて、鮮やかだけど目に優しい。
「フィーロさんは、これからどうするんですか?」
「実家に帰ってしばらく休むつもり。二人を案内してあげられれば良かったんだけど、家族がうるさくてね」
フィーロさんは「もう子供じゃないのに」と呆れたように肩をすくめる。
フィーロさんのご両親のことだから、クールな感じなのかと思っていたけれど、どうやらそうでもないようだ。
いくつになっても、親からすれば子供は子供。
お母さまも、お父さまも、何回電話したって最後は泣きそうになってるし……。
「ちょっと、気持ちは分かります」
自分から追い出したくせに、しっかり心配だけはしてくれる両親に感謝はしているけれど。
私が苦笑すれば「フランも大変だね」とフィーロさんはため息をついた。
「でも、帰る場所があるというのは幸せなことですから」
ネクターさんが自虐を交えるように私たちをフォローする。私と違って、料理長の座をはく奪され、私の付き人にされたネクターさんが言うと、なんていうか説得力があるというか……。
「ネクターさんも、一緒に帰るんですからね!」
「そう言っていただけるだけで幸いです」
「……ほんと、二人って変な関係」
「「変ですか?」」
私とネクターさんの声が重なる。フィーロさんは「自覚なし?」と私たちを見比べた。
「主人と従者には見えない。兄妹か……そう、夫婦みたい」
「なっ⁉」
「ふ、夫婦⁉」
「ほら、息ぴったり」
フィーロさんは私たちをからかうように微笑むと、クルリと身をひるがえして再び一歩前を歩く。
「もうすぐ港だ」
指をさした方向に視線をやれば、賑わう家々の向こう側に、大量の旗がなびいているのが見えた。
「あれがズパルメンティの港!」
水路がいくつも合流し、石畳の橋がたくさんかかっている。その間を往来する船には、たくさんの人が乗り込んでいた。
クラーケンの戦闘で、多くの人たちが駆り出されていたのだろう。軍服のようなかっちりとした服を着こんだ人たちもいる。
港へと近づくにつれ、軍人さんのような人だけでなく、漁師さん、警官、一般の人……多くの人々が慌ただしくしている様子も見てとれた。
「すごく忙しそう……!」
「クラーケン災害の後だからね。役所も混んでるかも」
クラーケンを倒した後も、被害の確認やその後処理に追われてバタバタしてしまうのだそうだ。
「今日は観光どころじゃないから。ホテルを探してゆっくり休んで」
フィーロさんが言うなら間違いないだろう。私とネクターさんは顔を見合わせて、ひとまずそれに従うのが良さそうだ、とうなずきあう。
到着した港は、大砲や緊急用の戦闘車両がひしめきあっていて、あまり見慣れない港の様子に私たちはただ圧倒されるばかりだった。