180.憧れ、大人になりたい
紅楼国からズパルメンティまでの船旅は、プレー島群の船旅の中で最も長い。
今回は途中の小さな島でいくつか停泊する船だから、合計で十日ほどの旅程だ。
さすがに十日間も船で過ごすとなると、船の方にも人を飽きさせない設備が整っているわけで……。
「フィーロさん、すごい……」
併設されたカジノのど真ん中、ポーカーにいそしむフィーロさんはただいま大量のチップを回収中。
「フランもやる?」
「良いんですか⁉ せっかくこんなに勝ってるのに……」
「このチップを使えばいい。負けても痛くない」
目の前に積み上げられたチップは、たしかに一戦くらいなら負けてもまったく問題なさそうだ。
「ポーカーは駆け引き、運も重要。商人にはかかせない」
フィーロさんがフッと微笑んで、私に席を譲る。
「後ろについてる。教えてあげるから、どうぞ」
フィーロさんたちと一緒にポーカーをしていた他のお客さんもうんうん、とうなずいた。
なんだか、カジノってちょっと怖いイメージだったけど、旅客船の中だからか、案外アットホームな雰囲気だ。
十日間もある船旅で、何度も顔を合わせる相手。ギスギスしちゃったら辛いもんね。
「そ、それじゃあ、皆さんの胸をお借りするつもりで頑張ります!」
フィーロさんの代わりに席へと腰かけると「よろしく」とあちらこちらから挨拶される。
「では、はじめましょう」
渋いディーラーさんが開始の合図を告げて、私の手元には五枚のカードが配られた。
*
「カジノ、すっごく楽しかったです!」
「フランは才能がある。儲けたな」
「フィーロさんのおかげです! 引き際も大事なんですね、勉強になりました!」
私はフィーロさんの指導もあって、ポーカーは負けなし!
一緒に賭けてくださっていた他のお客さんとも仲良くなれたし、良い経験になった。
言葉だけでなく、態度や表情、細かな仕草から交渉の波を読む。乗るか、引くか。その絶妙な駆け引きが、商売にもいつか役立ちそうだ。
「ネクターも一戦くらいやればよかったのに」
「いえ、僕はこういう賭け事はちょっと苦手で……」
「そうか、なら仕方ないな」
後ろで私のことを応援してくださっていたネクターさんは、結局ポーカー以外にも手をつけていない。
カジノの雰囲気が楽しめただけで十分だ、と微笑んだ。
「むしろ、フィーロさんがカジノをたしなまれるのは少し意外でした。こういったことには、ご興味がないかと」
「そう? 船での楽しみ方は覚えたつもり」
「紅楼とズパルメンティを良く行き来されるんですか?」
「まあね」
それにしても……甲板に並ぶフィーロさんとネクターさんって、美男美女って感じで本当に絵になるな。
エンさんと歩いている時も絵になったけれど、フィーロさんの時は異性だからかまた別の大人っぽい雰囲気がある。
二人が話している様子をじっと見つめていると、フィーロさんがこちらへ視線を投げかける。
「どうかした?」
「いえ! その、二人が並んでるとすごくかっこいいなって! 映画みたいです!」
「そ、そうですか……?」
「分からない。映画は見ないから」
「え、フィーロさん、映画見ないんですか⁉」
「あぁ。現実世界の方がよっぽど面白いでしょ」
フィーロさんはフッと口角を上げる。
彼女の向こう側には広大な海。ズパルメンティから紅楼へと渡ったフィーロさんは、きっと刺激的な毎日を過ごしているのだろう。
言われてみれば、私も旅をしている間、あまり映画は見なかった。移動の間くらいだ。
珍しいものに触れたり、食べたり。外の世界を見ることに忙しかったから。
「フランはいろんな国を旅してきたんでしょ? どうだった?」
「まだ二か国ですけど! でも、面白かったです! ベ・ゲタルも、紅楼も、シュテープとは全然違って、貿易が盛んになっても変わらないことってあるんだなって」
それが、文化や風習として残っているのだから、各国、自らの国に誇りを持っていて、大切にしているんだろうと分かる。
「もしも、貿易が今以上に栄えても、その文化の違いを受け入れて楽しめたら幸せだなって思うんです。私は、貿易企業の一人娘だし、旅が終わったら貿易業を継いでいろんな商品をやり取りすることになると思うけど……それが、今はすごく楽しみです!」
素直に自分の気持ちを告白するのは少し勇気がいるけれど、ネクターさんとフィーロさんなら馬鹿にせず受け止めてくれるから。
照れくさいけど正直に話せば、二人は静かにうなずいた。
「良かった。聞いているこっちが嬉しくなる」
フィーロさんは目をやわらかに細める。
綺麗な青い瞳が海の方へと向けられて、すぐに表情は見えなくなった。
ネクターさんも「ご立派になられましたね」とまるでお父さまたちみたいな慈愛に満ちた瞳で笑う。
ネクターさんこそ、紅楼での旅を通じて大きく変わった人だと思うけど。
二人の対照的な髪の色合いが、海風に吹かれて揺れる。
あの二人の間に立っても恥ずかしくないような大人になりたい、と憧れめいた感情がむくりと湧き上がった。
「さ、そろそろ夕食の時間ですね。レストランの方へ向かいましょうか」
この船のレストランは、旅程の前半が紅楼の食事、後半がズパルメンティの食事になるそうだ。
まだまだ紅楼のおいしいご飯が食べられるなんて嬉しい!
「そういえば、ネクター」
レストランへ向かうネクターさんの背中を、フィーロさんが呼び止める。
「君に医者を紹介すると言ったが、まだ心変わりはないか? もう、十分そうに見えるが」
「……はい。味覚は少し戻りましたが、まだもう少し……戻したい、と思っています」
「分かった。なら、今のうちに連絡を入れておく。先に行っててくれ」
「ありがとうございます」
フィーロさんがネクターさんを気にかけてくださっているのが分かる。
クールな彼女の本心がどれほど優しさにあふれているのか、私たちはその時初めて実感した。
人との距離感の取り方もスマートだし、突き放すことはないけれど、無理に馴れ馴れしくもしない。
やっぱり、フィーロさんってすごくかっこいい!
「先に行って、お待ちしておきましょう」
ネクターさんに促され、私は彼女への憧れを胸に甲板を後にした。




