178.品数は思い出の数
山菜のおひたし、イワノコの醤油焼き、揚げ出し豆腐。サラダはもちろん、磁鉄鉱魚のマリネまで。
これで前菜だというのだから、一体この後何品やってくるのかと思うと恐ろしささえ感じてしまう。
けれど、そのどれもがおいしくて、私たちは口々に「おいしい!」と声を上げた。
特に、磁鉄鉱魚のマリネは香炉宮以来の再会だ。もてなす側のエンさんでさえ喜びをかみしめていた。
一品一品が小さくとも、その膨大な量にお酒も進むしご飯も進む。
前菜を食べ終わらないうちにタマゴスープが出て来ると、これには「俺の方がうまい」とエンさんが笑いを誘う。
「エンのスープも味わいたいですね」
「あぁ、そうだな。いつでも遊びに来い。なんなら、お前は俺と店を開け」
「また横暴な」
ネクターさんが肩をすくめると、エンさんは「本気だよ」と冗談めかすものだから、本当に「本気」なのかは分からなかった。
タマゴスープで体があったまったら、いよいよ主菜。
アカハタの清蒸、紅玉蟹の丸ごと焼き、熱波山とドラゴン唐揚。
四品全てが大皿に盛られている。
「はわぁぁっ! こんなに食べていいなんて! 幸せです!」
「フランはよく食べるな」
そう言いつつも、フィーロさんもケロリとした顔で口元をぬぐっている。その細身のどこにお料理が入っているのか不思議でしょうがない。
「お嬢さま、ご無理はなさらずに」
「はい! おいしいから食べ過ぎないように注意しないと!」
「はは、お嬢さんを見てると俺もつい食べ過ぎるからな」
「それにしても、どのお料理も本当においしいですものね。この後、主食、点心、デザートもまいりますから、気を付けないと……」
皆口々に胃の容量と相談しているようだけれど、言葉とは裏腹に、表情が「まだ食べられる」と主張している。
どれだけ食べてもお料理がなくならないなんて、これ、どんな天国なの?
「んん~! アカハタの清蒸、懐かしい味がします! 最高です!」
「はは、お嬢さん、ドラゴン唐揚もいるか?」
「はいっ!」
お皿に取り分けてもらって、ドラゴン唐揚も頬張る。
「んっ! やっぱり、おいひぃ……あ、あふっ!」
バリバリの衣の内側から、熱と旨味を閉じ込めた脂がじゅわっとはじけて、はふはふと口の中を慌てて冷ます。
ネクターさんも、味覚が戻ってから初めてのドラゴン唐揚だ。黙々と食べたかと思うと、
「エンが最初に食べさせてくれたものよりも、ずいぶんとおいしいですね」
と笑った。
「おい、その話はやめろ」
「あら、お兄さまのお料理が負けるだなんて」
「若気の至りだ。素材の味を際立たせてこその料理人だと思ってたからな」
インさんがコロコロとお兄さんであるエンさんをからかうように笑う。
エンさんは面倒くさそうにしっしと手を払って、
「まったく、味覚が戻ったらお小言まで戻ってきたな」
とネクターさんに嫌味を返した。
はじめはどこかよそよそしかった二人が、いつの間にかこんな風に軽口をたたき合う仲になっている。
インさんとフィーロさんもすっかり打ち解けていて、なるほど、紅楼の円卓はみんなの顔が良く見えて楽しいな、と私は一人その時間を噛みしめた。
「お待たせしました。フカヒレチャーハンと五目焼きビーフンになります」
主菜が終われば、主食が出てくるのが紅楼饗席のコース。
こちらもやはり大皿に盛られていて、もうこれ以上どうやってテーブルにのせるんだ、と言いたくなるけれど……。
一方で、片付いたお皿をさげると、どういうわけか結構なスペースが出来上がる。
私たち、気づかないうちにずいぶんとたくさんのお料理をおなかにおさめていたみたいです……。
「五目焼きビーフン、おいしそうですね!」
シュテープではあまり食べることのない麺類の一つだ。フカヒレチャーハンも気になるけれど、まずは食べたことの無いものから食べたい。
ネクターさんがお皿によそってくださって、私は早速口へ運ぶ。
ちゅるんっ! 口の中へ滑っていく感覚、しっかりとした塩味とエビのプリプリとした食感、ビーフンの独特な旨味がガツンと広がる。
「おいしいっ! ふ、太っちゃいます……! こんなに食べたのに、まだまだ食べられそうです……!」
ビーフンの旨味に食欲がまた刺激されてしまった気がする。豪華すぎる!
「久しぶりに食べたが、たしかにこれはうまいな」
「いくらでも食べてしまえそうですわ。お兄さま、ビーフンもいつか作ってくださいまし!」
私以外の女性陣からも大好評だ。
男性陣もフカヒレチャーハンをおいしそうに頬張っていて、その姿に私もチャーハンをお皿へと取り分ける。
次から次へと出てくるお料理に翻弄されて、自分の意志とは裏腹にお箸が止められない。
「チャーハンもおいしい……! このあんかけが、お米としっかり絡まってて……! しかも、フカヒレがムチムチ、ホロホロ……」
「まだこの後、点心もくるからな。お嬢さん、覚悟しておけよ」
「ほぇぇ……幸せです……お料理に埋もれて死ねそう……」
話していたそばから、小籠包や焼麦、一口サイズのエビ餃子にゴマ団子と、先ほどに比べれば控えめな、けれど確かに量のある竹のカゴが置かれていく。
それらもしっかり味わって、ラストのデザート、マンゴープリンと杏仁豆腐まで食べ尽くせば……。
「本当においしかったです!」
これ以上ない満腹感と幸福感で体中が満たされる。
「素敵な思い出が出来ました!」
私が頭を下げると、エンさんとインさんは、さすが兄妹って感じのそっくりな笑みを浮かべる。
「また遊びに来てくださいまし!」
「今度は俺も、シュテープへ遊びに行くよ」
「はい! お待ちしております!」
自然と手が伸びて、私たちはどちらともなく固い握手を交わす。
続いて、エンさんはネクターさんに手を差し伸べた。かと思うと、すぐさまその手を引っ込めて、代わりにずい、とネクターさんの方へ進み出る。
「元気でな」
エンさんはそのままネクターさんを抱きしめた。
ネクターさんは驚いたように目を見開いていたけれど、しばらくして、ゆっくりとエンさんの背に手を回し返す。
「本当に、ありがとう」
同僚というよりも、親友の温度感で紡がれたその言葉は、私たちの胸にじんと火を灯す。
豪華絢爛、紅楼最後の素敵なお食事はこうして幕を閉じ――私たちはいよいよ、ズパルメンティへ向けて出国することとなった。