177.最後の美しい夜に
途中、様々なところを観光しつつ、私たちはついに紅楼の旅の終着点、南側の港町へとたどり着いた。
もう明日には出国を控えているけれど、なんだかんだ、紅楼国にもずいぶんと長居してしまった。
その間、ずっと私たちについて案内をしてくださったエンさんは本当に優しい人だ。
南側の港町にも、老光旺飯店同様に歴史ある大きな宿屋があって、エンさんの伝手で私たちはその豪華なお宿に泊まることが出来た。
驚いていたのはフィーロさんで「さすがにここは初めてだ」ときらびやかな天井をまじまじと見つめている。
エンさん、恐るべしである。
「それにしても、明日で出国か。あっという間だな」
宿のロビーでチェックインしながら呟くエンさんの横顔が少しだけ寂し気に見えて、私の胸がきゅぅ、と締め付けられる。
エンさんは見た目こそ色気のあるかっこいいお兄さんって感じだけど、実際に話してみるとすごく親しみやすくて、明るい人だ。
だから、寂しそうなところとか、辛そうなところとか……そういう一面は珍しい。
私がじっと見つめていると、不意にエンさんの赤い瞳がこちらに向けられた。
バチン、と目があって、私は慌てて「あっ!」と声を上げてしまう。
「ん? なんだ、お嬢さんも寂しいって思ってくれてるのか?」
先ほどまでのしとやかな表情が、私をからかうような意地悪なものに変わる。
「嫁に来てもいいぞ?」
「行かせませんよ」
即答したのはネクターさんで「まったく、油断も隙もない」とエンさんを軽くあしらう。
この一連の流れも、もう見れなくなっちゃうのか、と思うと少し寂しいような。
「ま、今晩が最後なんだ。しんみりしてる暇はないぞ。晩ご飯には特別ゲストも呼んだしな」
「特別ゲスト?」
エンさんが宿のチェックインをすませると同時、
「お兄さま!」
と聞き覚えのある声が耳につく。
振り返れば、やっぱりそこには予想通りの人がいて……。
「お嬢さん! わたくし、ずぅっとお会いしたかったですわぁ! またこうしてお会いできるなんて光栄です‼」
お兄さまであるエンさんよりも先に、私の手をブンブンと上下に振るのはインさんだ。
「インさん! お久しぶりです」
「はぁ……。もう出国なされるなんて……もっとゆっくりしていってくださってもよろしいのに! でも、こうして最後にお会いできたんですもの! わたくし、とびっきりのお別れのお食事をご用意させていただきましたのよ!」
沈鬱そうなため息と、それを取り返すような笑みと。
ジェットコースターみたいなインさんの情緒に苦笑を浮かべつつ、「わざわざお見送りに来てくださったんですね」とお礼を伝えれば、インさんに「当たり前です!」と一喝されてしまった。
「それに……なんて美しいお姉さま!」
インさんは私の隣にいたフィーロさんへと視線を移し、私にもそうしたように、キラキラと目を輝かせてフィーロさんの手をブンブンと上下させる。
「お兄さまからお話は聞いておりますわ! わたくしは、インと言いますの。フィーロさま、このたびは、兄をドラゴンから護衛してくださり、ありがとうございます!」
「仕事だからな」
フィーロさんは、インさん相手にも動ずることなくクールに対応している。
さすがフィーロさんだ。普段ドラゴンを相手にしていると、インさんのテンションにも問題なくついていけるらしい。
「うるさくなって悪いが、まあ、せっかく最後の食事だからな。大目に見てくれ」
エンさんが肩をすくめると、「お兄さまは黙っていてくださいまし」とインさんが鋭く指摘する。この兄妹、仲が良いのか、悪いのか。
「で、イン? 店はちゃんと予約したんだろうな」
「もちろんですわ! わたくし、この辺りで最近人気のお店を調べてきましたの! 早速行きましょう!」
「おいおい、待て待て。先に荷物くらい置かせてやれ」
レッツゴー、と歩きだしたインさんの首根っこをひょいと掴んで
「悪いな。そんな訳だから、荷物を置いたらまたロビーに集合してくれ」
とエンさんが苦笑する。
さっきまでのしんみりムードも一転、いつもの和やかな雰囲気が広がって、私たちからは思わず笑みがこぼれた。
*
インさんが案内してくださったのは、港町が一望できるレストランだった。
高い岩山をくり抜いて作られたそのお店は、紅楼でも有名な食事処なのだそうだ。
岩山の頂上付近の個室に通されて、吹き込む潮風に少しのなつかしさを覚える。
「初めて紅楼に来た日のことを思い出しますね!」
私は思わず身を乗り出して、外を眺めた。
高低差のある建物は提灯で照らされ、そばに広がる海はたくさんの燈籠が浮かんでいて。
どこまでも続く岩山は、夜空の星を指し示すようにそびえる。
幻想的なその景観が最後の夜を特別なものに彩ってくれる気がした。
ひとしきり景色を楽しんでから席につくと、インさんがお料理の説明を始める。
「ここのお料理はコースですの。紅楼饗席と言って、紅楼の山の幸から海の幸まで、とにかく特産品や伝統料理を詰め込んだ楽しいコースですわ」
「そんな豪華なお料理を食べられるんですか⁉」
「もちろんですわ! かわいいお嬢さんのためですもの、わたくし、なんだっていたしますわ」
「まあ、最後のおもてなしってやつだな。最後まで楽しんでくれ」
なんと良い兄妹なのだろう、と私たちが感心していると、扉がノックされて食前酒やら、前菜やらが運ばれてくる。
まだ前菜だけだというのに、その品数は多く……。
驚く私たちに、エンさんとインさんはしてやったりと笑う。
紅酒の入ったグラスが全員に配られたのを確認すると、エンさんがグラスを持ち上げた。
「最高の思い出になった、ありがとう。ここからは、フィーロ、ズパルメンティまで二人を無事に送り届けてやってくれよ」
「もちろんだ」
「二人の旅路と、フィーロの帰路が良いものになることを祈って……一路順風の言葉で乾杯しよう」
「「一路順風!」」
私たちのグラスが華やかな音を立てる。
紅酒のつやめきを加えた美しい夜。
私たちは、きっとこの日のことを忘れないだろう。




