172.砂漠、満月、ユニコーン
月明りが一面の砂を黄金に変えた。
私たちはいつもより二枚、三枚、とお洋服を着こんでなお、白い息を吐く。
「さ、寒いですね……」
砂漠の夜は寒い。気温が一気に下がるとは聞いていたけれど、まさかここまでとは。
ガタガタと震える私の隣で、フィーロさんは「すぐに慣れる」と涼し気な顔だ。
「お嬢さま……本当に! 何かあったらすぐ! すぐに連絡するのですよ!」
「気をつけてな」
今にも泣きながらついてきそうなネクターさんと、そのネクターさんを必死に止めながらにこやかに見送るエンさん。
二人は、砂漠とオアシスの中間地点にある小さな遺跡の前で待機することになった。
なんでもユニコーンの聴覚や嗅覚はバカにならないらしく、少しでも男の匂いがすると興奮状態になって襲ってくることもあるらしい。
念には念を、とフィーロさんが二人をここで待機するよう指示して、代わりに、と小型の伝達用デバイスなるものをくださった。
耳元につける歯車型のイヤリング。決められた方向に歯車を回すと、同じくそれを持っている相手と通信が出来るらしい。もちろん、緊急用だから、使わないに越したことはない。
「ここからは二人だ。勝手な行動はしないで」
「はい! わかりました!」
ビシリと敬礼をすれば、フィーロさんがふっと笑みをこぼす。
「素直な態度はユニコーンにモテる」
「そうなんですか?」
「人の気持ちを敏感に察する生き物なんだ。ユニコーンに畏敬の念を抱き、尊敬する乙女には心を開く」
なんていうか……ユニコーンのイメージがちょっと変わった。
シュテープじゃ、性別は問わず、人懐こいイメージがあったし。
なんだかおじさんみたいだ、ユニコーン……。
しばらく砂漠を歩いているうち、遠くに背の高い木々が生い茂っているのが見えた。
一度、昼の間にネクターさんたちと訪れていたけれど、その時とは違う、もっと神秘的な風景。
満月を映し出す透き通った湖の水面は、ゆらりゆらりと風に揺れる。
どこからともなく集まってきたユニコーンたちが、純白の体を砂地に預けたり、湖につけたりと思い思いに過ごしている姿も確認できた。
「……綺麗、ですね」
満月の光を浴びて、キラキラと輝くユニコーンの体や角に思わず息を飲む。
「あぁ。そうだな」
フィーロさんは言いながら、一頭のユニコーンに狙いを定めたらしい。
「いこう」
オアシスの隅、水辺でのんびりと寝そべっているユニコーンへと歩いていく。
フィーロさんは腰に隠したナイフをいつでも抜けるように、と手をやりつつも、優雅な足取りだ。
だんだんとオアシスへ近づいていくうち、こちらに気付いたのか、じっと視線を私たちへ向けるユニコーンも増えてきた。
近くで見ると、想像以上に大きい……。
体も筋肉がしっかりとついているし、何より頭についている角は刺されたらひとたまりもなさそうだ。
これは……たしかに、無謀だった、かも……。
一度意識すると、途端に足取りが重くなる。
寒いはずなのに、ツゥッと背中に冷や汗が伝い、心臓がバクバクと音を立てた。
フィーロさんの後ろをついて歩くだけでも精一杯。何かあったら逃げろ、と言いつけられているけど、そんなに早く足が動く自信すらなくなってきた。
「フラン、大丈夫?」
「はい、なんとか……。ユニコーンって、結構大きいですね……。町で、見慣れたつもりだったけど……」
「落ち着いて。深呼吸だよ。ユニコーン、大きくて、かっこいい」
はい、リピートアフターミー。
そう促されて、私は素直に「ユニコーン、大きくて、かっこいい」と呟く。
瞬間――
「おわぁぁぁっ⁉」
私とフィーロさんの周りを取り囲むようにすごい勢いでユニコーンが押し寄せてくる。猪突猛進。止まることをしらないユニコーンたちの大群は、私たちに逃げる隙すら与えない!
死ぬ! 死んでしまいます‼
「フィーロさんっ!」
歯車なんて回してる余裕なんてありません‼
なすすべのない私はただ顔を伏せるくらいしかできなくて……。
もう終わった……。
ベロリ。
「ほぎゃっ⁉」
諦めかけたところで、顔に何やら冷たくてぬるぬるした感触があって、私は恐る恐る目を開く。
「あ、れ……? し、んで……ない……?」
「はは、フラン。大成功だ。上出来」
先ほど狙いを定めた一頭の顔あたりをドウドウとなでるフィーロさんの周りには、たくさんのユニコーンがすり寄っている。
そして、私の周りにも。
「わっ⁉ くすぐったい!」
油断しているとあらゆるところから体をこすりつけられたり、顔や手を舐められたりするから、私は耐えられなくなってクスクスと笑い声をあげてしまう。
ユニコーンたちも機嫌がいいのか、すりすりと私やフィーロさんに甘えるばかり。クルクルと猫のように喉を鳴らすユニコーンまでいる。
怖いと思っていたけれど、こうしてみるとかわいいかも。
フィーロさんのようにそっと手を伸ばして頭をなでてみれば、するり、なめらかな角で手元を撫で返された気がした。
合わせた視線。綺麗な瞳には慈愛が満ちていて、男の人がいたら狂暴になるなんて信じられないくらいだ。
パタパタと動く耳も、しっぽも、やわらかな毛並みも、どれもとっても素敵。
「さ、この子たちの機嫌がいいうちに角を少しいただいて帰ろう。やり方は教える。フランがやりな」
フィーロさんはそっと腰からナイフを取り出すと、私の方へと差し出した。
「わかりました……」
ゴクリと唾を飲み込んで、私は自らに甘えてくれるユニコーンにゆっくりと視線を合わせる。
「ユニコーンさん……。ごめんなさい、どうしても、あなたの角が必要なんです。少しだけ、削らせてください。かっこよくしますから」
人間の言葉なんて分からないかもしれないけれど、気持ちが大事だってフィーロさんも言ってたし!
私が祈るようにユニコーンへと頭を下げると、ユニコーンもゆっくりと頭を下げた。
まるで自らの角を差し出しているみたいだ。
「角、くれるの?」
そっと触れると、ユニコーンがまばたきを一つ。
パタパタッとしっぽを揺らして、もう一度角を私の手元へと寄せる。
「ありがとう、ユニコーンさん」
ぎゅっとユニコーンを抱きしめると、ユニコーンも「キュィ」と鳴いた。
フィーロさんに教えてもらいながら、傷をつけてしまわないように細心の注意を払い――月明りに輝くその美しい角を一欠け、そっとナイフで削り取った。




