168.砂漠の入り口、沙漠へ
砂漠地帯へと向かう別ルートで山を歩き、昇降機で山を越えるころには日が暮れ始めていた。
ちなみに、ネクターさんは紅楼で乗る初めての大型昇降機の機構に想像通り興奮していて、それはもうご満悦だった。
何より、山の頂上から見下ろした景色……一面の砂漠に私たちは感嘆の声を上げた。
ちょうど夕日がかかり始めたころで、黄金一色に染まっていたこともあって、
「一生、忘れられない景色になりますね」
としみじみネクターさんが呟いたほどだ。
昇降機を使って砂漠を見ながら山を下り、今は砂漠の入り口にある街へ向かって歩いているのだが。
「冷えてきましたね……」
先ほどまでの熱気はどこへやら。グングンと気温が下がっているのが分かる。
私が腕をさすると、ネクターさんがカバンから大きめのタオルケットを取り出して、私の肩へとかけてくださった。
「砂漠の夜は冷えると聞いていましたが、まさかここまでとは思いませんでしたね」
ネクターさんもまくっていた袖をおろす。
「もう少しだからちょっと我慢してくれ。夜はもっと冷えるぞ。晩ご飯はあたたかいものにするか」
「はい! 楽しみです!」
エンさんからの提案にぴょこんと跳ねれば、ネクターさんが苦笑する。
エンさんの「もう少し」は言葉通りで、目の前にはもう街明かりが見えている。
紅楼特有の赤と黒、金の装飾がついた大きな門も。
「まずは宿へ行こう。老飯店には劣るが、良い場所なんだ。期待しててくれ」
エンさんに続いて、砂漠の入り口『沙漠』の町の門をくぐる。
立ち並ぶ家々は竹と漆喰を組み合わせた珍しい造りで、私とネクターさんはその景色をまずは楽しんだ。
あちらこちらに提灯が下がり、ここでもやはり港町同様に空中を横断する橋が家と家の間から伸びている。
至るところに大きな荷物が積まれていて、家の軒先には必ずと言っていいほどユニコーンが繋がれている。
そうでなければ、ラクダや大型の犬が。
「なんだか、不思議な景色です。動物がいっぱい……。それにこの大量の荷物は?」
「紅楼国内の貿易品、ってところだな」
「国内の貿易品?」
「この先にある砂漠は、紅楼のど真ん中に位置してるんだ。だから、紅楼国ってのは、西と東が分断されてる。東西に物を運ぶには、迂回するか、砂漠を突っ切るしかないんだ」
「つまり、この町は紅楼国内の貿易と流通の要、ってことですか?」
「ご明察。砂漠を突っ切るルートで荷物を運搬するの場合は、必ずこの町を通過する。だから、この町の人間は運送業を営んでることが多いんだ」
「なるほど。それで、ずいぶんと砂漠地帯の移動に強い動物が多いのですね」
「ユニコーンって砂漠に強いんですか⁉」
「砂漠、というよりも、足が速く力が強いので、陸地の移動に強いんだそうです。ユニコーンの脚力はバカになりませんし、荷物を引いたりするうえでも歩きにくい砂漠地帯に適しているんじゃないでしょうか」
ネクターさんの解説に、エンさんがうんうんとうなずく。
「知らなかったです! なんだか、森や平原にいるイメージだったから」
「シュテープでは平原で飼われることが多いですからね。移動のため、というよりは、足の速さを競わせるために飼育されていることが多いですし」
大きなコースに十数頭のユニコーンを走らせるレースは、昔からシュテープでも大人気だ。お父さまやお母さまはあまりそういうものには興味がないみたいだけど、お父さまたちの知り合いの方で好きだという人がいた気がする。
「まあ、紅楼でもなかなか珍しい景色だな。どの程度滞在することになるかは分からないが、しばらくは楽しんでくれ」
話しているうちに目的の宿へと到着したらしい。エンさんは立ち止まって、「ここだ」と看板を指さした。
『飯店・沙堡』
竹と漆喰のコントラストが目を引く外観は他の家々と同じだが、三階建てのどっしりとした構えは、横幅があって大きさを感じさせた。
高い建物の多い紅楼で、幅と奥行きが広い建物はよく目立つ。
「飯もうまいし、温泉もついてて最高なんだ。さ、行こう」
綺麗な門をくぐり抜けて、私たちはエントランスへと向かった。
*
エンさんが予約してくださったお部屋は二つ。
私が一人部屋で、ネクターさんとエンさんが相部屋だ。ネクターさんは少し嫌そうにしていたけれど、エンさんの押しに負けて、最終的にはまんざらでもなさそうだった。
それぞれの部屋に別れて荷物をおいたり、少し整理したり。数十分と経たないうちに、トントンと扉がノックされて、
「ひとまず飯にしよう」
とエンさんから提案を受けた。
「飯の後は風呂で……終わったら、作戦会議だな」
「はい! 次の妙薬っていうのがなんなのかも分からないですし……宿の人にも、この辺りのことを聞いてみたいです!」
「そうですね。宿の人なら詳しいかもしれません」
私たちは食事が出るという宴会場へ向かう。
なんとなく見上げた窓の向こうに、ちょうど半月が浮かんでいた。
「砂漠の海に、月が満ちるとき……」
辰子さまの言葉の意味も、まだよくわかっていない。
月が満ちるって言葉から連想されるのは満月だけど、砂漠の海ってなんだろう……。
「お嬢さま、どうかしましたか?」
ぼんやりとそんなことを考えているうちに足が止まっていたらしい。
前を歩いていたネクターさんがこちらを見つめていた。
「あ、いえ! ちょっと考え事を!」
「考え事⁉ だ、大丈夫ですか? まさか、何か不安なことや心配なことが⁉」
「大丈夫ですから! っていうか、心配性なところは相変わらずなんですね」
ワタワタと慌てふためくネクターさんの姿になつかしさを感じて私は思わず笑ってしまう。少し前向きになったと思っていたけれど、それもやっぱり、完全には変わらないようだ。
そのことにちょっとだけ安堵してしまうのはなんでなんだろう。
ネクターさんが元気に、前向きになって、私が心配しなくても平気なくらいになるのが一番なのに。
心にひっかかった小さなささくれを振り払うように、私はブンブンと首を振る。
「二人とも、おいていくぞ」
「待ってください!」
「今行きますよ」
エンさんに急かされて、私たちは止めた足を再び動かした。