163.小さな希望を探して
ひとしきり笑ったエンさんは「飯にしよう」と私たちを寝室から出るよう促した。
寝室を出ると、食欲をそそる香りが鼻をくすぐる。
「良い匂い……ってほわぁっ⁉ 料理がいっぱい⁉」
リビングへ入ると、大きなテーブルを埋め尽くすほどのお料理がひしめきあっていた。
「ドラゴン肉が大量にあったし、小屋に材料が結構あったからな。とはいっても、どれも小鉢だから、食べられるだろ」
作った本人であるエンさんはあっけらかんと笑って、近くの座布団へと腰をおろす。
たしかに、どれも一品一品は多くない。小さなお皿に綺麗に盛り付けられていて、ちょっとデシのお料理みたいだ。
「この間、香炉宮へ行っただろ? あの時の料理をヒントに盛り付けてみたんだ。ネクターの状態も分からなかったし、食べられるものを食べてもらおうと思ってな」
「さすがはエン。本当に、素晴らしい料理人ですね」
心の底から感心したようにエンさんを褒めたネクターさんに、エンさんはふんと鼻を鳴らす。
「今更褒めたって何もでないぞ」
「大丈夫だよ、そんなつもりじゃないさ。ただ、今までの分を返しただけ」
「なら、もっと返してもらわないとな」
「……急に図々しすぎるよ」
昔に戻った……というより、昔よりも距離が近づいたような二人のやり取りに私が笑みをこぼすと、二人は
「お嬢さんも早く来い」
「お嬢さま、食べましょう」
と私を手招く。
二人の間、あけられた場所に腰をおろせば、二人とも手元のカップを持ち上げた。
「お茶だが、乾杯しておくか。シュテープ式にしよう、久しぶりに」
「そうですね」
私もお茶のたっぷり入ったカップを持ち上げる。
「「我らの未来に、幸あらんことを」」
三人の声とともに、陶磁器のぶつかる音がした。
私たちはお茶を口に運んで、お箸をとる。
そのまま幸せな食事が出来れば――と思っていた矢先、お茶のカップを置いたネクターさんが素直に私たちへと打ち明けた。
「……やっぱり、まだ完全に治った、というわけではないみたいですね」
表情が言葉以上にその意味を語っている。
「えっ……?」
「お茶の味がわからなかったのか」
私とエンさんの間に走る緊張。
それを気遣うようにネクターさんは曖昧に微笑んだ。
「せっかくたくさん用意してくれたのに、ごめん」
エンさんに頭を下げる姿はどこか痛々しい。
「……そんな」
焔華結晶をもってしても治らないとは。
ありえない話ではないと思うものの、諦めきれなくて、私はネクターさんに小鉢を一つ差し出す。
「ネクターさん! お茶は分からないかもしれないけど、他のものも食べてみましょう! もしかしたら、特定の味が分からないだけかもしれませんし!」
「……そうだな! 色々作ったんだ。もしかしたら一つくらい、分かる料理があるかもしれない!」
私とエンさんの励ましに、ネクターさんは不安そうな表情のままうなずいた。
今までのネクターさんなら、ここでネガティブになっていただろう。これ以上、お料理を食べない、と言い出しかねなかった。
でも、ネクターさん自身も、なんとかしたいと思えるようになったのだろう。
その手は震えているけれど、私の手から小鉢をなんとか受け取ってお箸をつける。
「それじゃ……せっかくですし……」
私が差し出したのは、ドラゴンのお肉とお野菜を和えた酢の物だ。前菜に作ってくださったのだろう。食べやすそうだったし、酢の物は独特の味わいがあるから、もしかしたら、と望みをかける。
だが、ネクターさんのお箸は口元で止まって――そのまま、ゆっくりと小鉢ごとおろされた。
「ネクターさん?」
「……すみません。やはり……」
ネクターさんはフルフルと首を横に振って、一度お箸を置く。
少し考えるようにじっと小鉢を見つめてから、私の方へと視線を投げかけた。
「お嬢さま。申し訳ありませんが、先に食べていただけませんか。いつものように」
泣きそうな顔で懇願されては断れない。私がお箸を持ち上げれば、エンさんもフォローするように同じ小鉢を手に取る。
「お嬢さんの感想を聞いた方が、うまく感じるもんな」
「それじゃあ」
私はゆっくりとお箸でドラゴンのお肉とお野菜を持ち上げる。口元へ運べば、ツンとお酢の香りがした。
「いきます」
口の中へお箸を運ぶ。
和え物を噛みしめると、シャキッと心地よい音がお野菜からあふれ、ドラゴンのお肉のやわらかな旨味がお酢の酸味と混ざり合った。
「ほぁぁ……お酢の酸味が、お野菜のみずみずしさに良くあいますね! しかも、ドラゴンのお肉の自然な甘みと旨味が一緒にとけて……食感も素敵です! お肉とお野菜のこのバランスが……!」
さっぱりとしていて食べやすいのに、お肉の味がしっかりとしているせいか、ご飯が欲しくなる。
私の感想に、エンさんが目を細め、ネクターさんもゴクンと唾を飲み込んだ。
ネクターさんもどうぞ。そう視線で促すと、彼も決心がついたのか、ゆっくりとお箸を再び持ち上げる。
それから静かに口へとお料理を運んで……小さくうなずいた。
「お嬢さまがおっしゃると……そういう味が、してくる気がします。少なくとも、無味ではありません。酢の酸味は、少し、感じられるかも……」
言いながら目を丸くして、ネクターさんはもう一口、二口、と料理を口に運んでいく。
その後も、私の感想とエンさんの解説を交えながら、ネクターさんはお料理を食べ進めていき、
「少しだけ、分かるような気がします」
と遠慮がちに笑った。
「気がする、じゃなくて、いつか本当に分かるようになるといいな」
エンさんがネクターさんの肩を軽くたたくと、ネクターさんがフッと口角を上げて答える。
「その時はもう一度、エンからの料理勝負を受けてもいいかもしれないね」
*
結局、この日は夜も遅くなったから、と山小屋で寝泊まりすることになった。
山小屋の寝室は二つ。ネクターさんとエンさんが同じベッドで寝る、と私に一部屋譲ってくださって、私は一人、寝室の窓辺に向かう。
「……味覚障害を治す他の方法なんて……」
私は窓の外に浮かぶ月を見つめて、はぁ、と息を吐く。
どんな方法でもいい。何か。
必死の思いで今までにあったことや、自分に出来ることを考えていると、コツン、と窓に何かがぶつかった音がした。




