159.燃える秘薬、焔華結晶
「……これが、ドラゴン……」
ゴツゴツとした赤黒い肌、体のわりに小さな手から伸びた鋭い爪。近づけば、ドラゴンの体を覆っている熱気がこちらの肌にもまとわりついた。
「お、お嬢さま!」
後ろからぐいっとネクターさんが私を引き止める。
「まだ生きているかもしれません、危ないですからうかつに近づかない方が……」
「大丈夫ですよ。レイがきちんと心臓を撃ちぬいてくれましたから」
イーさんがにこりと微笑んで、ネクターさんを安心させるように彼の肩へと手を置いた。そのままゆっくりとネクターさんの横を通り過ぎ、イーさんもドラゴンへと近づく。
「さ、こうしている間にも焔華結晶が腐敗を始めますから。すぐに解体して取り出しましょう」
イーさんは腰につけていたポーチからいくつかの道具を取り出す。手にグローブをはめると、ドラゴンの両目の間、ちょうど鼻の上あたりにナイフを差し込んだ。
「焔華結晶?」
ネクターさんがパチパチとまばたきを繰り返す。
そうだった、ネクターさんには内緒にしてたんだった!
多分、ネクターさんはさっきの競売も、ドラゴンのお肉の競売だと思っているはず。
だけど、ここまで来たらもう隠していても仕方がない。
ネクターさんには今から焔華結晶を飲んでもらわなくちゃいけないんだし!
「エンさん、お水をお願いします」
「あぁ」
「な、何が始まるんですか……?」
「ネクターさん、黙っててごめんなさい! 悪いようにはしませんから! 今から、焔華結晶を飲んでください! あんまりおいしくないらしいんですけど!」
戸惑うネクターさんに頭を下げると、
「お嬢さま! 顔を上げてください!」
といつもとは真逆、彼から懇願の声が聞こえる。
そろりと顔を上げれば、困ったように眉を下げるネクターさんの顔が目に飛び込んだ。
「きちんと理由を……」
ネクターさんが口を開くと同時、
「取れました!」
イーさんの嬉しそうな声が聞こえた。
「熱いのでお気をつけて。完全に冷えてしまったら効力が無くなりますので、すぐに」
イーさんの手に炎のような小さな石がきらめいている。
大きなドラゴンから取れたとは思えないくらいのそれを受け取ると、確かに熱い。火傷してしまいそうなほどだ。
太陽に透かすと、石の中に波打ついくつもの微細な模様がまさに炎のように見えた。
「……綺麗」
ダイジェンさんの言う通り、宝石としてもかなりの価値があるに違いない。
見続けていると、体の内側からふつふつと何かが燃えてくるようで、無性に惹きつけられる。
「お嬢さん、水だ」
「あっ! ありがとうございます」
現実に引き戻してくれたのはエンさんの声。私はエンさんが持ってきてくださったステンレスのカップを受け取って、ネクターさんと対峙した。
「お嬢さま……。一体、何を……?」
「ネクターさん、この焔華結晶には、一片で病を燃やす力があるんだそうです」
「病を……?」
ぴくり。
ネクターさんの眉が動く。
「ネクターさん、ごめんなさい。ネクターさんがずっと、何かを内緒にしてるってことは気づいてました。私に、心配をかけないように気を遣っているんだと」
ネクターさんの表情がみるみる驚き一色に染まっていく。
エンさんが「俺が言ったんだ、お嬢さんに」と私の肩に手を置いたことで、ネクターさんは口をパクパクと動かした。
「お前、病を患ってるんじゃないか?」
「なっ⁉」
ネクターさんはようやく声を出して――というよりも、思わず声を出してしまって、と言った方が正しいかもしれない――慌てて口をふさぐ。
その仕草だけで、エンさんの推測が図星であることは十分にわかった。
「私は、ネクターさんを助けたくて……。エンさんに紅楼のことを色々と教えてもらいました。薬膳や……生薬のことも」
まっすぐにネクターさんを見据える。
彼は、もうごまかせないと思ったのか、小さく息を吐いた。
「……それで、焔華結晶、ですか」
まったく、お嬢さまは相変わらずすごいお方です。
ネクターさんは小さく呟いて、ゆっくりと頭を下げた。
「ご迷惑をおかけして申し訳ありません。挙句、僕のせいでお嬢さまをこのような危険に巻き込んでしまって……」
「それは違います! ネクターさんのせいなんかじゃないです! 私が、自分で決めたことですから!」
「ですが、大金もはたいてしまわれましたし! 僕にはそのような価値など……」
「そんなことありません! 私は、ネクターさんに価値がないだなんて思ったことなんて一度もないです!」
「お嬢さまはどうしてそう、いつも……」
「やめろ」
「っ!」
エンさんの低い声に、私とネクターさんは同時に口をつぐむ。
「今は言い争ってる場合じゃない。ネクター。お前は従者なのだろう? だったら、主人の好意を無下にするな。お嬢さん、一刻も早くネクターに焔華結晶を」
そうだった。
こうしている間にも、私の手の中で、焔華結晶はだんだんと熱を失ってきている。
「とにかく! ネクターさん! これを!」
治る確証はない。そもそも、ネクターさんがどんな病気を患っているのかも知らない。
でも。
「試してみる価値はあります。私は、ネクターさんの力になりたい」
焔華結晶とお水のはいったカップをネクターさんに差し出す。
ネクターさんは、ゴクリと唾を飲み込む。
「……まったく。お嬢さまにはかないませんね」
ネクターさんは、私の手から焔華結晶を受け取ると、ゆっくりとそれを口に含んだ。
続けて水の入ったコップを口に流しいれて、ゴクリと一気にそれを飲み干す。
瞬間――
カラン、とネクターさんの手からコップが落ちて地面とぶつかった。
「……っ⁉」
ネクターさんは口元を押さえると、その場にガクンと膝をつく。彼の額からパタパタと大粒の汗がしたたっているのが見えた。
「ネクターさん⁉」
「ネクター‼」
エンさんがネクターさんの背に手を回し、そのままネクターさんを抱き上げる。
ネクターさんは、はぁっ、と熱い吐息を吐き出したかと思うと、そのままぐったりと意識を失ってしまった。