156.静かな戦い、開幕
高くそびえる岩山の隙間、自然が作った大きな洞窟がぽかんと口を開けていた。
岩に囲まれているからか薄暗く、奥までは見えない。
「ここに、ドラゴンが……」
満ちる緊張感に息を飲むと、イーさんが私の肩をたたいた。
「残念ながら、ドラゴン以外の方も来られたようですよ」
振り返れば、逆側の道から人影が見える。
私たちより人数は少ない。三人ほどの男の人たちだ。
向こうも私たちの存在に気付いたらしい。大剣を背負ったハンターらしき一人がこちらへと駆け寄ってくる。
「どこのチームかと思えば、ガードさんのところかよ。ツイてねぇなぁ」
「はは。依頼は個人個人で受けるからな、そういうこともあるさ。もちろん、手を抜くつもりはない。今回も譲る気はないぞ」
どうやら知り合いらしい。
大剣を背負った男の人とガードさんはそんなやり取りを交わし、遅れてきた二人を私たちへと紹介してくれる。
一人は男の人と一緒に狩りをしているメンバーで、もう一人が依頼人らしい。
向こうの依頼人はいかにもお金持ちそうなおじさんで、私はゴクリと唾を飲む。
狡猾そうな目に、数多の獲物を手中におさめてきた貫禄がうかがえた。
「ずいぶんと人数が多いが、そっちの依頼人は?」
「あぁ、こちらの依頼人はこのお嬢さんだ」
「フラン・テオブロマです! よろしくお願いします」
私が一歩前に出てお辞儀すると、おじさんは驚いたように目を見開く。だが、挨拶をしないのも無礼だと思ったのだろう。すぐにその表情を引き締めて、こちらに手を差し出した。
「はじめまして、ダイジェンと申します。まさか、テオブロマのお嬢さんとこんなところでお会いできるとは光栄です」
ダイジェンさんは爽やかな営業スマイルを浮かべる。
握手を交わすと、私の後ろへと視線を動かした。ネクターさんとエンさんを私の特別な護衛と思ったのか、特に挨拶はせずに会釈だけですませる。
余計な口出しはするな、と牽制しているようにも見えた。
それを察してか、イーさんだけが私の隣に自然と並び、ネクターさんとエンさんの二人は、一歩下がって静かに話を聞いている。
「テオブロマさんとは、お茶の貿易で何度かご一緒させていただきました。お父上はお元気ですかな」
「はい、おかげさまで! いつもお世話になっております!」
「はは、世話になっているのはこちらの方です。……して、お嬢さんはドラゴンの肉を仕入れに?」
瞬間、すっと空気が変わる。
あぁ、これが交渉事を始めるということなのか、と私は背筋をただした。
ドラゴンのお肉は山分けにできる。だが、貴重な秘薬を手に入れられるのは一チームだけ。交渉で負けたチームは、別のドラゴンを探してまた山をさまようか、調査をし直して別日にドラゴンを狩るしかない。
「ドラゴンのお肉もそうですが、焔華結晶を手に入れにきました」
包み隠さず伝えれば、「なるほど」とダイジェンさんがうなずく。
「さすがはテオブロマ家。お目が高い。売れば金より値が張ると紅楼では元々有名だったのですが、シュテープにもその噂が届きましたかな」
「……失礼ですが、ダイジェンさんも焔華結晶を?」
「えぇ。もちろんですよ。同業ですから、ご理解いただけると思いますがね。あれは美しい宝玉でしょう? ドラゴンとマグマ、生と炎のエネルギーを秘めたパワーストーンですよ」
ダイジェンさんはうっとりと目を細める。
焔華結晶を見たことがあるのだろう。その魅力にすっかり取りつかれてしまっているようだ。
「こちらからもお聞きしたい。テオブロマさんはなぜ焔華結晶を?」
「いえ……私はただ、とても良い薬になると聞いたので」
私の答えに、ダイジェンさんの眉がぴくりと動く。
「どなたかご病気で?」
ネクターさんに今回の作戦が悟られないよう、私は声のトーンを落として「いいえ、従者が」と手短に答えた。
「なんだ、そんなことのために」
「……そんなこと?」
「あれが薬として役に立つのはドラゴンの体から取り出して十五分以内だけのこと。たかだか従者一人のために、ここまで来て、利益どころか金を払うだけの損失を生むというのですか?」
ダイジェンさんは至極真面目な顔だ。
焔華結晶は宝石としての価値があり、長い時間、多くの人に鑑賞されることが大切だと真剣に思っているらしい。もしくは、お金を生み出し続ける魔法の石だと考えているのだろう。
私が眉根を寄せると、隣で話を聞いていたイーさんが何を察したか
「お互いに、違う価値観、理念がありますから、このままでは平行線です。分かりやすく、競売と言う形で今回の件はおさめませんか。ドラゴンを狩る権利を買うのです。そうすれば、一方は焔華結晶を、他方は金が手に入ります」
と提案した。
確かに、それならばどちらか一方が不利益を被ることはない。
さすがはイーさん。交渉事はかなり慣れているようだ。
「しかし……」
ダイジェンさんは悩ましい、と眉根を寄せる。
ハンターを雇う金額だけで手に入ると思っていたものが、競売という形になれば当然金額も上がってくる。そのためか納得がいかないようだ。
「大企業テオブロマと競ることが出来るなんて、なかなかない機会ですよ。……それに」
イーさんはダイジェンさんの耳元でささやく。もちろんその声は、私にギリギリ聞こえる程度の大きさだ。
「テオブロマといえど、相手は年端もいかない少女です。どうやら修行と称して各国をめぐっているようですが、まだ商売もしたことがないような素人。ダイジェンさん、あなたにも勝機がおありでは?」
まるでダイジェンさんを味方するようなセリフだが、これもイーさんの作戦だろう。
私の方にだけ見えるようにハンドサインを出す。あらかじめ決めておいた『仕掛けるぞ』のサインだ。
「ましてや、あのテオブロマに競り勝った焔華結晶となれば、業界ではもっと箔がつくでしょうね」
その一言が、ダイジェンさんへのダメ押しとなったのだろう。
彼は少し考えた後……
「わかった、それでいい」
とうなずいた。