152.出発! ドラゴンの住む山
霧立ち込める天竜山の麓。
早朝の冷たい空気を一身に感じながら、私とネクターさんは、ほぉっと白い息を吐いた。
「すごい、ですねぇ」
「えぇ。昨晩宿から見たときもすごいと思いましたが……改めて近くで見ると、なんというか……圧倒されますね」
目の前に立ち並ぶ岩山の数々。大小高低様々ではあるものの、それらが無数に連なっている様子は迫力がある。
頭上、雲間にバサバサと羽を広げて飛ぶドラゴンの姿を見ればなおのこと。
「本当にドラゴンを狩りに行くんですね……」
さすがの私も、間近で見る大きなドラゴンには萎縮してしまうし、声をひそめてしまう。
「お嬢さま、それよりも先にこの山を登らねばなりませんよ。お怪我などされませんよう、しっかり注意してくださいね。疲れたらすぐに言ってください」
心配性なネクターさんにオロオロと気を遣われて、緊張は少しやわらいだけれど……確かに、この山を登るだけでも大変だ。
「そう心配しなくても大丈夫だ。今回は、ドラゴンハンターのチームもいるしな」
「そういえば、ドラゴンハンターの方々は?」
「山の中腹で合流することになってる。中腹まではリフトも出てるから心配しなくていいぞ」
エンさんが指さした先、霧の向こうにうっすらと何かが動いているのが分かった。
まだ薄暗いせいか、目を凝らしてようやくそれがリフトなのだとかろうじて認識できる程度だけど。
「まずは中腹まで行こう。もう待たせてるかもしれないしな」
「はい!」
エンさんの案内でリフトの方へと歩いていく。
山に登るのはシュテープでネクターさんとスカイレールに乗った時以来だ。
「シュテープは山が少ないので、こういう景色はやっぱり楽しいです」
「そうですね。スカイレール以来ですし」
隣を歩いていたネクターさんも同じことを思い出していたようだ。それがなんだか嬉しかった。
実際にはそんなに時間も経っていないはずなのに、あの時のことがずいぶんと昔のことみたい。
「以前、紅楼に来られた時、お嬢さまはリフトに乗ったんですか?」
「はい! どこに移動するにも山を超えなきゃいけないから、リフトは結構乗った気がします。ネクターさんは乗ったことあるんですか?」
「僕は初めてです。正直……実際に近くで見ると少し肝が冷えますね」
近づいてきて輪郭がくっきりと見え始めたためか、ネクターさんは苦笑した。
リフトはいうなればただの動くイス。落下防止用のバーこそあるものの、山の斜面にそって地上からずいぶんと高いところを動いていく。
慣れていない人からすれば怖いかもしれないな、と私もうなずいた。
「乗ってみると結構気持ちがいいですよ!」
「落ちてしまわないか、不安でしょうがありません」
冗談のようだけれど、ネクターさんのネガティブは筋金入りだ。頭の中では最悪の事態も想定しているに違いない。
「いざとなれば、私がいますから!」
えへん、と胸を張ると、ネクターさんは困ったように眉を下げる。
「主人に頼る従者など、聞いたことがありませんよ」
「困った時はお互いさまですし! 従者とか主人とか関係なく、助け合った方が良いと思います!」
だから、ネクターさんが怖い時は側にいてあげます!
私がドヤ顔でネクターさんに言いきると、彼は「お嬢さまらしいです」と曖昧に笑った。
*
三人掛けのリフトに、エンさん、私、ネクターさんの順番で乗り込み、中腹を目指す。
リフト初心者のネクターさんは、止まることなく動き続けるリフトに困惑していてちょっと面白かった。
「おおお、お嬢さま! お、降りるときはどうすれば⁉」
山の中腹、リフトの終点が近づいてきて、ネクターさんは再びオロオロとしきりに周囲を見回している。
「大丈夫ですよ、一緒にせーの、で降りましょう!」
「ははは、ネクターってこういうのは苦手だったんだな。知らなかった」
「エン、笑いごとじゃなくて、本当に……」
言っている間にもどんどんと終点が近づく。
うまく降りることが出来なければリフトごとまた山を下って行ってしまうから、ネクターさんは気が気でないみたい。
落下防止用のバーを持ち上げて「せーの、で行きますよ」とネクターさんの手を取れば、彼は「わわわ、わかりました」と素直に手を握り返す。
「せーのっ!」
私がぴょん、とリフトから飛び降りると、引っ張られたネクターさんも「ひぃっ⁉」と奇声を発しつつ、無事にリフトから地上へ着地。
エンさんは、そんなネクターさんが新鮮でたまらないのか、おなかを抱えて笑っていた。
「ずいぶんと楽しそうじゃないか、エン」
ひぃひぃと笑っているエンさんの声が聞こえたのだろう。リフトの出口にいた男の人がこちらへと手を挙げる。
エンさんと同じ位の身長に、黒い短髪。
がっしりとした体格と背中に背負った弓矢が、ドラゴンハンターだと主張している。
「初めまして! ドラゴンハンターの人ですか⁉」
「ぶっ……君が噂のお嬢さんか。たしかに、俺はドラゴンハンターの人だよ。エンの友人で、ロウだ。よろしく」
「フラン・テオブロマです! それから、こっちが付き人のネクターさんです」
よろしくお願いします、と頭を下げれば、よろしく、と手が差し出された。
がっしりとしたロウさんの手を握れば、ゴツゴツとしていて、たくさんのマメがあることが分かる。よく狩猟をしているのだろう。
ネクターさんも軽く挨拶をすませ、エンさんは軽い世間話を交わす。世間話がひと段落ついたところで、ロウさんは今日のドラゴン狩りについて簡単に説明してくれた。
まずは、この先にある山小屋で私たちを護衛してくださる人たちと合流。そこで朝食を済ませ、あとはひたすら山を登るらしい。
今回狙う夜行性のドラゴンが寝床にしている洞窟まで昼の間に移動し、寝ているところを狩るのだそうだ。
「朝食ってもしかして!」
「もちろん、ドラゴン肉だ。お嬢さん」
「調理担当はエンだろ? 俺もエンの手料理は久しぶりだから楽しみだな」
「任せとけ。今日は心強い相棒もいるしな」
エンさんがぐいっとネクターさんの肩に手を回す。
まさか料理担当を命ぜられるとは思ってもいなかったのか、
「なっ⁉」
ネクターさんは、今までに聞いたことがないほど大きな声で驚いた。




