149.新鮮で貴重な出会い
「失礼します。香炉をお持ちいたしました」
店員さんが小さなワゴンを部屋の中へと押し入れる。
お香と思わしき石のような小さな欠片が入った瓶と、ドラゴンをかたどった青銅器がワゴンの上に鎮座していた。
ことり。
店員さんの手によってテーブルの上に置かれた香炉は、思っていたよりも高級感がある。堂々たる風格は、歴史の重みも感じるような。
「こちらが乳香になります」
「ほぇぇ……。なんだかキラキラしてて、宝石みたいですね」
名の通りの乳白色。小さなその塊は店内の照明に反射してやわらかく輝いている。
「余ったものはお持ち帰りいただいてかまいません。人数分の瓶をご用意しておりますので、お気軽にお声かけくださいませ。ぜひ、おうちでも香りをお楽しみください」
「わぁ! ありがとうございます!」
「いえ。お客さまにおもてなしをするのは、紅楼の風習ですから」
店員さんは話しながらも、瓶から香炉へと乳香の欠片を移し入れていく。
「乳香は、紅楼では古くから親しまれている香りです。身を清め、心の落ち着きを取り戻すと言われています。女性には特に、若返りの妙薬としても知られているんですよ」
「若返りの妙薬?」
「えぇ。皮膚を再生する効果があり、美肌になると言われています。お客さまはまだお若くていらっしゃいますが、若いうちからケアしていれば、年を重ねても美しいままでいられますよ」
店員さんは説明しながらも小型のライターにとりついた歯車を何度か回して火をつける。
香炉の中にその火をくべれば、フタに開けられた空気孔からゆったりと煙が立ち上った。
「それでは、お食事のご用意が出来るまで少々お待ちください」
店員さんはペコリとお辞儀をして、部屋を後にした。
モクモクと上へ、上へ、と伸びる煙は、たしかにドラゴンのような形に揺れている。
どういう仕組みかは分からないが、とにかくそのシルエットは雄大で優雅だ。
「ほわぁぁ……素敵です……! それに良い香り!」
エンさんが言っていた通り、あまりキツイ匂いだとは思わない。むしろあたたかな木々の香りは、全身をゆだねたくなるような優しさがある。
はじめこそどこか怪訝な顔をしていたネクターさんも、
「確かにこれなら、あまり気になりませんね。むしろ、紅楼の濃い味付けをより鮮烈に感じられるのかもしれません」
と納得した様子だ。
「気に入ってもらえてよかったよ。紅楼は伝統や風習、文化がシュテープとは大きく違うからな。あわない人間もいるんだ」
エンさんもほっと胸をなでおろしている。というよりも、ネクターさんに認められてどこか嬉しそうに見えるくらいだ。
香りのおかげか、ネクターさんの過去に触れた瞬間のピリッとした空気もやわらいだ。
「食事も楽しみですね」
「はい! とっても!」
ネクターさんから優しい笑顔で話しかけられて、私の声もいつも以上に喜色ではずんだ。
*
運ばれてきた食事は、やっぱり紅楼のイメージとは少し違っていた。
一皿の上に一口サイズのお料理が数種類置かれている。かわいらしい飾りつけのされた見た目は、デシのお料理のイメージに近い。
「すっごくかわいいです!」
お花の形に盛り付けられた魚のマリネ。飾り切りされた野菜たち。一口大のワッフルとスコーンに、サイコロステーキはソースが綺麗な模様を描いている。
私が魔法のカードでバシャバシャとシャッターを切れば、
「なるほど。最近はこういうのが女の子の間ではやってるのか」
エンさんはふむ、とうなずいて「宿屋のレストランじゃ出せないな」と苦笑する。
「エン、こういうのをフォトジェと言うらしいですよ」
「フォトジェ?」
「映える、ことだそうです」
「……シュテープ語か?」
エンさんの困惑を楽しんでいるのか、ネクターさんはなぜか満足げにうなずいた。
そんな二人をよそに、早速食べるぞ、と私は魔法のカードをかばんへしまう。
まずはお野菜から。ベ・ゲタルに近いからか、紅楼はやっぱりお野菜が新鮮だ。
シャキシャキとしたお野菜の食感を楽しみながら、続いては魚のマリネへ。
一つはサーモンに見えるが……その隣にある魚は見たことがない。光に透かせばうっすらと紅色に見えるのだが、どちらかといえば白身のようにも見える。
「これは……」
「おそらく、磁鉄鉱魚だろう。食べてみないと分からないが」
「磁鉄鉱魚?」
「磁石で釣れるから、磁鉄鉱魚って呼ばれてるんだ」
「ほえ⁉ 磁石で魚って釣れるんですか⁉」
「磁鉄鉱魚だけだよ。こいつは深海魚で、生態系が特殊なんだ。深海は酸素が少ないって知ってるか?」
「そうなんですか⁉」
「ま、俺もこの魚に出会うまでは知らなかったんだが……こいつは酸化鉄を食べて必要な酸素を補うらしい。その結果、鉄が体内に残って、磁石にくっつくようになる」
エンさんの専門的な知識に、ネクターさんも興味深そうにうなずいた。
「聞いたことがありませんね。紅楼では有名な魚なんですか?」
「紅楼でも、食べられるところは限られてる。普段はあまり水揚げされないからな。体内に鉄が残ってるんで、調理も面倒だし」
そんなすごいものが、まさかこんなところで食べられるとは。
エンさんも「俺も正直驚いたな」と笑って、磁鉄鉱魚のマリネをひょいと口へほうり込んだ。
「うん、やっぱり磁鉄鉱魚だ。悪くないな、後で入手ルートを聞いてみるか……」
エンさんはすっかり料理人モードに入ってしまったのか、自らの携帯端末を取り出して歯車をキチキチと回し、どこかへ連絡を入れる。
「悪いな、珍しい魚だから気になっちまった」
連絡を終えたエンさんに、私たちは気にしていないと首を振る。
むしろ、すごい料理人、エンさんをここまでさせる魚とはいかに、と私もマリネを口へ運ぶ。
「んん⁉」
瞬間、コラーゲンの塊みたいななめらかな食感ととろけるような脂が口の中で広がって、私も、そして同時にマリネを口へ運んだネクターさんも目を見開いた。
女性向けのかわいい喫茶店とあなどるなかれ。
プレートにのったお料理はどれもおいしくて、私たちは黙々とお料理を食べ進めたのだった。