148.明かされるのは才能と、
「さて」と前置きを一つ。
エンさんは昔のことを思い出すように、遠くへと視線を投げる。モニターに映るデシのモントブランカ。その頂点を見つめて切り出した。
「俺がシュテープの料理コンテストに出た話はしただろう?」
「えっと……ネクターさんに、こてんぱんにやられたってやつですか?」
「はは、そうだな。だが、その前からネクターの噂は耳にしてたんだ。シュテープに天才料理人がいるってな」
「ネクターさん、そんな時から有名だったんですか⁉」
ネクターさんが料理の修行を始めたのはたしか十五の時。エンさんが修行でシュテープに来たのは十七の時だと言っていたから……わずか二年で『天才料理人』がいるなんて国を超えて噂になるほどの腕前だったということになる。
当の本人であるネクターさんも驚いたように目を丸くして
「初耳です」
とエンさんを見つめる。
「だろうな。そもそも、あの頃のお前は料理以外のものに興味もなかっただろうし。ま、とにかく、だ。それで噂を聞いた俺は、すぐにシュテープへと渡った」
「お料理コンテストに出るためじゃないんですか?」
「それは本当に偶然だった。シュテープへと到着してから、一か月くらいかな……ネクターにどうにか会えないか奔走して、コンテストのことを知ったんだ」
『天才料理人』なら必ずそこに出場するだろう。
皆が口をそろえていうものだから、エンさんも出場しない手はないとエントリーし……そこで、ネクターさんと出会うことになった。
「コンテストって言っても、シュテープの料理人全体のスキルを向上させるのが大きな目的でな。教育の意味も含んでいたんだ。ラッキーだったよ。コンテスト本番に向けて一か月、料理人たちは宿で缶詰め状態にされて、講義やら実践やらを散々受けられるんだ」
その話を聞いて、私は「あ」と声を上げる。
「……もしかして、それってテオブロマも出資してるんじゃ……?」
頭によぎったのは、お母さまが熱を入れている『お料理教室』のこと。
当時は文字通りに受け取っていたけれど、まさか……。
「……おっしゃる通りです、お嬢さま」
ネクターさんは額に手をあてて、小さく息を吐き出した。
「僕は、そのコンテストをきっかけに、テオブロマに拾っていただいたんですから」
エンさんも「なるほど」と納得したようにうなずく。
「エンさんは知らなかったんですか?」
「俺はそのコンテスト中と王城勤め時代のネクター、その後にいくつか交わしたやり取りでくらいしかネクターのことは知らないよ。王城勤めの後は、俺も紅楼へ戻ったからな。無事に就職出来たことは聞いていたが」
エンさんはそれた話を戻すように一呼吸置いた。
その小さな間が緊張感を自然と生み出して、私は思わず姿勢を正す。
「……ネクターが、寸分たがわず同じ味を再現できるって話はしたよな?」
しっかり覚えていますとも。だってそんなの、本当に信じられないし!
コクコクとうなずいて見せてエンさんに続きを促す。
「ネクターは神の舌を持っているんだ」
「神の舌?」
そりゃ、ネクターさんは神さまみたいにすごいけど……。
ネクターさんは苦虫を嚙み潰したようにくしゃりと眉根にしわを寄せた。
「絶対味覚って聞いたことあるか」
「絶対味覚?」
「食べた料理に使われている食材や調味料が完璧に分かる……いわゆるチートスキルってやつだな」
「ほ、ほんとですか……?」
私がゆっくりとネクターさんの方へ顔を向けると、彼は目を伏せた。
「そう、呼ばれていただけですよ」
消え入りそうな声で返ってきた肯定は、本来ならばその事実を否定したいと言わんばかり。
「皆は、それを良くは思っていなかったでしょうね」
ネクターさんが自ら口を開いたかと思えば、そこにもやはり皮肉が混じっている。
かける言葉を見つけられずにいると、
「そんなのは言わせておけばいい」
吐き捨てるようにエンさんが呟く。否定しないあたり、どうやら良く思われていなかったことは事実なようだ。
「……何か、あったんですか?」
「まあ、ちょっとな。それこそ、俺は紅楼から来たよそ者だから、全部を知ってるわけじゃないが……絶対味覚なんてものを持って生まれた料理人がいて、天才だなんてもてはやされれば、嫉妬する人間も現れるってもんだろう?」
さすがのエンさんもネクターさんを気遣ってか、直接的な言い方はしない。
おそらく、妬みやいじめの対象になったのだろう。
「そういう厄介な人間と長くいると、自分を守るために色々とあるもんだ。少なくとも、俺が出会った時のネクターは料理だけを信じていた。だから余計に周囲の人間と合わなくなっていって――浮いてたってわけだ」
肩をすくめたエンさんは「だけど」と暗くなった話題を切り替えるように声のトーンを上げる。
「俺は偶然見ちまったんだなぁ、こいつが夜中に必死で包丁をふるってるところをさ」
「……エン。もういいでしょう、話し過ぎです」
「照れるなよ。今からいいところなんだから」
「べ、別に良くなんてありません! 料理人として当たり前のことです!」
「なら、なおさらいいじゃないか。お嬢さんに話したって」
エンさんにさらりと論破されて、ネクターさんはぐっと言葉に詰まる。
「もう、好きにしてください」
ぷいと顔をそむけたネクターさんが、どんな顔をしているのか、私にもエンさんにもわからなかった。
「夜中に包丁を、って、ネクターさんが一人隠れて練習してたってことですか?」
続きが聞きたくて催促するように問えば、エンさんはニコニコと満面の笑みを浮かべる。
チラと隣を窺えば、ネクターさんはいつの間にか耳までしっかりふさいでいた。
「そうだ。俺なんて、小腹がすいたから昼間に誰かが作った飯でも食おう、なんてキッチンに向かったのに、だぞ? 普段は近寄りがたい神の舌を持ってる天才料理人が、いくら味が分かっても再現する技術がなければ意味がない、とか言って、必死に練習してるんだ」
エンさんの瞳がキラキラと輝く。
当時のことを思い出して、自然と笑みがこぼれるのをおさえられないみたい。
「しびれたね、俺はこいつには一生かなわないかもしれないって思ったよ」
信じられないだろ、とエンさんが話を締めたところで、部屋の扉がノックされた。