144.恋の誤解にはご注意!
朝食を食べ終えた私とエンさんは、港近くの商店街へと戻る。
ネクターさんのことはまだまだ気になることもあるけど、今は考えても仕方がない、とお互いにネクターさんの話題を出すのはやめた。
話は自然と紅楼の町や歴史、料理の話になって、エンさんから様々なことを教えてもらう。
商店街の店先にならんだちょっとした雑貨にも、紅楼じゃ深い歴史がある。
ドラゴンが住んでいることも、他の国とは違う価値観を与える一因なのかも。
「他に何か見たいものは?」
「そうだ! 乙鉱石のボディソープが欲しいんです!」
「もちろん良いが……宿の温泉になかったか?」
「昨日使ってみてすごく良かったので、お母さまたちに送ろうかと! シュテープはちょうど今が一番寒いですし」
私の言葉に、エンさんは「そうか」とシュテープにいたときのことを思い出したらしい。
納得がいった、とうなずいて歩き出す。
「シュテープには四季があるんだったな」
「今は冬ですね。たしか、紅楼は一年中暑いんですよね」
「あぁ。ただ、砂漠地帯なんかだと日中は暑くて夜は寒いなんてこともある」
「砂漠地帯! そういえば、昔、お母さまたちと一緒に旅行で来たときは、砂漠も見に行きました!」
「そうだったのか。宿泊は?」
「いえ、砂漠では泊まってないんです。観光だったので、半日ほど滞在しただけで」
「はは、その方がいい。砂漠は特に温度差が激しいからな。夜は星も綺麗だが、あの温度差はかなりキツイんだ」
「そうなんですね。今回も砂漠は見に行きたいって思ってるんですけど……ホテル、どうしようかなぁ」
「良いところを紹介してやるよ。紅楼にいる間は、俺が案内してやるから心配しなくていい」
本当に面倒見の良い人だ。エンさんの頼もしい姿に感動してしまう。
「エンさん、本当に良い人ですよね」
素直に伝えれば、彼は一瞬だけ目を見開いて、それからすぐに意地悪な笑みへと表情を変えた。
「将来の嫁に優しくしておくのは当然だろう?」
「なっ⁉」
ネクターさんがいれば、冷たい声色でエンさんの冗談を咎めてくれただろうけど、あいにくと今は不在。
私が目を見開くと、エンさんはカラカラと笑う。
「料理人なら、みんながお嬢さんを好きになるさ」
意味が分からない。というか、イケメンってこわい。
何人の女の人をそうやって口説いてきたんだとエンさんにじとりと視線を送ると、エンさんは「ネクターに殺されるから、今のは内緒にしてくれよ」と肩をすくめた。
私が誰のところに嫁いでも、ネクターさんは相手を殺さないと思うけど……。
エンさんにだけはありえそうな気もして、あえて触れないでおく。
なんとなく気まずい、と私が顔をそむけたところで、目的のお店を見つけた。
「あ!」
「お、着いたな」
店の前には石鹸の泡を連想させるような薄青いガラス玉がいくつも吊り下げられていて、見た目も清潔感がある。
「石鹸の良い匂い……!」
清涼感のある爽やかな香りやフローラルな香りがふわりと立ち込める。周囲のお料理やお茶の香りにも負けていない。
店の入り口をくぐると、店員のお姉さんが目を見開いた。
「いらっしゃいま……エンさん! 今日はどうしたんですか?」
「このお嬢さんの付き添いだ」
どうやら知り合いらしい。エンさんはイケメンだし、面倒見もいいから、女の人が放っておかないのだろう。
店員さんの視線が痛いです。エンさん。多分この人、エンさんのことが好きなやつです。
「えっと! 乙鉱石のボディソープを探してて!」
慌てて用件をつげれば、店員さんは目を細めてこちらへずいと詰め寄った。
「あなた、エンさんのなんなんですか?」
「やめろ。このお嬢さんは、俺の親友の連れだ」
あえて遠い関係だというようにエンさんが助け舟をだしてくださると、店員さんの態度がガラリと変わった。
「あら、そうだったんですか」
ころりとかわいらしい笑顔を見せられれば、私も苦笑するしかない。
恋する乙女って、かわいいけど、ちょっと怖い……。
「エンさんも大変ですね」
「もう慣れたな」
「早く良い人を見つければいいのに」
「いや、俺には料理があれば十分だよ。後は息抜き程度にたしなめればそれでいいのさ」
店員さんに聞こえないよう声をひそめたら、エンさんからカウンターをくらって私はため息をつく。
女の人をたぶらかして遊ぶなんてダメです。エンさん。アウトです。
「そんな目で見るなよ。少なくとも、あいつには手出ししちゃいない」
エンさんは苦々しく呟くと、「悪かったって、冗談だ」と肩をすくめた。
「それに昔の話だ。今はそういうのもやめたよ」
「そういうの?」
「あぁっと……何でもない。とにかく、今は料理以外には……いや、お嬢さんは嫁にもらうつもりだがな」
「そういうところですよ⁉」
ネクターさんがエンさんをやたらと警戒している意味がわかった気がする。
私が大きく息をつくと、「お客さま」と後ろから声がした。
「こちらが乙鉱石のボディソープになります」
「あっ! ありがとうございます! 三つください」
「かしこまりました、ではお会計はこちらへ」
店員さんに連れられてレジの方へと向かえば、テーブルをはさんで店員さんから
「エンさんは渡しませんからね」
と真っ黒な笑みと共に商品が渡された。
「……ほ、本当に何も思ってません」
エンさんのせいで誤解されたではないか。遠くで別の商品を見ているエンさんを睨みつけると、どういう訳かその視線に気づいたエンさんがにこりと笑みを向けた。
「お客さま?」
分かってますよね、と謎の圧をかけられて、私はゆっくりと後退する。
「あ、ありがとうございました!」
商品を受け取って、慌ててお店を出ると、後ろから「お嬢さん?」とエンさんの驚きがまざった声がした。
逃げるが勝ち。
もうあのお店には行けないかも!
エンさんには悪いけど、私はやっぱりネクターさんの方がいいです!
こんなことになるなら二人で出かけなきゃ良かった! と私は手にしたお土産をカバンにしまって、足早に商店街を抜けたのだった。