141.不思議な粥屋・山岩層
巨大エレベーターを降りた先、匂いにつられて目についたのは大きな赤い岩山に取り付けられた明らかに人工的な扉だった。
扉には大小さまざまな歯車やいくつかの鉱石が取りついていて、キラキラと輝いている。
岩を削って書かれた『粥屋・山岩層』がお店の名前だろう。
名は体を表す、とはこのことか。
「すごいお店ですね!」
岩の中に埋め込まれているように見えるお店は、周囲の岩々と人工的な扉の対比がなおさら強烈なインパクトを与えている。
「オーナーの趣味だな。元々この岩を家にしていたらしいんだが、それが観光客に受けてな。今じゃうまい朝食も出るし、有名なんだ」
「岩を家に……?」
「岩を爆破させて、中をくり抜くんだ。それでそこに住む」
「爆破⁉」
「紅楼じゃたまにあるんだ。家を建てる場所が少ないからな。岩をくり抜いて住むっていうのはそんなに珍しいことじゃない」
「すごいです! シュテープじゃ見たことないし……。本当に紅楼って面白い国です‼」
「だろうな。俺が初めてシュテープへ行ったときは、あの平地に驚いたよ」
話しているうちに、お店の前に到着する。
見た目には分からないけれど、やっぱりすごく良い香りがする。朝食をとっている人たちで、すでに賑わっているのだろう。
エンさんは、扉に取り付けられた鉱石を押し込んでいくつかの歯車を回した。
これも宿の絡繰錠と同じような仕組みなのだろうか。
「趣味が高じた結果、初めて来た客はこの店に入れないのが唯一の課題だな」
「……そう、みたいですね」
一応、扉の開け方を書いた看板も設置されているのだけれど、あまりにも不便すぎる。
ちょっとした苦労が好きなのかも……。紅楼だけに。
「どうした?」
「なんでもないです!」
まさかダジャレを考えていただなんて言えない。私はブンブンと頭を左右に振って、店内に足を踏み入れる。
「うわぁっ!」
途端、目の前に広がる不思議な光景に声を上げた。
想像以上に広くて天井の高い店内の壁は全て赤い岩壁。岩をくり抜いているのだから当然なのだろうけれど、それにしたって迫力がある。
自然が作る流線形、凹凸、岩肌のゴツゴツとした質感。そのどれもがエネルギーに満ちている。
それだけじゃない。様々な形状のカンテラが岩の突起からぶらさがり、食事をとるための円卓や椅子の周囲にも所狭しと時計やら旧式の電話やらが無造作に置かれている。
なんだかすごくおしゃれでかっこいい!
目がお仕事を終えたら、今度は鼻がお仕事を開始した。
まだ早い時間なのに多くの人がお粥に舌鼓をうっていて、その香りに食欲がそそられる。立ち込める出汁の匂いが空腹を知らせた。
くぅ、とおなかを鳴らせば、エンさんがふっと笑う。
「空いてる席でいいか?」
「もちろんです!」
特に案内してくれるような店員さんはいないらしい。
エンさんは慣れた足取りで店の奥へと進み、空いている壁際の席に腰かける。
円卓の上に広げられていた紙束を何枚かめくって、「ほら」とこちらに一枚の紙を差し出した。
手書きで荒々しく書き連ねられた文字は、どれもお粥の名前らしい。
足長海老卵、波山芥子菜、白乳貝柱などなど。おそらく具材の組み合わせだろう。
「どれもシュテープじゃ見ないので、すごく気になります! おすすめとかありますか?」
「おすすめか。七草薬膳はスタンダードな粥だな。変わり種だと、白乳貝柱、辛いものが好きなら生姜乙草も良いと思うぞ」
「それじゃあ、スタンダードな七草薬膳を食べてみます!」
「わかった。他に気になるものはあるか?」
「えぇっと……あ! この、梅肉龍骨っていうお粥が気になります!」
龍の文字が目に飛び込んできて指さすと、エンさんは「本当にお嬢さんはドラゴンが好きなんだな」と笑った。
「それじゃ、七草薬膳と梅肉龍骨にするか」
エンさんが厨房に向かって「注文を頼む」と呼びかける。
「あいよ~!」
奥から快活な声がかえってきて、恰幅の良いおばさまが厨房から顔を出した。
「あら! エンじゃないか! ……って、あんたちょっと見ない間になんだい! かわいい嫁さんが出来たのかい⁉」
「かわいいだろ?」
「違います‼」
否定するどころかなぜかノリノリなエンさんに慌てて私が首を振ると、おばさまは「なんだい、違うのかい?」と残念そうに眉を下げる。
「違います」
「残念ながらそういうことだ」
「本当に残念だねぇ」
何が残念なのか全く分からないけれど、危うくエンさんのお嫁さんになってしまうところだった……。
まったく油断も隙もない。
というか、エンさんにも彼女がいないなんて。そこまでネクターさんと同じとは。
二人とも、よっぽど料理一筋でやってきたのだろうか。
「で? 注文は?」
「七草薬膳と梅肉龍骨、一つずつで」
「あいよ」
まるで何事もなかったかのようにさらりと注文を終えたエンさんは、円卓に置かれていたポットとコップを手に取って、私の前にお茶を用意してくださった。
こういうさらっと気遣いが出来るあたりもネクターさんと同じ。
正反対に見える二人だけれど、やっぱり似た者同士かも。
メニューを片付けて、お茶を飲む。
エンさんはそれらの動作を手早く、けれど美しい所作でこなすと、一息ついてこちらへと視線を投げた。
「さて、お嬢さん。せっかく二人きりになれたんだ。三人じゃできない話があるだろう」
にっと口角を上げるエンさんの瞳。赤くきらめくその目には、底知れない深さがある気がする。
「……ネクターさんのこと、ですか?」
「ご明察」
今までと変わらぬ口調なのに、エンさんの声色から真剣であることが分かる。
「あくまでも、俺の推測なんだが……ネクターは、何かの病気にかかっているんじゃないか?」
切り出されたエンさんの言葉が店内にあふれる湯気と共に岩壁を登っていく。
それは、火山が噴火する前の小さな兆しのようだった。