140.いつもと違う二人旅
翌朝、間仕切りの向こうをそっと覗くとすやすやと眠りについているネクターさんの姿があった。
昨日はエンさんと遅くまで盛り上がっていたし、こうして朝寝坊するネクターさんは久しぶり。
やっぱり、何回見ても綺麗な顔。
長いまつげがピクリと動くも、まだ夢の中にいるようで、その瞳が開く気配はない。
朝が苦手なネクターさんも、初日に寝坊して以来、頑張って早起きをしてくれていたようだけど……旅の疲れが出たのかもしれないな。
完璧超人に見えるけど、ネクターさんだって人間だし。
今日はお洋服を買いに行くだけだし……うん、寝かせておこう!
私がよし、と拳を握りしめたところで、トントン、と部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「……んぅ」
まずい! ネクターさんが起きちゃう!
慌てて私は部屋の扉の方へ向かう。出来る限り音を立てないようにゆっくりと扉を開けると、エンさんが片手を上げた。
「おはよう、お嬢さん。ネクターは?」
私はしーっと自らの唇に人差し指を当てる。
「おはようございます。ネクターさんはまだ寝てるので、今朝はこのままお休みしておいてもらおうかと」
「ははっ、なるほど。そこは相変わらずだな」
「昔からなんですか?」
「あぁ。しかも寝起きが最悪なんだ。お嬢さんの前じゃ隠してるかもしれないが、いつにまして不機嫌でさ」
「なんだか、エンさんの知ってるネクターさんは、私の知ってるネクターさんと別人みたいです」
「俺もそう思うよ」
エンさんはやれやれと頭を振って、「ネクター」と部屋の奥へ声をかける。
「ちょっ⁉」
「これくらいじゃ起きないから大丈夫だ。ネクター、お嬢さんは借りてくぞ」
「……んん」
くぐもったネクターさんの声がかすかに聞こえて、エンさんは「ほらな」と笑う。
「さて、あいつの許可もおりたし、二人で行くか」
今日の予定は、エンさんおすすめのお店で朝食の後、お洋服を買い、商店街を見て回る。
本来ならばネクターさんと一緒に三人で見て回る予定だったけれど、エンさんが良いなら良しとしよう。
「でも、昼前には起きてくるだろう。……そうだな、お嬢さん、悪いが書置きしておいてくれないか。十一時に昨日昼食を食べた店のあたりに、ってな」
「わかりました!」
言われた通りに書置きを残して、部屋の鍵を閉める。
「いってきます」
聞こえてはないだろうけど、一応挨拶もして、私とエンさんは宿のエレベーターに乗りこんだ。
*
「ほわぁぁ! 朝早いのに、もう人がいっぱい!」
「この辺りは漁港もあるしな。シュテープも、漁港のあたりは朝が早いだろう?」
宿の前にかかる橋をこえれば、朝から賑やかな商店街が顔を出した。
あちらこちらから良い香りも漂ってきて目が覚める。
「はぐれないように手をつないでおこうか?」
「だ、大丈夫です! 緊張しちゃうので!」
「ははっ、冗談だ。でも、迷子になりそうだったら遠慮なく言ってくれ」
今までの旅はネクターさんとずっと一緒だったから、こうしてネクターさん以外の人と二人で出かけるのなんて新鮮だ。
エンさんは女の子に慣れてるって感じがして、余計にネクターさんとの違いを浮き彫りにさせる。
「そういえば、紅楼だと朝ごはんは何を食べるんですか?」
「粥が多いな。あぁっと……粥ってわかるか? 米をたっぷりの水で炊いたもので……」
「わかります! シュテープだと病気の時に食べるやつ!」
「はは、そうだな。流動食だし、消化にもいいから、ここじゃ朝ごはんとしても重宝されるんだ。朝からしっかり栄養補給もできるし」
「シュテープだと朝はパンとかパスタが多いので楽しみです!」
「リゾットは朝には食べないのか?」
「チーズがいっぱいで重たいので……。おいしいけど、あんまり食べないですね」
エンさんが積極的に話しかけてくれて会話に困ることもない。
まだ出会って数日だというのに、エンさんはすごく親しみやすい。お兄ちゃんがいたらこんな感じなのかも。ネクターさんは、お兄ちゃんっていうか……弟っぽい感じだし。
様々な香りの誘惑に耐えながら、エンさんについて商店街を歩く。揚げパンのお店に目が吸い込まれて足を止めると
「商店街を抜けたら五分くらいだから、あと少し我慢な」
エンさんにくしゃくしゃと頭を撫でられた。
「商店街の先にあるんですか?」
「あぁ、あそこに山が見えるだろ? あの中腹にあるんだ」
「山の中腹⁉」
商店街の向こう、高くそびえる紅楼の赤い岩山が見える。
朝からあれを登るというのだろうか。
私が驚いて目を見開くと「さすがに歩かないから大丈夫だよ」と笑われた。
「昇降機がついてるから安心しろ。山頂まで登れるぞ」
「昇降機!」
「宿についてるものより立派だから面白いかもな。ネクターがいれば喜んだだろうけど」
エンさんは、いまだ夢を見ているであろうネクターさんを思い浮かべたのかクツクツと肩を揺らす。
確かに、あの機械オタクなネクターさんなら喜んだかも。今度はちゃんと起こしてあげよう。
話しているうちに、お店があるという山の麓、昇降機の乗り場に到着して、私とエンさんはお金を払う。
昇降機……シュテープでいうところのエレベーターにお金を払うなんてちょっと不思議だ。
けれど、機械部品がたくさんついた立派な門構えと大きな箱は、エレベーターというには出来過ぎていた。
シュテープのエレベーターみたいに、ただの箱じゃないところも素敵。
六角形の屋根がついているからか、まるで一つのお家が動いているようにも見える。
「す、すごいです……」
たくさんの配管から空気の流れる音が聞こえるし、あちらこちらで歯車が回ったり、大きな真鍮の棒が上下に動いて蒸気が出ていたり。
まさに圧巻。シュテープではまず見られないたくさんの機構がとにかくかっこいい。
「朝食がメインだからな。そっちも忘れないでくれよ」
エンさんに苦笑されながら昇降機に乗り込む。何人か乗り込むと、昇降機の扉が閉まった。
そこからはどんどんと山を登っていく。
綺麗な模様に組まれた木枠、そこにはめ込まれたガラスの向こうに、紅楼の町並みが広がった。緑と金、赤のコントラストが美しい。
中腹に到着して扉が開くと――ふわり、炊き立てのお米の香りと出汁の香りが鼻を刺激した。




