128.魚水酒家で腹ごしらえ!(4)
メインディッシュ、アカハタの清蒸は真っ赤なお魚をまるまる一匹タレで煮込んだお料理だろうか。今までに食べた二品にも劣らない華やかさがある。
お魚の上にはたっぷりと細切りにされたネギとショウガ。
シンプルなのにすごく目を引くお料理だ。
結局、エンさんに「俺が取り分けてやる」とお箸とお皿を奪われたわけだけど……彼が器用にネギやショウガをよけ、お箸をアカハタに差し込んだ瞬間、
「わぁっ……!」
私の口からは感嘆の声が漏れ出た。
ほわっと立ち上がる湯気と共に、皮の内側から魚の脂がゆったりと染み出る。同時、ほろほろと美しい白身魚が顔をのぞかせた。お箸で簡単にほぐれてしまうほどやわらかな身が、フルフルとお箸の上で揺れる。そのたびに、煮込んだタレや脂をテラテラと反射させる様は国宝級と言わざるを得ない。
「まずはそのまま食べてみてくれ。その後は、ネギやショウガをのせて。最後はタレをたっぷり絡ませて」
エンさんはニッと口角をあげると、私の前に切り分けたばかりのお魚を差し出してくれた。
「さあ、どうぞ、お嬢さん。紅楼の港の味を召し上がれ」
「はいっ!」
よろしくお願いします! と思わず改まってしまいそうなくらいぜいたくなお魚料理だ。
しかも、ここ最近はお魚なんてあんまり食べてなかったから余計に嬉しい。
「……では」
私はゴクリと唾を飲み込んで、ついでに垂れてきそうだったよだれもしまいこんで、そっとお皿にお箸を伸ばす。
ゆっくりとお魚をすくいあげると、それはもう驚くほど軽やかにほろっと身が崩れた。
口元へ近づける。お醤油の香ばしい匂いとショウガの爽やかな香り。上品なのに食欲をそそる。
ふぅ、ふぅ、とさましてから口の中へ入れると――ふわり、やさしくほどけた白身魚から、魚本来の甘みがたっぷりとあふれた。
熱波山を食べた後だからか、その繊細な味が余計に引き立つ。
魚独特の臭みはショウガとネギ、それからほんの少しのごま油の香りに溶けている。
お醤油ベースのタレはしょっぱさがお魚の甘さとしっかり絡んでいて、魚の脂と合わさるとより上質なタレへと進化した。
「……ほぁぁ……」
溶ける。頬がゆるゆるだ。にやけが止まらない。
優しくて、安心するほっこりとした味。飲み込めば、食道を通って胃へ、体の芯からじんわりと温められていく感覚が心地よい。
ショウガの辛みが味を引き締めているからか、飽きることもなさそうだ。
「……どうだ?」
固唾を飲んで見守るネクターさんとエンさんが
「これは……」
と私が口を開いたことで、さらにその体を硬直させた。エンさんはともかく、ネクターさんはどうしてそんなに緊張しているのだろう。
「上品だし、最高です。繊細で優しい味がお魚の食感と一緒にほろほろっと溶けていく感じがたまりません……! 味がすごく濃いって訳じゃないのに、お醤油とごま油のせいか、すごくご飯が食べたくなりますし……身もふわっふわで!」
私がぎゅっとお箸を握りしめて力説すると、二人は顔をほころばせた。
「本当に、お嬢さまはおいしそうに食べられますね」
「気に入ってもらえて嬉しいよ。俺が作った訳じゃないが、この料理は紅楼の港の味ってくらい定番料理でもあるしな!」
「次はネギとショウガも一緒に食べますね! その後はタレをたっぷりつけて、でしたよね?」
「あぁ。たくさん食べてくれ」
エンさんは私の取り皿に再びお魚のおかわりを盛り付けてくれた。
二人も遅れて自分の分を取り分けて食べる。ネクターさんはしっかりと味わうように、エンさんは改めてそのおいしさを確かめるように。
「そういえば、清蒸って、シュテープじゃ聞いたことがない言葉なんですけど、どういう意味なんですか?」
アカハタの清蒸もあっという間になくなったところで、気になっていたことを口にする。
「食材を生の状態から調味料を加えずに蒸し上げる調理法のことだ」
「煮込んでるんじゃないんですね⁉」
「あぁ。タレがたっぷりかかってるから、そう見えるがな。煮込み料理はまた別の名前がついてるよ」
「紅楼はとりわけ調理法が細かく分かれていて、それぞれに名前がついているんですよ。熱波山の熱というのも、強火で炒めることを意味しています」
二人の料理人から丁寧な説明を受け、私もネクターさんよろしく心のメモにしかと記入する。
調理法にもお名前がたくさんあるなんて面白い!
「シュテープよりも細かいので、紅楼の料理人は凄腕ばかりですよ」
「いや、逆に名前のない調理法を見様見真似で伝承していくシュテープの方がすごいだろう?」
二人は互いに褒め合って、顔を見合わせた。
なんだかんだ言って、やっぱりこの二人は相当馬があうらしい。
一年ほどしか同僚として働いていなかったとは言え、その後もやり取りは続けていたようだし、実力を認め合ったライバルって感じだ。
「やっぱり、仲良しさんですよね」
お茶を飲んで一息ついた私の言葉に、料理人コンビは「そうだろう?」「違います」と対照的ではあるものの声をそろえた。
「……なぁ、ネクター」
「な、なんです……」
「もう一度、一緒にやらないか? 紅楼にいる間だけでもいい。お嬢さんの付き人だってのは分かってるし、それも立派な仕事だが……お前はやっぱり、厨房に立つべきだ」
エンさんの真剣な表情に、ネクターさんがぐっと言葉を詰まらせた。口を真一文字に引き結んで、静かに目を伏せる。
あ、これ……。
今までも何度か旅の中で見た『何か』を取りつくろう時の表情。
「もう僕は、料理人に戻る資格なんてありませんよ」
くしゃっと儚く笑うネクターさんの顔は、泣いているみたいだ。
「それよりも、お嬢さま。デザートはいかがですか?」
下手くそなごまかし方に、エンさんは納得がいかないと態度で示していたけれど、ネクターさんの頑固さを知っているのだろう。それ以上深追いすることはなかった。
代わりに私へと視線で合図を送る。
やっぱり何か変だ、と言いたげな瞳だった。
「……私は、おなかいっぱいになっちゃいました! ネクターさんは?」
「僕もです。残念ですが、デザートはまたの機会にいただきましょう」
ひとまず、この空気をなんとかしようと無理に明るく振舞えば、ネクターさんが安堵の表情を浮かべる。
そんなネクターさんの姿にちょっとだけ胸が痛んだのは、私だけじゃなかっただろう。