123.熱烈歓迎! 紅楼国
「ほら、そろそろ着くぞ」
翌朝。
私に昨日のことを謝り倒しているネクターさんの首根っこをひょいとつかまえたエンさんが、そのままネクターさんを甲板へずるずると連行してくださったのは、朝食を終えてしばらくが経ってからのことだった。
「まさか本当だとは……」
「何がです?」
「いや、こっちの話だ」
おそらく、謝罪するネクターさんというのはエンさんにとってウルトラハイパーレアなのだろう。私に目だけで合図を送ってきてくださった。
「本当だったでしょう?」とウィンクを返してみたら、エンさんがぶっと吹き出す。なんのことだか分かっていないネクターさんだけが不満げだ。
「エン、お嬢さまに何か余計なことを吹き込んだのでは?」
「まさか。相変わらず人聞きが悪いな」
「……まさかとは思いますが、手を出してなどおりませんよね」
「さぁ、どうだろうな」
飄々とするエンさんに、ネクターさんが見せた絶対零度の微笑み。それは異常なまでの怖さがあった。
手を出す、の意味は分からないけど、私は元気ですから! 大丈夫ですから! その後ろに出てる謎の圧をしまってください‼
「お前、その顔やめろ! 出してないから!」
さすがのエンさんもひくりと頬を引きつらせる。
ネクターさんはそれでも疑うようなまなざしを投げかけていたけれど、エンさんの言葉を一応信用したらしい。ひとまずは殺人オーラをしまってくださった。
「……とりあえず! 着いたら宿へ行くか。俺の勤め先なら優遇してくれるだろうし」
「エンさんって宿で働いてるんですか⁉」
「正確には宿の厨房だな。これでも副料理長なんだ」
なんとか話題を変えようと必死なエンさんを援護しようと話を合わせれば、意外な答えが返ってきて、私とネクターさんの声が
「「えっ」」
とシンクロする。
いや、そりゃまあ、そうか。
エンさんだって、ネクターさんと同じくらいの時から料理修行をして、他国の王城で働いてたくらいだもんね。ネクターさんもテオブロマの料理長な訳だし、エンさんが偉い立場でも不思議じゃない。
「二人してなんだよ。ま、最低限のもてなしくらいは出来るだろうさ」
エンさんはすっかり空気が変わったことに安堵したのか、カラカラと笑い飛ばした。
「港からもそんなに遠くない。多分、そろそろ見える……あぁ、ほら」
エンさんが指をさしたその先。
「うわぁっ!」
紅楼の名を表すにふさわしい、赤岩の連なった高い山々が水平線の向こうから顔をのぞかせた。
「あの麓にある、緑と金の屋根の建物が宿屋だ」
「え……⁉」
港から少し右側に、エンさんの特徴と合致する建物が。
ただ、想像していた以上の大きさで、私は思わず目を見開く。
遠くからでもその大きさが分かる。六角形が複雑に組み合わさった建屋は縦に長く伸びていて、周りの岩山にも負けていない。赤褐色の岩肌に映える緑と金の屋根が余計に存在感を増している。
「さ、さすがに大きすぎないですか⁉」
一体何人の人があそこに……⁉
「お嬢さまは、以前紅楼へ家族旅行にいらしたのですよね?」
「はい! でも、シュテープからだったから、違う港だったのかもしれません。あんなに大きい建物はなかったですから!」
「そうだな、シュテープから出航したんなら東の方の港だろう」
どおりで見覚えがないわけだ。幼いころの記憶というわけでもないし、さすがにあんなに大きな建物があったら覚えているはず。
「紅楼にはいくつか有名な宿屋があるんだ。あそこは、その一つだな。ま、港は紅楼の中でも特に人が多いから、ああいう目立つ建物をわざと作ってるんだよ」
エンさんは見慣れているのか特に気にした風でもなく、ひらひらと手を振った。
*
船が紅楼の港へと到着すると同時、甲板にまで賑やかな楽器の音が聞こえてきた。
鐘のような華やかな音が響いたかと思えば、ガラガラ、パッパーときらびやかな演奏が始まる。
船から港の方を見下ろすと、演奏に合わせて扇子片手に踊っている女性と男性の姿も見えた。
「ほわぁぁ! すごい! お祭りみたいです‼」
「よそから来た客人を目いっぱいもてなすのが、紅楼の習わしだ。気に入ってくれたか?」
「はい! とっても! それに、いろんなところからいい匂いがして……」
くんくんと鼻を動かす。
あちらこちらからお肉を焼いたような香ばしさ、油の刺激臭、ベ・ゲタルとはまた違う、空腹を促すスパイスの香りが風にのってやってきて、もう我慢できない!
くぅ、と私のおなかが音を立て、ネクターさんとエンさんが顔を見合わせて笑った。
「ようこそ、紅楼国へ。国民を代表して、二人を心より歓迎する。お嬢さん、ネクター。しばらくの間は存分に楽しんでいってくれ」
一足先に船を下りたエンさんが、ふわりとその赤い髪をなびかせてこちらを振り返った。
右手を胸にあて、うやうやしく礼をするエンさんは見た目もあいまって格好いい。
ネクターさんもエンさんの姿に目を細めている。
楽器の音が響く中、ベ・ゲタルからの旅行客が笑みをこぼしながら町へと消えていく。
私たちも下船して、紅楼の地に足をつけた。
「ベ・ゲタルで仕入れた荷物を届けてもらうように手続きしてくるから、少し待っていてくれ。この辺りで飯屋を探してくれても良い。宿屋へ行く前に、昼飯にした方が良さそうだからな」
エンさんは私を見てクスリと微笑むと、下船してきた人たちの間を抜けて船員の方へ。
そっか。そもそもエンさんは、ベ・ゲタルに仕入れに来てたんだっけ。
ネクターさんもテオブロマ家では自分で仕入れをしていたっていうし、やっぱり一流の料理人さんは食材の仕入れから自分でやるのかも。
「それでは、少しこの辺りを見てみましょうか。市場や商店も多いですし、良いお店が見つかるかもしれません」
ネクターさんに促され、私は「はい!」と元気よく返事する。
この国の華やかな雰囲気のせいか、それとも私が高揚しているからなのか。ベ・ゲタルよりも暑い気がする。
賑わう人の熱気を肌身に直接感じながら、私とネクターさんは紅楼の港町へと足を踏み出した。