表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
122/305

122.まるでドッペルゲンガーだ

 船の明かりだけが海を照らす甲板。

「さ、お手をどうぞ。お姫さま」

 エンさんが冗談めかした笑みを浮かべて、こちらに手を差し伸べる。彼の赤い髪が海風にさらされる様はどこかの絵画みたいだ。


「さすがにお姫さまは言われ慣れてないので……ちょっと変な感じです」

 私がはにかんで彼の手を取ると、エンさんはふっと笑う。その笑い方がなんとなくネクターさんに似ていて、二人は短い間でも本当に仲が良かったのだろうと思った。


「それにしても、星が綺麗ですね! ベ・ゲタルの星空も綺麗でしたけど、紅楼国(クロウコク)も同じなんですね」

 言ってから、私は「あ」とネクターさんのことを思い出す。


「そういえば、ベ・ゲタルでは、星には悲しみを癒すって意味があるみたいなんです。ベ・ゲタルでバスケットを作ったんですけど、ネクターさん、星のマークを選んでて」

「……なるほど」

「深い意味がないと良いんですが。ネクターさんは、やっぱり何か嫌なことがあったんでしょうか」

「まだ、何も分からないな」


 遠くに光る星々を見つめて、私たちはしばらく閉口した。

 ネクターさんのことをもっと知りたい。

 私たちの目的は同じはずなのに、どこから話せばいいのかわからなくて。


 沈黙が破られたのは数分後。

 何度目か、船に波が打ち付ける音が空いっぱいに響いた後のことだった。


「……お嬢さまから見て、ネクターはどんなやつだ」

「ネクターさんは、格好良くて、優しくて、頼りになります。すごく賢いし、車だって運転できるし、ベ・ゲタルの言葉もしゃべれて! なんでもできるんですよ!」


「ストップ、ストップ。分かったから落ち着いて」

 思わず食い気味にしゃべってしまった私に、エンさんは声を上げて笑う。


「ごめんなさい、つい!」

「いや、いいさ。それにしても、あいつが優しいとは。これまた意外だな」


「意外、ですか?」

「あぁ。ネクターはどちらかといえば、冷たい部類に入ると思うが」


「そうですかね……。あ、でも、エンさんがさっき、ネクターさんのことを頑固だって言ったでしょう? あれは分かりますよ! ネガティブで、いつも自信がなくて、一度スイッチが入っちゃうと気が済むまで謝られちゃうんです」


「……謝る?」

「はい! 初めて会った時なんて、いきなり土下座されちゃって! びっくりしましたもん!」


「あぁっと……ちょっと待ってくれ。あいつが土下座をしたのか?」

「はい。今でもたまにされそうになります」

「信じられないな」


 エンさんは「本当にネクターか?」と一人呟いて、頭を抱えた。状況整理が追い付かないのだろう。

 こちらに「待て」のジェスチャーをし、ブツブツと何かを自問自答している。


「双子じゃなけりゃ、ドッペルゲンガーの仕業(しわざ)だと思いたいくらいだ」

 エンさんの言いぐさは、まるで冗談であってほしいと祈っているようにも聞こえた。


 残念ながら、ネクターさんはおそらく双子ではないだろうし、ドッペルゲンガーでもないだろう。いや、双子でもドッペルゲンガーでも、それはそれでびっくりだけど!


「エンさんが知ってるネクターさんは、どんな人なんですか?」

「さっきも話した通りだ。自信家で、料理のことに関しては人一倍うるさい。言葉足らずなところがあって、誤解されやすい。頑固なのは同じだけどな」


「……自信家?」

 もしかして、シュテープで使われている意味と、紅楼(クロウ)で使われている意味が違う?

 そんなことある? あのネクターさんが?


「そうなるよな。無理はない。俺も同じだ」

「お料理のことも、感想を言うのは苦手だって言ってました。何がまずいだとか文句を言っているネクターさんは見たこともないですし」


「やっぱり、ドッペルゲンガーか」

「本物はどこに⁉」

「……消えちまったか」


 エンさんの哀愁(あいしゅう)漂う演技に思わず笑うと、エンさんは「やるせないな」と横に首を振った。

 ネクターさんを勝手に殺さないでほしい。


「冗談だよ。それにしても、本当にそう思いたくなるほど別人みたいだ」

 エンさんは腕を組んでしばらく目を閉じた。私もそれにならって、なんとなく腕組みしてみたけれど、ネクターさんが別人になった理由はさっぱり分からない。


「なあ、お嬢さん」

 いつの間に目を開けていたのか、エンさんに話しかけられて、私は慌てて腕をほどく。


「お嬢さんは、ネクターの主人なんだよな? 今は旅の最中だと言っていたが、戻ったらどうするつもりなんだ?」

「えっと……そのまま、家業を継ぐつもりですけど」

「ネクターのことは?」


 じっと赤い瞳に見つめられて、そういえば私は自分のことしか考えていなかったことに気付く。

 お父さまやお母さまは、ネクターさんを料理長に戻すつもりでいるだろうか。

 それとも、私の付き人としてずっとそばにおいておくつもりなのか。


「……考えたこともありませんでした」

「そうか。いや、責めてるわけじゃないんだ。悪いな。ただ、少し考えてみてほしい。あいつの料理の腕を知ってるなら、なおさら」


 ネクターさんがどれほど素晴らしい料理人だったかは、私も知っているつもりだ。

 少なくとも、一緒に旅をしているだけでも分かる。たくさんの知識と確かな技術、お料理をどれほど愛していて、熱心に向き合っているかも。


「お嬢さん個人の意見でいい。ネクターをこのまま従者にしておくつもりか?」

「……それは……」


 テオブロマとしてではなく、私、フランとしてだけの意見なら――

 私はネクターさんとの旅路を振り返る。

 エンさんが言うようなお小言はともかく、レシピを聞いたり、調理法を観察したりするネクターさんの姿が浮かぶ。


「ネクターさんには、これからもお料理をしてほしいです。別に、料理長に戻ってほしいとは言いません。でも……ネクターさんは、きっと、お料理が好きだから」


 私の答えに、エンさんは満足そうにうなずいた。かと思うと、わしゃわしゃと私の頭を撫でて

「ありがとう。俺も、そう思っていたところだ」

 と、少しだけ子供っぽいくしゃくしゃの笑みを浮かべる。


「……それじゃ、俺から一つ提案だ。お嬢さん」

 エンさんはちょいちょいと私を手招きすると、他に聞く人もいないというのに、内緒話をするように耳元に手をかざした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] エンさんと会話が、信じられない……ネクターさんが自信家? ウッソだろお前。頑固なのはそうかもしれませんが、今まで料理について人一倍うるさいとこも……あったっけ……? (。´・ω・)? と…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ