120.語られるのは彼の過去
紅楼国へと向かって出発した船は、シュテープからベ・ゲタルへと向かった時よりも少し小さかった。
船内施設も多くはなく、一泊二日の船旅の間の楽しみは食事がメイン。
もちろん、私にはそれだけで十分だ。
レストランで黙々とご飯を食べすすめるネクターさんが、グラスをあおるエンさんをじとりと睨む。
「ん? どうかしたか?」
「……いえ、どうしてエンが俺たちのテーブルにいるのか、疑問に思ってるだけですよ」
やわらかな言葉遣いの奥に、チクチクと容赦なく生えそろったトゲが見える。
エンさんは気にした素振りもなく、カラカラと笑った。
「久しぶりの再会だろ。昔話に花を咲かせるのも悪くないなと思って」
ネクターさんのトゲをもろともしないあたり慣れているのだろう。
「お嬢さんが迷惑だっていうんなら、さすがに俺も遠慮するけど?」
「私はどっちでも! むしろ、私がお邪魔な気が……」
「いえ。お嬢さまはぜひそのままで。むしろ、ぜひそこにいてください」
「んじゃ、決まりだな」
エンさんは、ひょいひょいと器用にお箸で皿の上の料理を取っていきながら、食事をすすめる。
ネクターさんもそんな彼の言動には馴染みがあるのか、諦めと呆れを混ぜた息を吐いた。
「ん、これはうまいな」
「ベ・ゲタルのスパイスで紅楼の羊肉を漬け込んだものらしいですよ」
「ふぅん……紅楼のスパイスとは違って、果物の香りがするのが面白い。肉に合ってる」
料理人らしい会話がいくつか続いた後、エンさんはふと手を止めた。
観察するようにネクターさんを見つめ、それから私の方へとその視線を移動させる。
「なぁ、ネクターっていつもこんな感じ?」
「こんな、って?」
「黙々と食べてるのか? 感想もなしで?」
私がうなずくと、エンさんは「そうか」と口ではいいつつも、腑に落ちていないようで首をかしげる。
「前は、もっと小うるさい姑みたいな感じだったような気がするんだが」
「……いつの話をしてるんです。もう良い大人なんですから」
「そうか? 王城にいた時は、他人の料理にあれこれ口出ししてたろ」
「王城⁉」
まさか、そんな単語が出てくるとは思わなかった。他人の料理にあれこれ口出しをするネクターさんも気になるが、それ以上に気になる。
なんで、王城に二人が?
「知らないのか?」
「別に話す必要などありません。過去のことです」
「なんだよ、謙遜しなくていい。お前のすごさは今更だろ」
エンさんは肩をすくめて笑う。冗談めかしているけれど、その目は本気だ。
対するネクターさんは褒められているはずなのに、忌々しいと言わんばかりに目を伏せた。
「それって……詳しく聞いても、良いですか?」
今まで教えてもらえなかったネクターさんの過去。私もそこに踏み込もうとはしてこなかった。
けれど、それじゃダメだったのかも。ネクターさんともっと仲良くしたいと思うなら。
私の踏み込んだ一歩に、ネクターさんは顔を強張らせた。エンさんだけが、私たちのやり取りには気づかず「俺はいいけど」とグラスをあおる。
エンさんのグラスに入っていたお酒は紅楼のもので、そこそこ度数があったはずだけど。彼はお酒が強いみたいだ。
「……分かりました。では、少しだけ。エンなら、少しどころか全部喋ってしまいそうですが」
ネクターさんがちびりとグラスに口をつける。エンさんと同じ、紅色のお酒がそこには入っている。
普段、積極的にお酒を飲まないネクターさんも、さすがにこれはお酒を飲まないとやってられないみたい。
「お嬢さんは、こいつのこと、どこまで知ってるんだ?」
「えっと、確か十五で料理の修行を始めて、十八でテオブロマに拾われた、と。それから、十年間、テオブロマ家に勤めてくださって、料理長にもなって……。あ、そうだ! テオブロマの前の料理長にもお世話になったって、聞きました」
「なるほど。じゃ、その料理修行のころからだな」
「良いんですか?」
「……良いですが、あくまでも、過去のことですからね」
ネクターさんはやけに『過去』を強調して、エンさんにバトンタッチ。その間も、あまり強くはないはずなのに、チビリ、チビリ、とグラスのお酒に口をつける。
「俺がネクターに合ったのは、十七の時。俺は紅楼の生まれで、今のお嬢さんみたいに修行と称して各国を回ってたんだ。いろんな国の料理が知りたかったし、シュテープにも行ったよ」
「その時にネクターさんと出会ったんですか?」
「そう。んで、コンテストで信じられないくらい叩きのめされたって訳。まあ、シュテープは全体的に料理人のレベルも高かったしな」
「ネクターさん、そのころからすごかったんですね!」
「すごかったも何も、レベルが違う。ネクターの料理は魔法そのものだった。出された料理と同じ味を再現する課題があったんだが、それはもう寸分たがわず同じ味だ」
「そんなこと出来るんですか⁉」
「普通は出来ないな。だから、ネクターはすごいんだ。ともかく、その時のコンテストの入賞者上位五名には、特別に王城の厨房で働ける権利が与えられた」
「それで、エンさんとネクターさんは王城に?」
「そういうこと。まあ、俺もすぐに紅楼へと戻らなきゃいけなくなって、一年そこらの付き合いだったけどな」
エンさんはカラカラと笑って「あの時のネクターはすごかったぞ」と料理を口に運ぶ。しばらく堪能するように噛みしめた後、
「こうやって、一口食べるだろ? そうしたら、あれがダメだ、これがダメだって。しかも全部的確なんだからさ」
呆れたように笑った。
「おかげで俺は勉強になったし、こいつはすごいやつだって仲良く出来たけど。普通はそうはいかないからな。中々浮いてたよ」
「……もう、昔のことですよ」
今のネクターさんからは想像もつかないけれど、なるほど、たしかに。これはネクターさんも話したがらないわけだ。
何がこうなって、今のネガティブネクターさんが出来上がったのかは分からないけれど、お酒を飲んだ時にでる強気モードは、もしかしたら若かりし頃の名残なのかもしれない。
「今のネクターさんに会えて良かったかも、です……」
私が冗談めかして笑うと、ネクターさんが困ったように眉を下げた。




