117.星が導く旅人は
「なるほど。それでまた来てくれたんだ」
占い・シラントロの静かな空間にお兄さんの声が響く。
お兄さんは再び手の上でバラバラとカードを移動させながら、私をじっと見つめた。
「それで? その、ネクターさんはどこに?」
「今は近くのお店でお買い物に行ってます。占いは苦手みたいで……後からランチだけは食べに来るって」
「そ。今日はシーフードカレーだよ」
ネクターさんに「もう一度占い屋さんに行きたい」と相談したら、やんわりと断られた。
「近くで買い物をしておりますから、ランチのころにお店で合流しましょう」
とのことで、私は車でお店の近くまで送ってもらった後にネクターさんと別れて、一人でやってきたのだ。
ネクターさんは、次へ行く国を決めるために旅行ガイドを買ってくる、と言っていたし、しばらくは本屋さんで悩んでいるだろう。
ランチタイムまで、まだ三十分くらいはあるし。
「えぇっと、それで……冷え込んだ関係性が解消できない、だっけ?」
「そんな長く一緒にいる夫婦みたいな……」
「違うの?」
「違います!」
「ごめんごめん、ジョークだよ。喧嘩でもした?」
「いえ。喧嘩というか……ネクターさんは、私に嫉妬してるって言ってました」
「嫉妬?」
「立派になっていくのを見ていると、うらやましいって」
自分で言うのは変な感じだ。でも、ネクターさんから言ってもらったことは素直にそのまま伝える。
お兄さんは「なるほどね」とうなずいて、カードをシャッフルする手を止めた。
「それで、何が知りたいの? 彼のことかな?」
「いえ! そういうわけじゃ……。ただ、何かあった時は向き合えばいいって言われて、お話したんですけど……まだ、完全には解決しなかったので、そのアドバイスをもう一度もらえたらって」
「分かった。とりあえず一枚引いてみて」
お兄さんは、カードをさっと並べてこちらに差し出す。言われた通りに一枚カードを選んで表に向けると、一本の矢が描かれていた。
「右向きの矢は、進め。物事が動き出す兆し、あるいは……」
強制的に動かされる。
お兄さんがそう言い切った瞬間、カラカラカラとお客さんの入店を知らせる木の乾いた音が鳴る。
ネクターさんがもう戻ってきたのだろうか。
振り返ると、そこには炎のような赤髪を後ろにまとめた男の人が立っていた。
ネクターさんよろしく美形でスラリと背が高い。
なんというか、思わず目が引かれるような雰囲気がある。そのオーラに吸い込まれて、つい凝視してしまった。
赤みがかった髪の奥から、さらに赤い瞳がのぞく。
それがバチンとこちらにぶつかって、「あ」と私の口から自然と声が漏れた。
まずい。知らない人をまじまじと見るなんて失礼だったかも!
けれど、男の人もまた「あぁ!」と大きな声を上げた。
「フラン・テオブロマ!」
「ほぇっ⁉」
まさか名前を、それもフルネームで呼ばれるとは思わず、私も素っとん狂な声を上げてしまう。
「あぁ、悪い。最近、テレビに出てただろ? それに……」
その人の声をさえぎるように再びお店の扉が開いて、カラカラと音がする。
そこには、私の本当の待ち人、ネクターさんが立っていた。
「お嬢さ……ま……?」
ネクターさんは、私と店員さん、そして男の人を見つめて目を大きく見開いている。
それはもう、今まで見たことがないくらいに。
「……なんで、ここに」
その質問は、おそらく私に投げかけられたものではなさそうだった。
ネクターさんの視線は完全に男の人に向いているし、その驚きようからしても男の人と何らかの繋がりがありそうだし。
男の人は肩をすくめて「それはこっちのセリフだ」と息を吐く。
「このお嬢さんがここにいるってことは、お前にも会えるんじゃないかと思ってたよ」
「いや、それは俺の話で……」
ネクターさんはしどろもどろで、目の前の男の人を見つめるばかり。完全に私は置いてけぼりだ。
っていうか、二人ってどんな関係? 再会を喜ぶほどの仲、というわけではなさそうだし。もしかして、テオブロマのお屋敷の人? 私は見たことがないけれど……。
「彼は僕のお客さん」
男の人に変わって、店員さんが私とネクターさんの疑問に答える。
「紅楼から乙草を仕入れてくれたのも彼」
「そういうこと。上司からベ・ゲタルの食材を仕入れてこいって頼まれてな。港町で観光ついでに紅楼の食材と物々交換中だ」
この店に来たのは本当に偶然だけどな。
男の人はそう付け加えて、ふっと笑みを浮かべる。
「俺はお前に会いたいと思ってたところだったし、ちょうど良かった」
「……俺は」
ネクターさんは気まずそうに顔を逸らす。
「……とりあえず、二人とも座れば?」
入り口付近に立ち止まったままのネクターさんが、店員さんに促されて申し訳なさそうに私の左隣に渋々腰をかける。
対して男の人は、にこやかな笑みを浮かべて「それじゃ、ランチもいただこう」と私の右隣に座った。
イケメン二人に挟まれて嬉しい状況のはずなのに、どうしてだか喜べない……。
「二人は?」
「えっと、じゃあ、とりあえず……私たちもカレーを」
私がおずおずと注文すると、店員さんは「りょーかい」と店の奥に引っ込んでしまった。
え、待って。この空気、どうするの? 確かに、注文はしたけど! ねぇ! お兄さん、待って‼
「……さ、今度は俺の番だな」
私の焦りもむなしく、男の人が私の肩越しにネクターさんを見つめる。
「お前はどうしてここにいる」
男の人の赤い瞳は、ゴウゴウと火が燃えているよう。なんだか和やかな雰囲気だと思っていたけれど、もしかして怒ってる?
何を察したか、ネクターさんが明らかにたじろいだ。
「……別に、俺のことは」
「連絡も寄こさなくなったかと思えば、テオブロマ家のお嬢さまとベ・ゲタルでセージワームコンテストだって。誰でも驚くさ。特に、お前ならなおさらだ」
「そ、それは!」
ネクターさんがあまりにもバツの悪い顔をしているから、思わず私は声を上げてしまう。
「私のせいなんです! ネクターさんは、何も悪くないです!」
男の人はふっと目を細めて、私を上から下まで値踏みするように視線を動かす。
ネクターさんの隣に立つ資格があるのか。それを問われているような気がして、私の手にじとりと嫌な汗が浮かんだ。