112.命をつなぐ、これからも(2)
アオが、ぴぇ、と鳴いた気がした。
ありがとう、と聞こえたような。私がそう思いたいだけだろうか。
小さな一口を切り分けて、その命を口へと運ぶ。
今まで食べてきたどのお料理よりも慎重に、丁寧に――
命をいただく。それで、私たちは生きている。
その意味まできちんと噛みしめるために、私は一口を咀嚼する。
出来る限りゆっくりと。
じゅわぁっとあふれ出した肉汁は、濃厚でコクがあり、まろやかな甘みを感じる。とろけるような食感が舌の上で絡みつき、やわらかな肉質と相まって、口の中で一瞬にして溶けてしまうんじゃないかと錯覚させた。
けれど、お肉を噛みしめればわかる。爽やかな柑橘の香りと、草の青臭さがふわりと口内を駆け抜け、さっぱりとその肉汁を包み込んだかと思えば、ピリリとスパイスが味を締める。
不思議なほどに複雑な味がする。
奥が深くて、まるでアオと共に過ごしたベ・ゲタルでの記憶を追体験しているかのようだ。
スパイスの辛みが食欲を刺激したかと思えば、優しい甘みとお肉本来に刻み込まれた塩味、豪快な大味がぶわりと満ちて、再び、肉汁のなめらかで上質な脂と旨みが押し寄せる。
最後に花のような優しい香りが広がり、まるで夢でも見ていたかのように、しゅわっとはじけて消えてしまった。
とても一口とは思えない、長い余韻。
私がゴクン、と最後の肉汁を飲み干すと、何百人もの人が集まっているとは思えないほどの静寂が訪れる。
音を立てないようにフォークとナイフを置いて、ふぅと息を吐けば、代わりにみんなが息を飲んだ。
「……アオ、ありがとう。世界で一番おいしい、セージワームだった、よ……」
泣かないつもりだったのに。
最後までがまんして、笑顔で「おいしかったよ」って、「おかわり!」って言ってやるつもりだったのに。
ボロボロと涙がこぼれて止まらない。
アオはたしかに、世界で一番おいしいセージワームで、私は、世界で一番幸せ者だ。
止まらない涙を必死にぬぐっていると、頭上にふわりと影が落ちて、それから優しく抱きしめられる。
ネクターさんだ。トントン、と背中を撫でる手が優しくて、私は声を上げて泣いた。
「アオと、もっと一緒にいたかったよぉ……! ずっと、ずっと、一緒にいて、もっとたくさんの国を旅したかった!」
ネクターさんの服が涙でぐしゃぐしゃになってしまうのも、かまっていられなくて。
ただ、ネクターさんの優しい腕に甘えるしかできない。
「アオは、お嬢さまの中で生き続けます。これからも、ずっと。それに……」
ネクターさんはにっこりと微笑んで、私の手を引く。
「見てください。アオは世界で一番おいしいセージワームだと、これから、たくさんの人が覚えていてくださいますよ。その瞬間を見届けなくては」
ステージの端に私を立たせると、ネクターさんは目で司会者へ合図する。
感動ムードはそのままに、司会者の人と給仕係の人は手早く審査員へとセージワームを配っていった。
審査員の人たちは、私に気を遣いながらも一口。
みな、それぞれにゆっくりと噛みしめて――十人十色、喜びと驚きを表現した。
立ち上がっておかわりをしようとする人。それを制する人。観客をあおるように見せびらかす人。涙を流す人。満面の笑みを浮かべる人。
「これは素晴らしい評価だモン‼」
司会者の声が響く。
「かつで、こんなにも多ぐの審査員たちをここまでさせだセージワームばいながっだでしょう!」
その大きな声が再び観客の人々を沸かせた。わぁぁっと大きな声が響いて、アオを食べたいとコールが始まる。
もちろん、全員にいきわたるほどの量はない。審査員たちはどこか優越感にも満ちた表情で「うまい」「うまい」と頬張っている。
「……っ!」
私の心が震える。また泣きそうになってしまった私に、ネクターさんがふっと笑みを浮かべた。
「……ほら。言った通りでしょう? アオは、みんなの心の中にも生き続けますよ。世界で一番おいしいセージワームとして。アオも誇らしいでしょうね。もちろん、僕も」
ネクターさんは、大乱闘が巻き起こる審査員たちの間をひょいと潜り抜けて、手早く二口分カットすると、何食わぬ顔でステージの端へと戻ってきた。
「おかわり、するのでしょう? アオの命を、一緒にいただきましょう」
ネクターさんは、二度目となるお祈りを捧げるように目を伏せる。
お皿とカトラリーを持っているから、両手はふさがっているけれど。
私たちがそっとステージから下りて、二口目を頬張ろうとした時
「ほら、お姉さんにも一口っでね!」
と駆け付けたオリビアさんが二ッと笑った。
「ウチば許可しただば、二人ば食べれたんよ? ウチにも報酬ば欲しいモン」
「……確かに」
ネクターさんは呆れたように笑って、自らのお皿を差し出す。
「ネクターさん?」
「僕は結構です。十分、味わいましたしね」
オリビアさんは「それじゃ遠慮なぐ」とネクターさんのお皿をひょいと取り上げて、ぱくりと一口。
「ん⁉」
驚いたように目を丸くしたオリビアさんは、次の瞬間には私の両手をお皿越しに握り締めた。
「どうやって育てだら、こんな味に⁉」
セージワームのことは、いまだよく分かっていないことが多い。コンテストは、学術的な意味でも貴重な場でもあったはず。
オリビアさんの瞳は、セージワームの謎を解き明かすヒントを得ようと期待に満ちている。
「……な、長くなるので、また今度、お話します」
「わがっだ! 本当に! 世界で一番おいしいセージワームだば、ウチもこんなセージワームば育てられるように、二人ば見習っていかないがんね!」
オリビアさんは満面の笑みを浮かべて、「あぁ、そうだ!」と声を上げる。
「この騒ぎば、なんとかせんといがんのよ! 焚きつげだのはウチだば、なんとか収拾つけでごいって、上司にも言われでステージまで来たんだったがや! ちょっど、行っでぐるから、二人ば帰らんで待ってでね!」
拡声器を片手に、オリビアさんはステージへと駆けあがっていった。
セージワームコンテストも終盤。
私たちと、アオの登場によって波乱をうんだコンテストは、その後、オリビアさんや司会者さんたちの一生懸命な対応によって、幕を下ろそうとしていた。




