111.命をつなぐ、これからも(1)
しばらくすると、ステージの上から「続いては、九十八番の登場です!」と声が上がる。
「アオ!」
私は思わず人ごみをかき分けて、ステージの目の前まで走った。
「お嬢さま! お待ちを……!」
ネクターさんが後ろから私の手を引いたけれど、私は立ち止まることなんてできない。
いくら、アオが望んでいたとしたって。
やっぱり、私は、アオのことが好きだ。
「さあ、皆さま、改めまして、いよいよ大詰めとなっでまいりました! セージワームコンテストも、次は九十八番のセージワームがや! こちらばなんど! シュテープからのご客人が育てでくださった一品!」
「おぉ!」
「あの女の子かしら?」
オリビアさんが、他の国の人が参加してくれたら盛り上がると言っていたけれど、まさにその通り。ざわざわとどよめきが起きて、私とネクターさんは思わぬ形でステージの前へと押しやられる。
「アオ!」
私の声が届いたのか、ステージの上で司会を務めていたお兄さんがこちらへと振り返った。
「お嬢さま! 落ち着いてください!」
思わずステージに上がってしまいそうになるのを、ネクターさんに止められる。
それでも必死に顔をステージへと向ければ、ほかほかと蒸気をあげたアオの姿が目に飛び込んできた。
「……アオッ!」
もう、いつもの元気な返事は聞こえない。
代わりに、人の理性を簡単に狂わせてしまいそうなくらいの香ばしい匂いがあたりに立ち込める。
司会のお兄さんも、審査員のみんなも、そして、その場にいた観客たちも。
みんなが息を飲んだのが分かる。
その瞬間、アオは世界一おいしいセージワームになった――
「これは! 特上のセージワームだモン‼」
静寂を打ち破った司会者の声。
遅れて、審査員のみんなが我先に飛びつかんとする声と、観客たちの大歓声が沸き起こる。
アオの鳴き声だけが聞こえなくて……でも、お皿の上で鎮座するその姿はたしかに誇らしげで。
私は、悲しみとも喜びともつかぬ気持ちに、涙がこぼれそうになる。
「……アオのこと、食べてあげなくちゃ」
観客がステージに上がることは、基本的には許されない。コンテストの注意書きにもしっかりと書かれていた。
だけど。
「……すみません! 私にも! 一口ください‼」
みんなの大声に負けないように、私は必死に声を上げる。
失格になってもいい。アオを食べてあげなくちゃ。だって、アオはあんなにも嬉しそうだったのだ。どんな形であれ、命をまっとうして――私たちに夢を与えてくれた。
「そのセージワームを! アオを! 育てたのは私なんです‼ 一緒にたくさんの思い出を作って、最後の最後まで、アオは私を励ましてくれて! だから、ちょっとでも、恩返しをしなくちゃいけないんです‼」
泣くな! アオを、世界で一番おいしく食べてあげるまでは!
ステージの端についた階段の方へ向かって、私は人ごみを再びかき分ける。
司会の人や審査員、観客たちが何かを言っているのが聞こえたけれど、それが私への注意なのか、それとも賛辞なのか、そんなことはどうだって良かった。
「お嬢さま‼」
ネクターさんの声が聞こえる。普段は穏やかな彼の声も、今は切羽詰まっているようだ。
ステージへと続く階段に足をかけた時、後ろからガシリと手を掴まれた。
「止めないでください! これで失格になっても‼ 私は、アオを食べなくちゃいけないんです‼」
私がネクターさんの手を振り払おうと必死にもがく。けれど、その手を力任せに引かれて体勢が崩れる。重力に逆らうことなどできずに体は後方へ。そのままネクターさんの腕に包まれる。
「お嬢さま。行くなら、僕も行きます。僕だって、アオを食べなくてはなりません」
止めに来たんじゃなくて、私と一緒にステージに上がるために。
「それに、非難を浴びるのであれば、僕が前に出た方が良いでしょう」
ネクターさんの熱い吐息が耳にかかる。
その真剣な熱量に、私はただただうなずくしかできなくて。
ネクターさんのおかげで冷静になった私は、改めて一段一段、階段を踏みしめる。
先ほどの声が司会者や審査員に聞こえていたならば――きっと、まだ間に合うはずだ。
ネクターさんに続いて階段を登りきると、そこにはやっぱり、おいしそうに調理されたアオの姿があった。
対して運動したわけじゃないのに息が切れる。は、と肩で息をして顔を上げると、たくさんの好奇の目が刺さった。
「す、ステージば上がっでくるなんて! 前代未聞だモン!」
「いやいや! 君たちば立派だ! セージワームば愛しとるモンならば、ここに上がる資格ばあるがや」
「規定は規定だば、守れんやつは失格がや!」
「そう堅いことば言わんでぇ、見守っでやらんと……」
口々に意見が飛び交う。
でも、私は一歩を止めずにはいられなかった。
アオの前に立って、その姿を目に焼き付ける。
脂がのってキラキラと輝く姿が、世界で一番おいしいセージワームだと証明してくれている。
そこに言葉はいらなかった。
「フラン! ウチが許可するがや! 一口目は、アンタが食べんさい‼」
突如、キィーンと音を立てたのは拡声器で。
声の方へ顔を向けると、会場の奥にオリビアさんが立っている。
「オリビアさん⁉」
「みんな! ごめん‼ これは規定違反がや! でも、ウチばあの子がどれだけセージワームば愛してくれとるか、知ってもうただば、あの子を止められん! だから、怒るならウチに言うでください‼」
オリビアさんがみんなに向かって深々と頭を下げる。
彼女の説得や私たちの姿に何を思ったか、観客や審査員たちも黙ってうなずいた。
どうやら、この場を見逃してくれるようだ。
私もみんなに頭を下げて、そっと両手を組む。食前の祈りだ。
ネクターさんも隣で深々と頭を下げてくれて、私と同じようにお祈りを捧げてくれた。
「「我らの未来に、幸あらんことを」」
アオ、今までありがとう。一緒に過ごせて良かったよ。
これからは、私の中で生き続けて……もっとたくさんの未来をつないでいこう。私たちと、ずっと一緒に。
私は、司会者の人から受け取ったナイフとフォークをアオの体に差し込む。
プツン、と皮のはじけた音とともに、じゅわっと肉汁があふれて――人々を魅了する濃厚な香りが会場中に広がった。




