107.ハプニング、忍び寄る影?
「ぴ、ぴぇぇ……」
「い、痛いです……」
海を存分に楽しんだ翌日。
おなかを壊した私とアオは、ログハウスの大きなベッドから動くことが出来なかった。
「本当に申し訳ありません! 僕がもっとちゃんと言っておけば‼」
ベッドの下で、ネクターさんは多分土下座しているのだろう。いつもなら「謝らなくていいです!」とその土下座を止めることも出来るけれど、今日は無理。動けないもん。
「……だ、大丈夫です」
とても大丈夫とは思えない口調だ、と自分でもわかってはいるけれど、ネクターさんを落ち着かせようと声をかけることしかできない。
ネクターさんいわく、昨日のオツカレーとその後のアイスクリームの組み合わせが胃にダメージを与えたらしい。
オツカレー、食べ過ぎたら胃があれるって店員さんも言ってたっけ。食べ過ぎた、なんて思わなかったけど、おいしさのあまりガツガツ食べていたのは事実。こんなことなら、もっとお上品に味わって食べるべきだった!
ネクターさんはゆっくり食べていたからなのか、それとも胃が丈夫なのか、まったく問題ないらしい。
一人元気なネクターさんがお薬を買ってきてくださったことは幸いだった。ネクターさんがいることのありがたさを改めて噛みしめる。
「とにかく、こちらを」
ひとしきり謝り倒したネクターさんは、水の入ったコップとお薬をこちらに差し出す。
「ありがとう、ございます……」
これでいくらかはマシになると思うのだけど。
それにしても、アオまでおなかを壊すとは。いくらベ・ゲタルといえど、さすがにセージワーム用のお薬はない。
一応ネクターさんがオリビアさんにも聞いてくれたみたいだけど、セージワームが腹痛を起こすなんて聞いたことがないとのことだった。
「アオ、しっかり……」
「ぴ、ぴぇ……」
アオを励まし、私はお薬を飲む。なんだか申し訳ない気持ちになっちゃうな……。ごめんね、アオ。しばらくは我慢してね。
シュテープのものよりも毒々しいというか、禍々しいというか……中々に派手な色をしたお薬をお水で流し込んで、私は再びベッドへと寝転がる。
とにかくお薬が効くまでは、このゴロゴロするおなかの不快感と激しく刺すような痛みに耐えるしかない。
アオと一緒にベッドの上で必死にお祈りを捧げる。
ネクターさんにもう一度改めてお礼を言おうと姿勢を変えると、ネクターさんはまるで捨てられた子犬のような表情でこちらを見つめていた。
見事にしゅんとうなだれているネクターさんの方が、よほど重症に見えるくらいだ。
「本当に申し訳ありません。僕がもっときちんとお伝えしておけば、こんなことには……。お嬢さまの苦しみを代わりに背負うことも出来ないなんて」
大丈夫だから、そんな泣きそうな顔をしないでください。
喋る代わりにブンブンと首を振って意思表示すると、ネクターさんはさらに眉を下げる。
「お辛くはありませんか? 僕に何かできることは」
多分、他意はないのだろうけれど、ベッドサイドでイケメンにぎゅっと手を握られては、私も困るというもので。
イケメンシールドを張りつつ、「大丈夫です」と今度ははっきり口にする。
それに、謝るのはこちらの方だ。
今日は海辺の町の近くにあるフラワーパークを見に行こうと約束していたのに。
「私も、ごめんなさい」
「お嬢さまが謝るようなことは何もありませんよ! 早く良くなるといいのですが」
「でも、フラワーパーク……」
「明日以降も時間はたくさんありますから。それよりもお体が大事です」
あぁ、ネクターさんがイケメン過ぎる……。
この人、本当にネガティブじゃなきゃ今頃モテモテだっただろうに。
おなかの痛みに耐えながら、ネクターさんの手をやんわりと振りほどく。
あまりこのままでいては、私の精神衛生上良くないし! ネクターさんの手のあたたかさが名残惜しくなってしまうから。
それに、ネクターさんだってずっと私の側にいても退屈だろう。
「本当に大丈夫ですから、ネクターさんはお部屋に戻ってもらっても大丈夫ですよ」
ネクターさんのことだ。私を置いてお出かけする、なんてありえないだろうけど、せめて自室で本を読むなり、リビングで映画を見るなり……のんびりしてもらいたい。
ネクターさんは困ったように眉を下げ「ですが……」と言葉を濁す。
何一つとして彼は悪くない。けれど、勝手に責任を感じているのだろう。もしくは、私への同情から、一人だけ余暇を楽しむことに罪悪感を覚えてしまうのかもしれない。
でもなぁ……。
どうしたものか、と私が目を閉じると、タイミングよくログハウスに来客を知らせるベルの音が響いた。
「……お客さん?」
特に心当たりはないけれど、ナイスタイミングだ。
ネクターさんは渋々と言った様子で立ち上がる。
「僕が見てまいります。お辛いでしょうが、お薬が効くまで安静にしていてくださいね。すぐに戻ってまいりますから」
「戻ってこなくて、大丈夫ですから……」
私もお薬が効けば、おそらく元気になるだろうし。
返事を聞いてくださったかどうかは分からないが、ネクターさんは部屋を出る前にチラとこちらの様子を窺って頭を下げた。
ネガティブが過ぎてこっちが心配になるくらいだ。今は、自分のおなかのことで精いっぱいだけど。
*
ノックの音がネクターさんの帰還を知らせたのは、数分後のことだった。
戻ってこなくていいって言ったのに……。よほど心配してくれているのだろう。申し訳ないな、と思いつつも、入って来るなとは言えない。
「どうぞ」
「失礼します。お嬢さま、こちらを」
「お手紙?」
ネクターさんが差し出した封筒には、『ベ・ゲタル国立公園セージワームコンテスト事務局』の文字。
「コンテストの参加状なのですが……」
ネクターさんはなぜか言いにくそうに、もごもごと口を動かす。
「本当に、参加されますか?」
向けられた視線は、腹痛にもがいているアオへと向けられる。
そこでようやく、セージワームコンテストがどういうものであったのか、私は思い出すこととなった。