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不穏な風

 翌朝、身支度を整えると、ロステムが近づいてきた。

「今日、あいつの家に行く?」

『用事』が終わったら、もう一度、レノの家を訪ねようと思っていたところだったので、頷いた。

あの家は隙間風がひどいから、それを塞ぐ方法を昨夜考え付いたからだ。

ロステムは、私に巾着袋を差し出した。

「これを渡してくれないかな?」

 ロステムから手渡されたのは、ごつごつした岩のような木の実ががぎっしり入った袋だった。

「これ、モチヅキの実?」

「そう。これをこすって、布団の中にいれたら、あったかくなるから。あいつのばあちゃんに」

モチヅキの実は、こすると人肌よりも少し熱いくらいの温度の熱を発するため、寒冷地では重宝される。本来は、秋から冬にかけて採取できる実で、春近いこの季節に両手に余る量の実を集めるのは大変だっただろう。

「大変だっでしょ? こんなに集めるの」

「よく落ちてるところ、知ってるから」

「分かった、渡しておくね」

「・・・・・・同情はいやなんだ。こんなのでごまかして、ずるいかもしれないけど」

「ううん、預かるよ」

「それからさ、この実、集めてる時に風が吹いてたから、気をつけてね」

「風?」

「そう、この村に春一番に吹く季節風。生あったかいのがぶわっとくるの。風が強い時なんかは、立ってるのがやっとだよ」


 今日、まず向かわなければいけない場所は、ロステムの家の裏にある山だ。私とフィロは装備を確認して、山に足を踏み入れた。これから行う『作業』のためだった。

 黙々と足を進めていく。この山は勾配もゆるやかで、植生もよみやすい。目的地まで難なくたどり着けるだろう。むしろ、問題はたどり着いたその後だ。

「花粉、ここまで全然飛んでないよね」

「でも、ロステムの喘息、去年の今頃からひどくなる傾向があるってマヤさん、言ってたよ」

 私たちが感じないほどの微量の花粉でも過敏な人は反応してしまう。本人もそうだが、マヤさんもいつ来るか分からない発作を恐れて、神経を尖らさているに違いない。


 突如、風がぶわっと吹いた。風は生温かいのに、冷や汗が噴き出た。次の瞬間、風とともに、花粉が顔をめがけて飛んできた。急いで、布で鼻と口を覆う。フィロを見たら、私より一足早く布を装着していた。

 花粉が飛んでいく方向の家は、私たちが訪問した家がある。冷や汗が再び、背中を伝った。

 私とフィロは山を滑り降りて、民家のある方向に向かって、走り出した。


 私たちが到着した時、花粉が辺りに充満し、村の人たちが咳き込んでいた。大人たちは見たところ歩けないほどの重度の発作ではなさそうだが、激しく咳き込んでいる子供たちがいる。

 フィロも立っているのも困難なほど、苦し気な子供を抱えた。

「移動しましょう。ここは、花粉がひどい」

 ふと周囲を見渡すと、少し離れた小道にロステムが倒れていた。

「ロステム!」

 ロステムとマヤさんは、今日は今の時間、家の中で機織りをする予定だと言っていた。建物の内部にいれば、花粉を直接浴びることはないだろう、と思っていたのに。

「何で、ロステムがここにいるの?」

「私のせいだ……私がロステムの愚痴なんて言ったせいだ」

 レノは涙でぐしゃぐしゃになった顔で、ポラという小さな白い花の束を抱きしめた。

「このポラの花がどうしたの?」

「この村では、相手に謝りたい気持ちがある時、ポラの花を送るのよ」

 そうか。やっぱり、レノにモチヅキの実を自分で渡したくなって、私たちを追いかけてきたんだ。

 

 フィロが率先して、ロステムをかついでくれた。私も倒れている子供を抱き上げた。

「こっち」

 レノが誘導してくれて、とっさに入ったのは、小さな民家だった。この家の女性は突然現れた私たちに面喰っていたが、事情を聞くと、すぐに救助に協力してくれた。


 あの場で花粉を浴びたのは、総勢五人。大人が二人で子供が三人だ。自分たちがこの村に滞在しているうちに、この花粉の花を駆除すれば問題ないと思っていた。

 昨日のうちに、花粉の花の駆除を終わらせておくべきだったんだ。判断を間違えた。自己嫌悪で胃が重くなってくる。しかし、今はそんな場合じゃない。

「レノ、お湯を沸かしてくれる?」

 せき込んでいる人を敷物をしいた地面に体を横たわらせた。中年女性の胸元を開き、鎖骨の下部、外端下から指一本下のくぼみを親指で押した。

 フィロも同じように、ツボを押していく。

「みんな横にもなれるし、会話もできる。私たちでなんとかなると思う」

 

 レノが沸いた湯を持ってきてくれた。

 本来ならば、乾燥させ、焙煎させてから使うが、今回は緊急なので、生のままで使う。

 カバンの中から、車座草を取り出した。丸薬や膏薬など、乾燥した薬であれば持ち運びは容易だ。  しかし、沸かした湯が必要な煎じ薬は常時、持ち運ぶわけにはいかない。だけど、煎じ薬は服用したら、早く体内で溶けるため、他の乾燥した薬よりも即効性がある。しかし、大きな問題があった。

「車座草が足りない」

「うん」

 車座草は喘息の効き目は抜群だが、大量に煮出さなければならない。全員に飲ませることができないし、特に症状の重いロステムには、もっとたくさんの煎じ薬を飲まさなくてはならない。

「『あれ』を使う」

 フィロが表情を曇らせた。

「でも、『あっち』はしばらく使ってなかったし」

「大丈夫、普段からどっちも音を出して慣らしてるから」

「分かったよ。でも、どうやって?」

「これを使う」

 私は土の壁を叩いた。

「この土壁を土壌にして、成長させる」

 フィロは渋々、といった感じで頷いた。

「辛くなったら、すぐにやめろよ」

「分かってる」


 私とフィロは手分けして、持参していた車座草を土壁の中にうめこんだ。次に私が取り出したのは土笛だ。私は腹に力をためて、土笛を吹いた。低い音色をゆっくりと響かせる。ぽこぽこと音がして、土壁から草が芽吹き始めた。


植物を急成長させる能力。これは、母から受け継いだ、ミラン家の女にのみ引き継がれる能力だ。

私は普段、草笛と土笛を演奏するが、この能力を発動させるのは、土笛のほうだ。


この能力の難点は、成長させる植物を強制的に短命植物にさせること。この能力は植物の生存本能を刺激し、急成長させる。このことは、植物に負荷を与えることを意味し、急成長させた植物はその分、寿命も短くなる。この能力は植物を罪深い能力なのだ。そして、もうひとつは能力の発動者に何らかの身体的負担を得てしまうことだ。


母は能力をむやみに使ってはいけない、と私によく諭していた。この能力は普段から笛を訓練して、体に慣らし、本当に必要とされる場面でのみ、使うことが許される。母は私の前で、実践してくれたことがあったが、母は身体的負担が頭痛という形で現れ、能力を発動させた日の夜は、寝込まざるを得なかった。


能力者は己の能力を誇示することなく、自制し、次の世代にひっそりと伝える。これがミラン家の女が引き継いできた宿命だ。そして、訓練し、自制し、時を見極めた瞬間が今なのだ。


芽がぐんぐんと伸びる。強めに吹いているからだ。

 笛の音量と植物の成長速度は比例する。もっと、伸びろ。そんな念を込めて、一気に吹いた。成長した草が土壁の表面を覆い始めた。そろそろいいかな。笛を止めた。

 体が急激に重くなり、その場に座り込んだ。この技を使うと、体の力が急激に奪われる。今回は、急いで成長させる必要があったので、強めに吹いたから余計にだ。

「ルー、少し休んでろ。俺がやる」

 思えば、こんなに強く、土笛を吹いたのは初めてだ。ちゃんと能力を発動できただろうか。

 草が四方の壁から飛び出して、草に覆われている家の中を見渡して、ほっとした。

 レノはあっけにとられた顔で私を見ている。

「大丈夫、一瞬くらっときただけ」

 むしろこれからが本番なのだから、休む暇なんかない。


 竈でレノが沸かしてくれたお湯の中に笛で成長させた車座草を入れる。いつものように、時間はかけられないので、かなり多めに入れなければならない。

 沸き上がった熱々の土瓶を桶に入った冷水に浸す。煎じ薬を少しでも冷ますためだ。

 できあがった車座草の煎じ薬を咳き込んでいる女性にゆっくりと飲ませた。


 ロステムは、ヒューヒューという北風のような呼吸音(喘鳴)を繰り返している。呼びかけても反応がない。他の子供たちも痰が絡んだ咳の症状がひどい。子供の場合、大人よりも気管支が狭く、重症化しやすくなる。

 レノが泣きそうな顔でロステムによりそっている。

「ロステム、助かる?」

「助ける」

 この日、この場に私たちがついていながら、何も失わせはしない。

 息を乱している人に熱い煎じ薬を飲ませるのは、本人も辛いし、難しい。焦ってはいけない。

 三人で手分けして、煎じ薬を飲ませ続けた。そ次第に激しく咳き込んでいた子供たちは、次第に症状が落ち着いてきた。早めに飲ませることができてよかった。


「いつも春になると、突風が吹くんだ」

 ロステムの言葉が頭によぎった。

 これまで、冬の間、気温が低かったことで花粉の飛散は抑えられていた。そして、春の訪れとともに、眠っていた花の大多数が目覚めた。おそらく、気温が上昇するにつれて、花粉の質もより毒性の強いものへと変異していったのではないか。


 ロステムの呼吸も次第に落ち着いてきた。ああ、よかった。もうちょっとだよ。ロステムのそばに行こうと立ち上がろうとした。

 しかし、自分も動きたい思いとは裏腹に、めまいがして目の前が暗くなっていく。

「ルー」

 フィロの心配そうな声が耳に届いた。

「……フィロ、頼んだ」

 私は気を失った。


 目を覚ました。心配そうに私を見つめるレノの顔がそこにあった。

「ルチカさん、大丈夫?」

「みんなは、どうしてる?」

「みんな煎じ薬飲んで、だいぶ落ち着いてきたよ」


 ロステムは敷物の上に横になっている。顔色は悪いが、苦しげな様子はなく、私に弱弱しく頬笑みかけてくれた。

「ありがとう、おかげで苦しいのが治った」

「昨日のうちに、花を駆除していけば花粉は飛ぶことはなかった。ごめんなさい」

 ロステムは小さく、「大丈夫」と言い、私の手を握ってくれた。

 他の人も苦しげな様子はなく、受け答えもしっかりとしている。

「重い症状の人がいなかったのが運がよかった。喘息は薬草じゃどうにもできない時があるから」

 そう、効き目がゆっくりと穏やかに効果が出ることが多い薬草では緊急性がある症状では対処できない局面がどうしてもある。今回は乗り切れて、運がよかった。


 花粉の飛来が収まったのを見計らって、外に出た。

 花粉を浴びなかった村の人たちが手助けしてくれて、倒れた人たちを手分けして、家に運んだ。

 その後、一人一人見舞ったが、幸い発作も治まり、会話もできるようになっていた。

「本当にありがとう。あなたたちがいなければどうなっていたか」

 何人もの人に何度もお礼を言われた。みんな無事で本当によかった。


 一番重症だったロステムも受け答えはしっかりしていて、後遺症もなさそうだった。私たちがついていながら、と謝る私たちをマヤさんは涙ぐみながら、なぐさめてくれて、胸が痛んだ。

 やれるだけの治療を終えた。今日一日で、体は泥のように疲れて、寝床には倒れ込んだが、頭のほうは休むな、と号令を送っていた。

 まだ、やらなきゃいけないことはたくさんだ。明日、また闘うために、休まなきゃ。そう思っても、眠りはなかなか訪れてくれなかった。


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